■世界への批判は自らへの批判?
最近、私自身の「気」が沈んでいるせいか、元気が出るようなことを書けずにいます。
文章には、書き手の状況がしっかりと出てしまうものです。
このブログは、考えがまとまってから書くのではなく、書きながら考えているので、支離滅裂だったり内容がなかったりすることも少なくありませんが、それは私の状況がそうだからなのです。
まさにこのブログは、私のとっては日記なのです。
このブログを初めてから、いくつか気づいたことがあります。
たとえば、自らが置かれている心情が世界の風景を決めていくということです。
また自分が直接関わっている小さな世界と自分からは遠いところにあるものも含んだ時代的な大きな世界も、重なっていることにも気づかされました。
世界は本当にホロニックな構造にあります。
もしかすると、このブログに書かれている批判は、すべて自らへの批判と言ってもいいでしょう。人は自分のことしか批判できないのかもしれません。
そう考えると、あまり説得力が出てきませんね。
そんなことを考えたのは、この3週間、ほとんど自宅で自閉的に暮らしているからかもしれません。
いや、最近の酷暑のせいかもしれません。
「酷暑」もまた、自らの生き方と考え方の結果なのでしょうが。
どんなに暑くても、涼しく生きている人もいるのですから。
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