■儲け型経済から稼ぎ型経済へ
株主総会シーズンも大きな波乱なく終わりました。
企業業績も好調のようです。
しかし、企業業績好調のわりには、社会はそれを実感できずにいるようです。
守田志郎さんは、私が学んだ数少ない経済学者です。
いや経済学者ではなかったかもしれませんが、私が若い頃に経済の刺激を受けたのは、守田さんと玉城哲さんです。
経済学が嫌いになったのは、大学で玉野井芳郎さんの経済学を受講したためです。
私には理解できなかったのです。
それから10年、この2人の著作に出会った時には、それこそ目からうろこでした。生きた経済学に触れた気分でした。ちょっと経済学アレルギーがなくなりました。
そしてその後、経済学に興味を持つ契機になったのは、また玉野井さんでした。
沖縄大学に移ってからの玉野井さんの著作は、実に刺激的でした。
私はそこで「コモンズ」の発想を学びました。
まあ、そんな思い出はともかく、今日、庭仕事をしながら、なぜか守田さんの言葉を思い出しました。
守田さんは、著書の「農法」(農山漁村文化協会)でこう書いています。
農業は稼ぐ業であっても、儲ける業ではない。守田さんは「稼ぐ」と「儲ける」とを峻別しています。
稼ぐとは「家業に精出すこと。励み働くこと」。
それに対して儲けるとは「ひかえを置くこと、利益を得ること」だといいます。
農業では「余剰」を残しておくことはできないのです。
たとえば、先週、わが家にたくさんのトマトが届きました。
3か所から手づくりトマトが届いたのですが、我が家だけでは食べきれません。
しかし、保存は難しいです。腐らせるのが関の山です。
なくなったころに届けばいいのですが、自然に左右される野菜はだいたい同時期に収穫になります。ですから当然、同じ時期に重なってしまうのです。
ではどうするか。
お裾分けです。
農家の人たちはお裾分けが大好きです。
それはまた自らのセーフティネットでもありました。
そして、そこにはコモンズ型の経済理念が感じられます。
稼ぎではなく儲け中心の最近の経済とは全く違う枠組みが感じられます。
守田さんは、さらにこう書いています。
「稼ぐ」と「儲ける」という言葉は、反対のことをいいあらわしている、とさえいえる。「稼ぐ」は、「家業に精を出す」ということで、この言葉の中には、物を右から左へ動かしただけでの利益とか、人を働かせて得をするとかいった儲けの精神はひとかけらもない。もっとも、百姓は「農業」とは別に「稼ぎ仕事」もしていました。
しかし、そうした稼ぎ仕事(「余稼ぎ」という言葉もありましたが)も、まさに余剰のためではなく、生活のためでした。
つまり、「稼ぎ」は自分が汗をかき、「儲け」は他人が汗をかくのです。
長々と書きましたが、最近の社会はどうでしょうか。
稼ぐ人よりも儲ける人が増えてしまいました。
今朝の新聞に政治家などの所得一覧が出ていましたが、彼らは稼いでいるのでしょうか。儲けているのでしょうか。
業績を上げている会社はどうでしょうか。
汗して働く人たちがしっかりと報われる経済システムが出来ないものでしょうか。
そうすれば格差社会などは解決するでしょう。
格差社会は、儲けることを基本とした経済社会の必然的な結果ではないかと思います。
儲け型経済から稼ぎ型経済へ、と戻っていくのはどうでしょうか。
その先にはきっと「働き型経済」があり、さらには「暮らし型経済」があるように思います。
経済の原点に戻って、パラダイムシフトすべき時期に来ています。
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