« ■シビリアン・コントロールの歯止めの喪失-佐藤正久議員の場合 | トップページ | ■戦後レジームからの脱却の意味すること »

2007/08/15

■不戦の誓いの出発点は憲法9条の堅持でしょう

62回目の終戦記念日です。
広島・長崎への原爆投下日は、おそらくだれもが意識し、意識させられますが、終戦記念日はあまり意識することもなく過ごしがちです。
知人が今日を「日本建国記念日」にしようという提案をメーリングリストで流してきましたが、今日が祝日になっていないのは確かに不思議です。
8月15日は、私たちの新しい歴史の出発点ですから、もっとしっかりと意識する仕組みがあっていいように思います。

今日の全国戦没者追悼式で、安部首相は「不戦の誓いを堅持」と表明したと報道されています。
この表現は、小泉前首相と同じものだそうですが、憲法9条を変えて戦争の世界に復帰しようということを実践している人が唱える「不戦の誓い」とは何なのか、私には理解しがたいことです。
言葉遊びはやめて、具体的に不戦への行動を起してほしいものです。
その出発点は、不戦を誓い、不戦の仕組みを明言した日本国憲法9条を堅持することの明言です。
そして、核の傘に守られるような国策の見直しです。
核の傘に守られながら、ノーモア広島を叫ぶことには大きな違和感があります。
その発想は、久間前防衛相の「しょうがない」発想と同じなのではないかと思います。
さらに、私自身は脱原子力発電もビジョンとして掲げるべきだと思います。
核兵器と原子力発電は、結局は同じものです。

戦争終結から62年。
「終戦記念日」をいつまで続けられるのか、不安です。

|

« ■シビリアン・コントロールの歯止めの喪失-佐藤正久議員の場合 | トップページ | ■戦後レジームからの脱却の意味すること »

政治時評」カテゴリの記事

平和時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■不戦の誓いの出発点は憲法9条の堅持でしょう:

« ■シビリアン・コントロールの歯止めの喪失-佐藤正久議員の場合 | トップページ | ■戦後レジームからの脱却の意味すること »