■希望のない医療、感受性の乏しい医療の見直し
ベルガモンの古代診療所の遺跡を見て人生を変えた人の話を先日書きましたが、思い出したのが、「病院で死ぬということ」(文春文庫)の著者、山崎章郎さんです。
外科医だった山崎医師は、いまホスピスの活動に取り組んでいますが、その転機となったのが、本で出会った次の文章だそうです。
患者がその生の終わりを住みなれた愛する環境で過ごすことを許されるならば患者のために環境を調整することはほとんどいらない。家族は彼をよく知っているから鎮痛剤の代わりに彼の好きな一杯のブドー酒をついでやるだろう。家で作ったスープの香りは、彼の食欲を刺激し、2さじか3さじ液体がのどを通るかもしれない。それは輸血よりも彼にとっては、はるかにうれしいことではないだろうか。キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』に出てくる文章です。
私も『死ぬ瞬間』は読みましたが、この文章は覚えていません。
しかし山崎さんは、外科医の医師としての人生をやめてしまったのです。
ひとつの文章が、人の人生を変えることがあるのです。
「病院で死ぬということ」は読むのが辛い本です。
よほどの勇気がなければ読み続けられません。
しかし、そこからのメッセージは強烈です。
医師にとって何が一番大切かは私にはわかりませんが、患者の立場から言えば、感受性ではないかと思います。
しかし医師の立場から言えば、感受性が強いと、医師は続けられないかもしれません。
がんセンターに通いだしてから、そういう思いを強くしています。
感受性と医療体制。この2つを統合することで病院はきっと進化します。
そもそもホスピタルの原義は、そういう意味だったのですから、改めて原点に戻ることが大切なのかもしれません。
上記の本には、山崎さんが医師に成り立ての頃の体験が語られています。
末期がんの患者の延命に取り組む医師たちの姿です。
医師たちはだれ一人として、患者の病気が治っていくだろうなどとは思っていなかった。医師の使命と信じ込んでいる信念に基づいて、患者の延命に最大の努力を払っていたのだ。この風景は、たぶん今もなお変わっていません。
いや、がんセンターのような病院では、この空気(がん=死)が病院全体を覆っているような気さえします。医師たちも、この呪縛に囚われているように思います。
私がいつも疲れてしまうのは、この文化に抗しているからです。
この文化を変えていくことが、がん対策の基本になければいけません。
延命と医療は全く別の行為ではないかと私は思っています。
希望のない医療、感受性の乏しい医療は、人の心と気を萎えさせます。
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