■「法律1本、世論3年」と「何でも見てやろう」
小田実さんの訃報を聞きました。
先週、技術と暮らしを考えるサロンに参加したのですが、そのテーマが昨年亡くなった宇井純さんでした。
参加した40代以下の世代は、あまり宇井純さんのことを知りませんでした。
参加者の一人が、別の人の名前をあげて、その人は形として実績が残っているが、宇井さんの実績は何ですか、と質問しました。
ショックを受けました。
宇井さんは、いまや忘れられつつある人なのですね。
その時、思い出したのが、実は小田実さんです。
私にとっては、この2人は、知のあり方を教えてくれた人です。
そして私が育ってきた時代を象徴している人でもあります。
しかし、最近、その2人のことを私自身が忘れていたことに気づきました。
その矢先の訃報です。
私は残念ながら、宇井さんにも小田さんにもお会いしたことがありません。
雑誌や本でしか、その言動に触れたことはないのですが、この2人の生き方からは大きな刺激をもらっています。
現場から発想し、柔軟に発想し、自分の言葉で考え、考えたことは行動する、という生き方です。
私がそれを実現できているかどうかは確信がありませんが、極力、そうつとめてきました。
宇井さんは、日本に新しい学びの場を創出し、そこで学んだ人は少なくないでしょう。
小田さんは、新しい学び方を提案し、それに刺激された人は少ないでしょう。
宇井さんの言葉で、印象に残っているのは、「法律1本、世論3年」です。
公害基本法が成立し、それから少しずつ具体的な内容を持った実施法ができ、そのたびに問題があいまいにされていくことを指摘したものです(私の記憶が不正確かもしれません)。
これは昨今また繰り返されています。
小泉・安倍政権は法律を作ることで世論をおさえ、その矛盾が出てくるとまた次の法律をつくるということを繰り返しています。
法律を作ることは、政府の役割であっても、目的ではありません。
小田さんの言葉は、「何でも見てやろう」です。
それも自分の身体で、現場に行って見ていくわけです。
その背景には「まあどうにかなるやろ」精神があります。
小田さんといえば、「ベ平連」活動ですが、その活動自体も今では忘れられているのかもしれません。
2人とも、常に「暮らし」の視点にたっていました。
しかし、「自主講座」も「ベ平連」も、過去のものになりつつあるようです。
時代は再び、新しい学びの場、新しい平和運動の場を必要としているような気がしますが、宇井さんや小田さんのような実践の人がまた現れてくることを思わずにはいられません。
小田さんは、彼岸で何を見ているのでしょうか。
その旅行記を読みたいものです。
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