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2007/07/05

■産業のジレンマと医療のジレンマ

昨日の記事はいささか舌足らずで、何を言いたかったのかあいまいなので、少し補足します。

死に向かう医療のパラダイムは、近代の産業パラダイムと同じで、結局はそのシステム自体が「死に向かう」ことになるのではないかというのが、言いたかったことなのです。
産業のジレンマに関しては、これまでも何回か書きました。
要は、現在の産業は、問題解決(社会ニーズ)のために存在しますが、ドラッカーが早い時期に指摘したように、顧客創造が目的になり、結果的に問題解決ではなく、問題創出(市場創出)というジレンマに陥る構造になっています。
生活に不安があるほど生命保険は売れ、自動車事故が多いほど自動車は売れます。
商品陳腐化戦略は成長戦略、競争戦略の基本の一つです。
その結果、持続可能性が問題にされるほど、社会は市場として浪費されてしまいました。

こうしたことはほんの一例でしかありません。
近代産業は、その内部に大きなジレンマをかかえています。
産業によって私たちは幸せや豊かさを得たということ自体、実はその産業のジレンマに内在されているわなの一つでしかありません。

産業は自己の内部に市場を拡大する手段を持っています。
環境問題に関して、昔少しだけこのことを書いたことがあります。
静脈産業論がまことしやかに語られていた頃のことです。
CWSコモンズに掲載しています。
そうした産業のパラダイム、さらには経済のパラダイムを変える必要があると、私は思っています。

ところで、医療ですが、現在の医療もまた、こうした近代の産業パラダイムに引きずり込まれています。
医療費の高騰は必然的な結果です。
それを回避するためには、一種の民営化発想がとられます。
つまり、負担能力のない人は健康保険の対象から外し、医療制度は市場主義に向かい、医療の産業化が進みます。
医薬産業や医療機器産業の市場拡大により、医療産業へと医療の世界は民営化していきます。

医療の基軸が「人間の暮らし」から「産業」へと移行してきているのです。
産業としての医療は、病人が顧客になります。
病人が病気を維持している限り、市場は確保されます。
このあたりは、すでにイバン・イリイチをはじめとしてさまざまな指摘がありますが、身近なことを考えても納得できるのではないかと思います。

たとえば、私の例で言えば、昔は1回で終わった歯医者がいまは半年かかります。
まあその分、徹底的に直してくれるので、私自身も納得はしていますが、これは患者にも見える事例です。
しかし、たとえばメンタルケアの場合や成人病などはどうでしょうか。
いささか大雑把過ぎる説明ですが、医者は自分で患者を作れるのです。
顧客を創出することが経営と考えている経営者と同じです。
かなり誤解されそうですが、そうした発想が今の社会を覆っています。

そのパラダイムを転換するにはどうしたらいいか。
生を目指す医療に発想を切り替えていくことではないかと、私は思います。
基本を治療から治癒へと変えていくわけです。
それが昨日言いたかったことなのですが、補足になったでしょうか。
あんまりなっていないかもしれませんね。

最近、ナラティブという発想が医療の世界で広がっています。
まさにコラボレーション医療ですが、そこに大きな期待を感じています。

また舌足らずの書き込みになりましたが、昨夜、ベッドに入ってから、今日書いたことの意味は何だったのか自分で反芻してみて気になってしまったので、今朝早起きをして補足を書かせてもらいました。

ちなみに、福祉の世界も、教育の世界もまた、同じ動きにあります。

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