■戦後レジームと整合しなかった政治の仕組み
昨日の続きです。
「戦後レジーム」という言葉に込められている仕組みについて、考えてみたいと思います。
おそらく安倍首相が述べているのは、こちらのほうに重点があるような気がします。
多くの場合、体制は仕組みと考えられがちですから。
しかし、いうまでもなく、レジームの本質は理念であって、仕組みではありません。
ただし、レジームの理念は現実の仕組みによって実体化されます。
その意味では、戦後レジームは必ずしも「国民主権」「人権尊重」「戦争放棄」ではなかったかもしれません。
そこで、話はややこしくなります。
理念と整合していなかった「戦後レジーム」を正す、という考えが成り立つからです。
もちろん、安倍首相の提唱する「戦後レジームからの脱却」は、これとは正反対の考えです。
実はそこにこそ問題があります。
全く正反対のことが同じ言葉に含意されるために、本来的な意味での議論も合意も成り立たなくなり、同床異夢のままに思わぬ結果に到達することがあるのです。
これが、民主主義の落とし穴の一つです。
改憲も靖国も、民営化も年金もすべてそうしたなかで、問題の本質は何も問われないままに誘導されてしまうこともあるのです。
気がついた時には、多分、後の祭りというわけです。
どうも本論に入る前の話がいつも長すぎます。
すみません。
話を戻せば、仕組みと理念が不整合であれば必ずいつか破綻しますが、その破綻を回避するためには、仕組みを見直すか、理念を見直すか、です。
多くの場合、仕組みは見直されることはありません。
仕組みは段階的に育っていくものであり、育つ過程で膨大なしがらみ(利得構造)を形成していくからです。
しかも、多くの人は理念よりも現実から考えることが好きですから、理念など語っても関心を持ちません。
そこで学者や評論家、さらにはマスコミが、理念を現実の視点から小賢しく「解釈」します。
宇井純さんが生前に指摘していたように、解釈する人は例外なく現実主義者です。理念も良心もほとんどありません。いや、あったらそんなことはできません。
ところで、日本の戦後レジームの理念を実現するために、どのような仕組みがつくられてきたでしょうか。
コアになったのは、官僚主導の中央集権の仕組みと経済と政治が一緒になっての経済成長優先の仕組みです。
その仕組みは、実は「戦前のレジーム」とほぼ同じです。アメリカ型の金銭経済優先の考えが新たに追加されましたが、それはレジームの変革にはつながりませんでした。
金銭経済優先主義は、格差や環境破壊を必然的に帰結しますが、それは経済成長路線を支える条件でもありました。
幸いにまだ「対外的な侵略」や「戦争」にはたどりついていませんが、その方向に急速に向かっています。
戦前と違う仕組みはなかったのでしょうか。
多様性が許容される代議制がつくられ、新しい国家理念を教える学校教育もはじまりました。しかし、いずれも徐々に「戦前の理念」に侵食され、形骸化されました。
それを加速したのが、金銭経済優先の競争文化です。
安倍首相が脱却を目指す「戦後レジーム」の仕組みとなんでしょうか。
それはもう少し書き込まないと行きつけません。
また「つづき」にさせてください。
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