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2007年9月

2007/09/30

■舛添厚労相と長妻昭議員の協力を期待します

舛添さんの年金問題への取り組みはとてもわかりやすいだけでなく、生活感覚の言葉で、しかも具体的に言い切るところが信頼できます。
私自身は、これまでの舛添さんの言動には違和感があり、好きな学者でも政治家でもありませんでした。
しかし、厚労相就任以来の言動はとても好感が持てます。
目線と対象がしっかりしているからです。
「年金問題に関する政府(国)への信頼感を回復すること、それが自分のミッション」だという言い方も好感が持てます。
厚生労働省の官僚たちへの批判も辛らつですが、自らもその内部の人間だと明言するのも潔いです。

私は自民党も民主党も終わった組織だと思っていますし、そもそも二大政党制そのものが過去のものだと思っています。
価値観や問題が多様化し、しかも情報処理技術が一変しているいま、二大政党ではなく異質性を多様に包摂するダイナミックな意志決定システムが必要になっているからです。

舛添さんも所詮は、古い政治の枠組みの人でしょうが、その言動には新しい政治の可能性も感じられます。
いわゆるポピュリズムではない、生活者感覚の政治です。
それに生活者らしい、シンプルな怒り方もわかりやすいです。
小泉前首相との類似性を指摘する人もいますが、
言葉に実体がありとビジョンが明確なので、全く違います。
政治全体から考えれば、大きな欠落や不整合はあるのでしょうが、
生活者の怒りを具体的に代表してくれています。

もっとも、私は舛添さんが依然として好きにはなれませんし、その考えや提案にも必ずしも賛成ではありません。
「公を司る官より民が信頼できるというのはおかしいが、今はそれが実状だ」というような発言を昨日テレビで見ましたが、そういう発想は私には受け入れがたいです。
あまりに粗雑で、問題の本質を見失わせる議論だからです。

にもかかわらず、舛添さんの言動には新しい政治の可能性を感じます。
民主党も論争だけではなく、政党を超えて、ぜひ大きな目標にむけて、協力してほしいものです。
長妻昭議員と舛添議員が力を合わせれば、事態はもっと大きく変わるでしょう。
舛添さんも、政党の呪縛から解放されてほしいものです。
生活者視点に立つということは、政党を超えるということなのですから。
政党に呪縛されることなく、政党を使い込む主体性が必要です。
もちろん一部の政治家のように、自らのために政党を利用する事は許しがたいですが。

舛添さんのおかげで、政治への期待が少し出てきましたが、その一方で、鳩山法相のような政治家もまだ少なくありません。
私は死刑反対論者ではありませんが、鳩山さんの発言は許されるものではありません。
彼にはリーガルマインドも生命の尊厳への畏れも、権力への謙虚さも感じられません。

こうした両極端の政治家を包摂している福田政権は、もしかしたら多様性への寛容さを活かした、新しい政権のモデルを示唆していくかもしれません。
福田政権は短期政権だとは思いますが、これまでの政権とはちょっと違うようなものを感じます。
旧体質な政治に戻ったのではないと思います。
いやそう思いたいです。


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■節子への挽歌26:修は女性のことを本当に知らないのね

私は節子にほれ込んでいました。
最初からそうだったわけではありません。
節子への私のプロポーズの言葉は、「結婚でもしてみない」でした。
節子はなんと無責任なプロポーズだと思ったそうですが、不思議なことに当時の私のイメージからすると違和感がない言葉だったそうです。
誰でもよかったなどとはいいませんが、結婚とはそんなことだろうと思っていました。
私がプロポーズした時にも、節子には付き合っていた男性がいました。
しかし私にとってはそんなことはどうでもよく、プロポーズしたときにはただただ節子と一緒にいたかっただけです。
節子は私ほど私に惚れていたわけではありません。
惚れていたのは私です。
節子は押し切られて結婚してしまったのです。

その後、ずっと節子に惚れ続けていたわけでもありません。
まあいろいろとありましたし、節子は結婚を少しだけ後悔したこともありました。
親戚の反対を押し切っての結婚でしたから、私以外の人には言いませんでしたが。
私たちはどんな時も、お互いに正直でした。

私と節子が完全に世界をシェアしたのは、たぶん私が会社を辞めることを決めた頃です。
自分の納得できる生き方をするべきだと決めた私を、節子が何も言わずに全面的に支援してくれました。
2人で新しい世界を創りだそうと合意したのです。
専業主婦だった節子は苦労したはずです。
収入がなくなって、ただでさえ少なかった貯金がどんどんなくなっていくなかで、経済的にも不安が大きかっただろうと思います。
しかし、そんなことは一言も言いませんでした。
世間的な意味でのさまざまなものを捨てることに、節子は微塵も未練を持ちませんでしたし、私の身勝手な活動にも一言も異議を唱えませんでした。
退社した時に言ったのは、「25年間、家族のためにありがとう」という言葉でした。
以来、私にとって節子は「生きる意味」を与えてくれる人になりました。
そして私たちの人生は、まさに一つになったのです。
私たちほど信頼し合い、愛し合えた夫婦はないと自負しています。
まあ、それがなんだと言われそうですが。

