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2007/06/08

■弁護士の反応の報告

いささか挑発的な弁護士へのメッセージ「弁護士のみなさん、恥ずかしくないのですか」の記事のその後の報です。
一度、簡単な報告をしましたが、残念ながらその後まだ残りの5人からの返信はありません。
あまりメールをされていなくて、まだ見ていないのかもしれません。
あまり長くなってもいけないので、とりあえずの報告と私見を書きます。

返信してくれたお2人のうち、お一人は個人的には「あきれはしました」と書いてありました。
もうお一人は個人的な評価は読み取れませんでしたが、肯定的なコメントはありませんでした。
お2人に共通するのは、

いろいろな価値観の人がいることはいいことで、「主張をすること自体」を非難し、「これを許さない」といった風潮はあってはならない。

という点でした。
そしてまた、お2人とも、「死刑制度の是非」ということに、コメントの中心を置かれていました。
私が問題提起したのは前にも書いたように、死刑制度のぜひとは無縁だったのですが。

ところで、

いろいろな価値観の人がいることはいいことで、「主張をすること自体」を非難し、「これを許さない」といった風潮

ということを少し考えてみたいと思います。
そこにまさに問題の本質があると思うからです。

まず「いろいろな価値観の人がいることはいいこと」だというのは私も全く同感です。
問題は「いろいろな価値観」の範囲です。
人を勝手に殺してもいい、他人のものを勝手に奪ってもいい、という価値観も入るのでしょうか。
私が問題にしているのはその点です。
ある社会を維持していくためには、その成員に共通した何らかの価値観の領界があるはずです。
多様な価値観を許容することは何でもありということではありません。
自分以外の価値観の存在を許さないという価値観も認めることは、「自由のジレンマ」と同じようなジレンマに陥ります。
つまり結果的には、多様な価値観の存在を否定することになりかねません。

「主張すること」も悩ましい言葉です。
主張すると行動するとはどう違うのかです。
おそらく連続的です。
発言はいいが、行動はだめというのでは、犯罪教唆は成り立ちません。
さらにいえば、価値観を持つことも連続的というべきでしょう。

実際問題として考えてみましょう。
表現の自由が存在する状況においても、「許されるべきではない価値観」が存在することは否定できないと思います。
言い換えれば、ある範囲の中で、表現の自由は意味を持ってきます。
問題は、その範囲が狭くなっていくことです。
そして単一の価値観が支配しだし、価値観が意味をなくしていくことが結果として社会を壊してきた歴史は少なくありません。

価値観の許容範囲を狭くする道筋は2つあります。
一つは価値観が次第に収斂していく道筋です。
ナチスはその典型でしたし、いまの日本の経済システムはそれに近いです。
もう一つは、価値観の許容範囲が失なわれ、社会の自生的秩序が崩れる場合です。
どんな価値観も許容するというのであれば、おそらく価値観の意義そのものが失われていき、結局は一つの価値観に収斂していくことになりかねません。
今の日本がそうした入り口にあるようです。
社会が許容できない価値観は正さなければいけません。そうでなければ、社会の自生的秩序は維持できないでしょう。そのためにこそ、司法は存在しているはずです。

今回の弁護団の主張は、私には日本社会では許容範囲を外れるものだと思います。
しかも、司法を預かっているプロフェッションの主張です。
だから問題にしたわけです。

寛容に関しては以前も書きましたが、すべてのものを受け入れることが寛容ではないと思います。
社会を維持し、成員の多様な価値観の存在を保障していくためにも、価値観の許容範囲は大切なことです。
それを司るのが「司法」ではないかと思っていました。
だから問題は深刻なのです。

他の弁護士の方からの返信がないので、とりあえず中途半端な報告になってしまいました。
相変わらず独断的なコメントですみません。

お2人が「表現の自由」を書かれてきたことに異論があるわけではありません。
それはとても重要な問題です。
私が思い出したのは、立川テント村自衛隊官舎ビラ入れ裁判の東京地裁での内田雅敏弁護士らの弁論です。
その弁論と今回の弁護団の主張の、あまりの格差に驚きを感じます。
この裁判は、その後、思わぬ方向に向かっていますが、この弁論は多くの人、とりわけ多くの弁護士に読んでほしいと思います。
ニュールンベルグ裁判でのヤニング弁護士のこともぜひ思い出してほしいものです。
問題が違うではないかといわれそうですが、私は通底していると思います。

いずれにしろ、ニーメラーの教訓を忘れてはいけません。

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