■当事者主権の難しさ
最近、「当事者主権」ということが言われてきています。
私も、そうした動きに関心を持っています。
私が会社時代に取り組んだCIプロジェクトの理念の一つでもありました。
その体験もあって、それがどのくらい難しいことであるかも実感しています。
私が最近取り組んでいるコムケア活動の理念も当事者主役です。
しかし、「当事者」は常にマイノリティであるところに難しさがあります。
その当事者が、自分よりも不幸な存在である場合は、同情し応援しますが、
社会的に注目されだすと嫌悪感を持ち出す人がいかに多いかを私は身を持って感じてきました。
私の身近な友人知人や親戚でもそういうことは起こりますし、
私自身のなかにも、そうした面がないとはいえません。
それに、「当事者」自身、注目されだすと言動が変わることもないわけではありません。
私の友人から、「社会的弱者はそれゆえに社会的強者である」と指摘されたことがあります。
そうした面もないわけでありません。
同じ目線を維持することは、本当に難しいです。
目立つ釘は打たれてしまうのが、日本の社会かもしれません。
当事者主権で動き出した人たちが、社会から石を投げられた事例は枚挙に暇がありません。
私がそのことを意識した最初の記憶は水俣病でした。
最近では拉致家族会やハンセン病患者が、そうした目にあっています。
犯罪被害者の家族の話もよく聞きます。
弱いものほど弱いものをいじめることが多いですから、実は弱さと強さは逆転しているのですが、
現実に「いじめ」の対象にされてしまうと辛い状況におかれます。
時に、自殺へとつながってしまう悲劇も起こります。
自殺は決して「自死」ではなく、犯人の姿が見えにくい殺人だという気がします。
しかし、犯罪の概念を変えない限り、この事件は罰することができません。
私が昨日書いた、難病手術の家族の話もそうかもしれません。
私自身にも、そうした当事者が苦労して自らの人生を開いていった姿に否定的な発言をしてしまったのかもしれません。
急にそんな気がしてきて、ついつい懺悔したくなりました。
「思いやること」の難しさを感じます。
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