■節子への挽歌8:欽ちゃんは1日でいい、でも私は毎日。
欽ちゃん球団が、野球の全日本クラブ選手権で優勝しました。
欽ちゃんがテレビで嬉しそうに話しているのを見て、また節子のことを思い出しました。
欽ちゃんは今年の24時間テレビのランナーになって、走りました。
最後は辛そうでしたが、完走を果たしました。
そのテレビを闘病中の節子は見ていましたが、その終わりごろにフッとつぶやきました。
「欽ちゃんは1日がんばればいい。でも私は毎日がんばらないといけない」。
そう言って、テレビから目をはなしました。
その言葉は、私には忘れられません。
毎日がんばっている人がいます。
欽ちゃんは1日で完走できましたが、完走できずに毎日、走り続けている人がいます。
節子は完走できずに息を引き取りました。
節子さんも完走できたんだと慰めてくれる人がいるでしょうが、
完走できたかどうかは一緒に走っていた私にはよくわかります。
無念で辛いことですが、節子は完走できませんでした。
その事実は否定できません。
しかし、完走できなかったから努力が報われなかったというわけではありません。
努力やがんばりは、その行為自体によって報われていると私は思っています。
節子もそう思っているはずです。
節子は医師たちが驚くほどに気丈夫でした。
弱いところがある半面で、辛さに耐える人でした。
耐えながらも、弱音を吐くという素直さもありましたから、私は節子の弱さと強さをよく知っています。
にもかかわらず、いろいろと誤った判断をしてしまったことをいま悔いています。
欽ちゃんは1日でいい、でも私は毎日。
節子の、その時の思いを思い出すたびに、涙がとまらなくなります。
そして、そういう人たちが、節子の他にもたくさんいることを思い出します。
節子の言葉には、そういう人たちへの思いが感じられました。
節子はいつも、いろいろな人への思いを忘れない人でした。
節子は毎日をほんとうに真剣に走り抜けました。
完走はできませんでしたが、その毎日が彼女と私の誇りでした。
毎日がんばっている皆さんがもしいたら、ぜひとも節子のようにがんばってほしいと思います。
節子もそう思っているはずです。
そして仮に完走できなかったとしても、完走以上の大きなものを得ることができるように思います。
いまは何を見ても、何を聞いても、節子のやさしい顔が私の頭を覆ってしまいます。
ほんとうに、やさしくて強い人でした。
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