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2007/06/14

■さくらんぼの憂鬱

昨日、福島に行ってきました。
そこで乗ったタクシーの運転手から聞いた話です。
話は最近のさくらんぼは高価だが、地元の人たちもあんな高いとそうそう食べられないでしょうと質問したことから始まりました。
60歳を超えた運転手の方は、私も他所の知り合いにお土産に持っていく時くらいしか買わなくなった、というのです。子どもの頃はいくらでも生っていて、よく食べていたが、最近は「ぜいたく商品」になってしまい、桃や梨とは違うものになってしまったというのです。
そして、果樹栽培は儲からないので、止める人が多いが、さくらんぼは儲かっているようだと続けました。
先日、書いたリンゴ農家の悲劇を思い出しました。
桃や梨は生産者には儲けが少ないようで、その時期になると1カートン1000円で売られているというのです。運転手さんによれば、仲買いだけが儲けているそうです。
なにやら最近の経済の問題点がたくさん示唆されているような話です。

ついつい同調してしまい、最近は汗して働く人は報われずに、汗しない人が儲ける時代になってしまいましたね、と言ってしまいました。
実は行きのタクシーの運転手とは、そういう話をしていたのです。
景気がよくなったというのはどこの話ですかね、とその運転手から質問されて、話しているうちに、そんな話になってしまったのです。
福島のタクシー運転手は、もはや生活を支える仕事ではなくなったと、毎回、運転手さんたちは言うのです。
汗している人たちが報われない社会。本当にそんな社会に向かっているような気がします。

横道にそれてしまいました。
話を戻します。

地産地消が叫ばれているなかで、さくらんぼは「高級商品」になってしまい、地元の人たちにも高嶺の花になりかけているのは、ちょっと考えさせられる話です。
その運転手によれば、山形が福島のさくらんぼのお鉢を取って、そうした高額商品化戦略をとったのだといいます。それが福島にも戻ってきたというのです。
生活に繋がる食べ物から市場価値のある商品への変化。
市場主義に乗ってうまく「商品化」すれば、儲かるわけです。
「商品化」していない桃や梨は儲からないのです。

食べ物から商品になると何が起こるか。
さくらんぼ泥棒が出てくるのです。
食べるために盗むのではなく、売るために盗むのです。
地元の人はそんなことはしませんよ、と運転手さんはいいますが、私もそう思います。
商品になるとおかしなことが始まるのです。
食べ物の時代には、これもよく書くことですが、生産者は天地の恵み者として、ほしい人にはあげるものです。飢えた人には断らないのが生産者の常でした(反論はありそうですが)。時に1つくらい無断で失敬する人が出るかもしれませんが、それにはそれなりの理由があったのです。カラスにも収穫の一部を残すのが、生産者の知恵なのです。
しかし商品になると、そう簡単にはあげることにはならないでしょう。
生産者の意識もまた変わるわけです。
なにやらたくさん反論をもらいそうな舌足らずの内容になりましたが、自然や人間とともにある経済のあり方とはどういうものだろうか、帰りの新幹線ではいろいろと考えさせられました。
やはり今の経済の仕組みは、どこか私には違和感があって仕方ありません。

ところで、高級商品になったさくらんぼの気持ちはどんなものでしょうか。
もしかしたら「憂鬱」になっているのではないか、そんな気がしてなりません。

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