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2007/07/11

■生活保護ってなんでしょうか

今日の朝日新聞の夕刊の記事です。

北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。男性は昨年末から一時、生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も残されていたという。
痛みに耐えた結果でしょうか。
この人はきっと「おにぎりを食べる」よりも働きたかったでしょうね。

同市では最近、毎年、こうした悲劇が起こっています。
いやこれは氷山の一角でしかないように思います。日本中に広がりだしている状況かもしれません。
みなさんにとっては、無縁の話でしょうか。
私には決して無縁の話ではありません。
私の周辺でも、最近はこれに繋がるようなことが少なからず起こっています。
いや、私自身も、いつ同じようなことにならないかとも限りません。
そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、不幸は突然に来るものです。
想像力の問題かもしれません。

北九州市は福祉分野では先進的な都市です。
北九州市が福祉の面でモデル的な展開をしたのは、それだけの事情があったからです。
数年前に知り合った北九州市役所の生活保護の仕事をしてきた職員から、その大変さを聞かせてもらいました。とても感激しました。現場での汗の多さが福祉行政を支えていることを実感しました。
その翌日、その課長がわざわざ1冊の本を持ってきてくれました。
「軌跡 北九州市・生活保護の30年」という本です。
帰りの飛行機の中で読ませてもらいました。
生活保護というのは、時代との闘いなのだなと知りました。
しかし私には縁遠い話に感じていました。

ところがです。
3年ほど前から、そうした話が決して縁遠い話ではない状況になってきました。
具体的には書きませんが、生活保護の相談に行ったらどうかというアドバイスをすることが立て続けに起こりだしているのです。
しかし実際に行政や社会福祉協議会に相談に行っても、なかなか相談には乗ってもらえないようなのです。
その現実が少しずつ見えてきたのです。

格差社会論も盛んですが、こうした現場の実態をもっと私たちは認識すべきではないかと思います。
格差は活性化の要素であり結果かもしれませんが、困った人を救えないような社会が住みやすいはずはありません。
いまどき「平等」は流行らないようですが、行き過ぎた格差は活性化さえも損なうはずです。いや、社会そのものの安定性や効率にも関わってきます。そうしたことから無縁な人はいないはずです。その結果、絶対権力を持っていた大統領ですら殺されることもあるのです。

年金を心配するのもいいですが、セイフティネットにこそ関心を高めていかねばいけません。それこそが社会の基本なのですから。

改めて宮沢賢治の「みんな幸せにならないと自分も幸せにならない社会」を目指すか、「だれかの不幸せの上に自分の幸せを築く社会」を目指すか、を考えたいものです。
あなたはどちらを望みますか。
そろそろ生活保護の考えを根本から変えるべき時期にきていると思います。

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