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2007/08/20

■膨大な声が抹殺されている現実

今この時にも、イラクやアフガンでは不条理にも市民が生命の危機にさらされ、時に三桁の数の市民が殺害されています。
それに比べれば、日本はなんと平和なことでしょう。
言い方が悪いかもしれませんが、熱中症に気をつけないといけないと心配するくらいで、ゲリラの被害や対テロ対策のコラテラル・ダメッジの対象になる心配などする必要もありません。
「たぶん」ですが。

しかし、そうした平和の風景の背後で、実はさまざまな怒りや不安の声が語られています。
ネットの世界で情報収集したり、情報交換したりしている人たちには、そうした「もうひとつの世界」が見えているはずです。
そこでの議論を読んでいると、日本も決して安泰ではないことに気づかされますし、日本とイラクとのつながりも感ずることができますが、そうした声はなかなか大きな流れになって、現実化するまでにはいきません。
言説の世界での元気な議論で終わっているのが多くの場合です。
まさに「もうひとつの世界」になってしまっているわけです。
とてもむなしい話です。やりきれない気分がします。

時に、そうした声の一部はマスコミに取り上げられたりすることもありますが、あまり表面にはでてきません。
新聞やテレビを情報源にしている人たちには、そうした声やそれに伴う動きは見えないかもしれませんが、ネット上やオフラインの場で語られる膨大な声が存在していることはもっと認識されてもいいように思います。
市民ジャーナリズムも広がっていますし、メーリングリストなどでの意見交換の広がりは加速してきていますし、そうした声が実際の行動に育っていくこともないわけではありません。その動きはこれからもっと大きくなっていくかもしれません。

しかし、残念ながら膨大な声のほとんどは抹殺されているのが現実です。
そこで語られていることの多くは、私にはとても共感できるものが多く、テレビなどで語られている瑣末なニュースよりも重要なことに思えます。
にもかかかわらず、瑣末な事件もマスコミが取り上げると大きな事件になり、私たちの目はそちらのほうに向きがちです。
そうした声を伝えるべきマスコミなどのジャーナリズムやジャーナリストが、逆にそうした声を見えなくしている現実も皮肉な話ですが、誰の視点からのジャーナリズムかによって、情報の価値評価は変わってくるので、それもまた仕方がありません。
ニュースは「存在」するのではなく、マスコミによって「創出」されることはいうまでもありません。
マスコミの見識は国民の幸せを決めていきます。

いずれにしろネット上で語られている膨大な声が、ばらばらに仲間内の内部発信に終わりがちなのがとても残念です。
同じようなイベントも少なくありません。
これだけのエネルギーが、現実の行動として結集し、顕在化したら、歴史は変わっていくように思えてなりません。

しかし多くのそうした声は、それを目指していないのかもしれないという気もします。
私もまた、最近はそんな気分になってきています。
どうしてでしょうか。

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