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2007/06/11

■価格の裏側

昨日、私の住んでいる我孫子市はかなりの雨でした。
手賀沼沿いの道路の一部が水浸しになり、自動車が一時通れなくなりました。
自然の力のすごさを改めて実感しましたが、テレビなどで報道される集中豪雨はこんなものではないのでしょうね。
自然には勝てません。

昨日の朝日新聞の記事を思い出しました。
「リンゴ農家借金苦 作っても作っても返せない」という見出しの記事です。
今年2月、弘前市のリンゴ農家の奥さん(52歳)が一家心中を図った事件がありました。幸いに、間一髪で同居の義母が異変に気づき、未遂に終わったのですが、その裁判で、作っても作っても借金を返せない津軽のリンゴ農家の窮状が見えてきたのです。
台風などの被害続きで、5年に一度しか黒字にならなかったと被告は供述したそうです。そして、地元では寛大な刑を求める嘆願書の署名運動が起こったのです。
署名した男性の言葉が載っています。
「人ごとではない。1000万円単位の借金は半分以上の農家である。数年前も、仲間の一人が自殺した」

リンゴ御殿といったバブル時代の話もよく聞きますが、自然に依存した第一次産業の場合、豊作もあれば不作もあります。その収穫は不安定です。
それに最近は、豊作でも農家は喜べない仕組みになっています。
市況価格が下がり、農作物を破棄するおかしなことが起こるのが今の経済システムです。
一方では、中国に高い価格で輸出している知人もいます。農家の努力で状況は変えられるのではないかと思う人もいるかもしれません。それは正しいのでしょうが、問題は自殺を決意するほどの現実があるということです。

私はリンゴが大好きなので、今でもよく買ってきてもらいますが、いつも思うのは、さくらんぼの高価さとリンゴの安さです。
このリンゴをもう少し高く買えば、こうした悲劇は防げるのであるとしたら、高い価格を払いたいと思いますが、そうした「価格の裏側」は消費者にはなかなか見えません。
自然との関わりの中で営まれている農業が、工業化され、工業の発想で考えられているところに問題があるのかもしれません。
工業製品と農業製品は、似て非なる「商品」であることを私たちはもっと認識すべきかもしれません。
汗水流して働いても、生活が成り立たないような状況は、決して当事者だけの責任ではありません。どこかに問題があるはずです。

金融操作で莫大なお金を得ている人がいる一方で、こうした現実が「国内」にさえあることを忘れてはなりません。
国内のフェアトレード問題は、もっと注目されていいように思います。

念のために言えば、これは農産物だけの話ではありません。
同じ工業の世界でも同様なことが起こっています。
工業に内在する、そうした垂直構造の発想を経済学はもっとリアルに問題視すべきではないかと思います。それは実に刺激的なテーマのはずなのですが。

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