■もしかしたら「危うい話」
「少し危うい話」「かなり危うい話」を以前書きました。
今回は「もしかしたら危うい話」です。
私は静電気を帯びやすい体質です。
空気が乾燥している冬季には、車や玄関のドアを開けようとすると火花が出て、身体にかなりの衝撃を受けるので、怖さを感じます。
身体の一部が振動し、静電気を放出しているのではないかというような気になることもあります。
音すら感ずることもあります。
時には自分は電気仕掛けのアンドロイドではないかと思うことさえあります。
やや思考回路に欠陥があるアンドロイドですが。
静電気はたぶん生命エネルギーにつながっていると思いますが、そうした静電気が念力につながらないものかといつも思っています。
これまでいろいろと試みたことはありますが、残念ながらまだ効果を確認できません。
女房のがんが再発して以来、いろいろと挑戦をしています。
私にもし念力があれば、女房を元気にできるはずです。
呼吸が苦しい女房の胸に手をかざして、全宇宙のエネルギーを自分に集中させると、数分で私の手の甲が温かくなってきます。
そこで女房の患部に向けて、放出するわけです。
一度だけ、ちょっと呼吸が楽になったといわれましたが、その時以外は、苦しんでいる女房からそんなことよりマッサージをしてほしいといわれてしまっています。
そこで彼女に気づかれないようにやっていますが、残念ながら効果がでてきません。
時には女房から手で払われることすらあります。困ったものです。
しかし、手で払われるということはきっと何がしかの念力が出ているわけです。
女房がお腹のガスが出なくて苦しんでいる時にも同じように手かざしで念じました。
エネルギーを集中するのは結構大変で汗びっしょりになります。
その時もそうでしたが、おならが出たのは女房ではなくて私からでした。
力が入りすぎたのです。いやはや、女房からは笑われてしまいました。
ガスよりも笑いのほうが癒し効果はありますので、まあこれは成功です。
しかし念力の効果はなかったわけです。困ったものです。
そんなことで、女房からも家族からも私の念力は信頼されていませんが、繰り返すことによってパワーアップできるかもしれません。
最近は光明真言を唱えています。
最近ようやく本気で唱えることができるようになりました。
きっとそのうち、効果が出てくるでしょう。
人間には誰にも念力があるはずです、
すべての生命は宇宙につながっており、その生命力の源泉は宇宙です。
宇宙は無限に広がっていると同時に、インドラの網のように個々の生命体のなかに凝縮されています。ですから宇宙の全エネルギーは、本来、個人の身体にも宿っているのです。
その念力を思い出さなければいけません。
仮に私が出来の悪いサイボーグだったとしても、宇宙のエネルギーの一翼を担っているとすれば、必ず念力は持っているはずです。
いつもと違い、不真面目の記事だと思われるかもしれません。
そんないい加減な看病をしているのかと呆れられるかもしれません。
しかし、不真面目でもいい加減でもなく、私は極めて真剣に念力開発に取り組んでいるのです。
念力が奏功して、女房の元気が回復することを心底目指しています。
ですから、みなさんもぜひ私にエールを送ってください。
みなさんからの念力が私の力不足を、きっと補ってくれるでしょうから。
さて今日も汗をかきながら、念力を試みます。光明真言を唱えながら。
あまり皆さんには見せたくない姿ですが。
ちなみに、「もしかしたら危うい話」とタイトルをつけましたが、その意味は、この記事を読んだ人が、「もしかしたら」私を「危うい人」と考えて、このブログの説得力が一挙に瓦解する「危うさ」があるということです。
まあ、もともとこのブログには説得力などないよという人が多ければ、これは杞憂におわるのですが。はい。
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コメント
ご無沙汰しています。
時々こちらのブログ読ませて頂いていました。
確かにいつもの貴ブログの内容からすると「もしかしたら危うい話」に見えるかもしれませんが、人が目に見えない世界に気付くようになるには様々なきっかけがありますから、佐藤様の場合は奥様のご病気がその契機になったのかもしれませんね。
私も様々なヒーリングをこの目で見てきましたが、確かに人の生体エネルギーは他の人にも不思議な作用を見せます。
念力というと怪しげですが、佐藤様の愛情は間違いなく奥様のご病気に作用しているはずです。
投稿: 篠野涼子 | 2007/08/31 15:17
私は「少しも危うくない」と思いながら、この記事を読ませていただきました。
昨日(9月1日)の朝日新聞朝刊に『病院に笑いを 患者を癒す「道化師」たち』という日赤豊田看護大の奥村さんという教授の記事が掲載されていました。
笑いやユーモアが、あるいは音楽が人を癒すということの中には、あたかも「人間のことが全部わかった」かのような、あるいは「全てわかる」というような姿勢の中からは、やはり「危うい」と映るでしょう。
人に思いを馳せるのは、音楽そのものだったんだ…と感じています。
はるか遠くから、でも、まっすぐに、奥様のもとに私も“念”をお送りしたいと思います。そして、佐藤さんにも…。
投稿: 西川義夫 | 2007/09/02 10:56