■「もうひとつの地産地消」
枚方市発注の清掃工場建設工事を巡って、また談合の事実が発覚しました。
企業も行政も、よくまあ懲りずにと思いますが、これだけ根強く残るにはなぜでしょうか。
そもそも談合は、取引費用という視点で考えるとわかりやすいです。
いかにコストダウンを図るかが、事業を成功させる一つのポイントだと思われています。
その際の「コスト」は、当初、組織内部の生産費用が対象でした。
そこでトヨタ方式のようなものが考えられていきます。
そして1960年代後半から、コスト発想は組織の外に広がり、物流革命が起こります。
同時に、顧客開発やマーケティング戦略が重視されていきますが、そうした流れの中で、たぶん、談合もまた制度化されてきたのでしょう。
もちろん談合の事実はもっと昔からあったでしょうが、市場主義の流れを逆手にとって、取引コスト縮減の仕組みとして、各社に受け入れられ、企業を超えて組織化さてきたのだと思います。
そもそも「入札方式」そのものが、責任回避と利権発生を育てやすい仕組みですし、入札と談合はセットのものと考えるべきだと私は思いますが、もしそうであれば、談合だけをやめるのではなく、入札方式もやめるべきです。
入札でコストダウンしたことがあるのでしょうか。
入札信仰はそろそろ捨てるべきでしょう。
取引コストを縮減する方法は他にもあります。
それは信頼関係と業務遂行の柔軟性の回復です。
地産地消が盛んに言われますが、これは何も農残物だけの話ではありません。
地域で働く人たちに業務をやってもらう体制をしっかりつくれば、責任関係が育ち、信頼関係が高まっていくはずです。
そうなれば、取引コストだけではなく、さまざまな効果が出てくるでしょう。
不在企業の不労所得は縮減され、地元で働く人たちや地場企業の利益は増えていくでしょう。
しっかりと顔が見え、長い付き合いができる、地域の事業主体に頼んでいくことは、「もうひとつの地産地消」です。
つまり、地域の産業(地産)は地域の人たちで消化(地消)していくわけです。
少しこじつけ的ですが、考えは繋がっているはずです。
東京のコンサルタントやプランナーに仕事を頼むのは、そろそろやめていくのがいいです。
となると、私にも仕事が来なくなってしまいますが、まあそれが時代の流れなのです。
もちろん地域の外にいる人に関わってもらうのが良いことも少なくありません。
しかし主役はあくまでも地域の企業です。
「もうひとつの地産地消」が広がれば、談合などはなくなるでしょう。
いや反対だといわれそうですが、そうした動きに対処するのは、たぶんそう難しくはないでしょう。
地域の長老支配はもう終わろうとしています。
彼らは中央と繋がっているからこそ、生き延びているのです。
これは産業だけではなく、政治の世界も同じです。
ベクトルを反転させる時期がきました。
地方選挙で中央の議員を応援に呼び込むような立候補者を信じてはいけません。
いやこれも時代は反対のようですね。
どうも私の発想は時代に逆行しているのかもしれません。
困ったものです。
| 固定リンク
「経済時評」カテゴリの記事
- ■資本主義社会の次の社会(2023.10.10)
- ■「資本主義の次に来る世界」(2023.07.24)
- ■「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブル」(2023.07.06)
- ■読書の3冊目は「マルクス」(2023.03.28)
- ■ドラマ「ガラパゴス」を観て心が揺さぶられました(2023.02.15)
コメント