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2007/06/24

■偽牛ミンチ事件で嘘をついていたのは誰でしょうか

また食品会社の偽装事件です。
ミートホープによる偽牛ミンチ問題は調べるほどに、そのひどさが明らかになってきます。
それにしても、なぜ同じような事件が繰り返されるのでしょうか。
昨今のような情報社会においては、必ずいつかわかってしまうことですし、わかった時の対処のしかたで会社の存続すら不可能になることもそろそろ経営者は学んでもいい頃です。
これまでのように行政や政治家が加担してくれる時代は終わったのです。
にもかかわらず、同じような繰り返しが続いています。

その理由として、「価格競争志向の経済システム」と「嘘を見逃すという文化」の2つを指摘したいと思います。
それを変えていかない限り、いつになっても繰り返しは続くでしょう。

まず、価格競争志向の経済システム。
以前も書きましたが、原価とは無縁に価格が設定される仕組みを見直していく必要があります。
価格は価値によって決めなければいけません。
市場が決める場合には、その自由が自律的に、かつ情報共有が保障されていなければいけません。
消費者も意識を変えなければいけません。
常識的に考えて、安すぎる商品はどこかに問題があるのです。

こうしたことの根底には、市場原理主義や自己責任原理があるように思います。
そのパラダイムを変えない限り、こうした事件は繰り返されるでしょう。
防止策として、内部告発や品質チェック機構もあるわけですが、そうしたものがほとんど機能していないことは、今回の事件でも明らかになりました。
いずれも制度の基本思想に間違いがあるのです。
設計者は、意図的にそうしたのかもしれませんが、市場原理主義のなかでは、防止策はあくまでもおまけのようなものです。

そして、嘘を見逃すという文化
小泉前首相は嘘を奨励しましたが、そのせいか、日本は今や嘘の上につくられたような社会になってしまいました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/message2.htm
毎日の新聞記事を読んでいると、いかに責任ある人が嘘をついているか、また嘘にかかる事件が多いか、嫌になるほどです。

日本では、いまや嘘をつくことは「恥」ではないのです。
むしろ嘘をつくことが美徳にさえなっているのかもしれないと思いたくなるほどです。
沖縄の集団自決強要の話などは、政府が嘘を子どもたちに教えようということですし、
先日の「有識者たち」の広告活動は「日本人は嘘つきだ」と世界に堂々と宣言しているわけです。
今回の事件でいえば、たぶん流通業者も購入者もその気になれば嘘は見つけたはずです。
その分野で仕事をしている人であれば、見抜けるはずではないかと私は思います。
みんなうすうす感じていたのに、誰も声を上げなかったのだろうと思います。
そんな話はこの件に限らずよくある話です。

ミートホープ社の社長のやったことは決して許せることではありません。
しかし、例の耐震偽装事件もそうでしたが、嘘をついているのは彼だけではないのです。
もっと大きな嘘が、日本の社会全体を覆っているのです。
田中社長の嘘への怒りの、ほんの一部を自らの反省にも向けたいと私は思っています。

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