■患者を待たせる医師を育てたのは誰か
病院で2時間半待たされてしまいました。
予約制の外来診察なのですが、いつも予約時間から1~2時間は待たされます。
1時間程度であれば、我慢できますが、2時間を越えるとかなり精神的にも疲れます。
患者は女房なのですが、体調がかなり悪いので、身体にもこたえます。
低反発の座布団を持参したり、軽食を用意したりして、何とかがんばっていますが、2時間を超えると身体的にも限度を超えてしまうようで、私と違って我慢強い彼女も今回は何のための予約時間なのだと不満をいいながら、ソファにもたれたりしていました。
2時半の予約が、受診が始まったのは5時過ぎです。
さすがに今回は、女房も医師に「今日は待ち疲れました」とチクリと言っていました。
ちなみに診察時間は5~6分です。
病院での2時間半の待ち時間のせいかどうかはわかりませんが、その後、あまり調子は良くなく、3日経過した今日もまだ元気がありません。
もちろん医師もさぼっているわけではありません。
昼食も食べずに診察を続けているのです。
医師もがんばっているのだから患者も待つくらい我慢しようというのが私たち夫婦の考えでした。
実は今回も、初めてこの病院に来たという老夫婦がいました。もう1時間以上待っている、受付の人に訊ねてみようかどうか、と話しているのが聞こえたので、ついついここでは1時間程度は普通なので、心配ないですよ、などと物知り顔に話してしまいました。
多忙な医師に対して、患者が出来ることは待つくらいかもしれない、と思っていたわけです。
しかし、こうした考えこそが一番悪いのかもしれません。
世の中をだめにしているのは、そうした中途半端な「良識人」かもしれません。
今日はそれを痛感しました。
前にも書きましたが、この問題を解決するのはとても簡単です。
私が仕事で相談を受けたら、すぐにでも解決できる問題です。
実は以前この病院で「患者と医師とのコミュニケーション」に関するアンケート調査がありました。そこに少し書いて提出したこともあります。
今回はその解決策を書きたいわけではありません。
今回、気づいたのは、こういう状況を創りだしているのは誰かということです。
病院は英語では「ホスピタル」です。
ホスピタリティにつながっています。
ホスピタリティとは「同じ立場で気持ちのよい関係を創る」ことです。
予約時間は「約束」ですが、その約束を守らずに2時間も患者を放置しておくことは、ホスピタリティとは正反対のことです。
そのことをおかしいと思わない医師は、医師として失格でしょう。
患者を診る資格などありません。
とまあ、ここまでであれば、私も以前から思っていたことです。
今日、気づいたのは、そうしただめな医師を増やしているのは、患者である私たちではないかということです。
ホスピタリティはサービスとは違い、双方向の関係ですから、予約時間の「約束」を守らないことを受け入れてしまう患者にも問題がありそうです。
忙しい医師は、病気を診ても病人を診る余裕はありません。
ですから待合室の風景など思いもよらないのかもしれません。
介護保険制度の設計者が、介護の現場の大変さに気づかないのと同じことかもしれません。こうしたことはさまざまなところにあります。
当事者が声を上げずに誰が現状を正すのか。
つまり2時間半待たされたのは、結局は自業自得なのではないかと気づいたのです。
おかしいことをおかしいと言おうと、数年前に書きました。
それが出来ていない自分に気づいたわけです。
現実を直すのはいつも自分からです。
人生は本当に疲れます。
直すよりも、その現実に馴染んだほうが楽に生きられます。
病院でいつも1~2時間待っていたのは、そういう利己的な生き方の象徴だったのです。
いやはや滅入ってしまいます。
いろいろと反論が来そうですね。
責任は医師でも患者でもないといわれそうですが、まあ今回はここでやめます。
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