節子が一番だと言葉にする私に、節子はよく、修は女性を知らなすぎるねと笑っていました。もっとすばらしい女性がたくさんいるのに、と。
そうかもしれません。
しかし、私には、節子のなかに、すべての女性がいたのです。
ですから、私はすべての女性を知っていると自負しています。
まあ、それがなんだと言われそうですが。

華厳の思想にある「一即多・多即一」のように、節子にはすべてがありました。
節子と話していると、世界が見えたのです。
そして自分自身も見えました。
節子は、私には鏡でもありました。

節子は私と一体でした。
ですから、節子がいなくなっても何も変わらないはずがなのですが、鏡に映る自分がいなくなってしまったことの意味はとても大きいです。
何も変わらないのに、何だかすべての存在感が急に希薄になってしまったのです。
いま、とても不思議な世界を、私は生きているような気がします。
時々、大きな不安が襲ってきます。
まあ、それがなんだと言われそうですが。

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2007/09/29

■ミャンマーと格差社会:格差図式のフラクタルな展開

昨日、最後に「格差図式のフラクタルな展開」が問題だと書きました。
少し敷衍します。

現在の成長志向の資本主義経済の根底にあるパラダイムは「格差」です。
格差の上に、「商品」が成立し、「取引」や「市場」が成立します。
小泉前首相が「格差は活力の元」といいましたが、その言葉に象徴されるように、格差がなければいまの経済は成り立ちません。
そして成長とは、その格差を増大させることです。
格差社会といわれるようになったのは、社会の価値観が金銭的なものに画一化され、固定化されたためです。
もっと経済格差が大きかった時代もありますが、その時は他の社会価値観がたくさんなりましたし、何よりも「アメリカンドリーム神話」が生きていました。
さらにはセイフティネットという言葉など不要なほど、支え合う仕組みや家族関係、近隣社会が存在していました。

経済格差をもっと極端化したのが、北朝鮮やミャンマーです。
そこまで格差を顕現させると、よほどの暴力機構を用意しないと国民は支配できませんから、そこまでの格差は避けるのが効果的です。
もっとも、格差を隠す手段はたくさんあります。
ローマの「パンとサーカス」もそうですが、スポーツ選手やタレントなどの国民栄誉賞的な人気者の報酬を吊り上げるのも、その一策です。

ミャンマーの軍事政権は今回の失策で変化するでしょうが、それを支えているのは実はミャンマー国内の力だけではありません。
ミャンマーの国内的格差構造は、さらにその上位の国際世界につながっていきます。
よく言われるように、天然ガスに対する中国の利害関係を通して、格差構造の維持は国際的にも支えられているわけです。
その上に国連や世銀があることはいうまでもありません。

いつ破綻してもおかしくない北朝鮮の格差構造がこわれないのも同じことです。
イラクもまた本来の意味で、つまり人道的な意味で復興されては困るわけで、その意味で格差を隠すための不条理な対立図式が持続されているといってもいいでしょう。
イスラエルやパレスチナも同じですし、ブッシュの足元のアメリカにさえ、そうした格差構図は現存しています。
格差があればこそ、支配は容易になりますし、格差の増大もやりやすくなります。
そうした事例は、日本の歴史の中にも見られます。

経済格差という切り口から見ると、実はいまの社会は、格差が階層を成して、絡み合っているわけです。
複雑系の経済の議論の時によく話題になった「フラクタルな構造」がそれを巧みに支えているわけです。
フラクタル。全体と部分とが自己相似形になっているということです。
華厳でいえば「一即多・多即一」、清水博さん的にいえば、ホロニックです。
ですから、どこかの一角が壊れると全体に大きな影響を与えます。
したがって、よほどのことがなければ壊す動きは体制側(現レジーム)からは出てきません。
出てきても、体制に内在する現状維持のための動き(ホメオスタティス)に妨げられます。
そこを突き破ろうとすれば、「テロ」になるか、「テロ」にされるかのいずれかです。

理屈っぽい議論をしてしまいましたが、要は私たちの生活もまた、ミャンマーの今回の事件につながっているということです。
そうした世界の対極にあるのは、宮沢賢治の「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」世界です。そこでは「格差」の不在、あるいは多様な価値観による格差の相対化が社会の構成原理になります。
金銭の意味合いは全く変わり、世界の風景は一変するはずです。

ミャンマーの不幸な事件は決して他人事ではありません。

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■節子への挽歌25:節子と抱き合えないことがまだ実感できません

節子がいないさびしさに自然と涙が出ることが少なくないのですが、
その一方で、未だに節子がいなくなったことが実感できないでいるのも事実です。
認めたくない現実は受け入れないのが人間かもしれません。

朝起きて最初に口に出るのが「せつこ、おはよう」です。
日中も自然と節子に話しかけることも多いです。
時折、表現できないような不安感に包まれることがありますが、節子の顔を思い出すと、次第に収まります。
節子とまた会えるのではないかという思いがあるのです。
荼毘の現場にいましたから、そんなことはありえないことはもちろん知っていますが、
にもかかわらず節子が突然ドアを開けて帰ってくるような気がしてなりません。

節子は私をおいて友人たちと3週間ほど旅行に出かけたことがあります。
まあ、そのときと同じような気が、どこかでしているのです。
節子とあまりに時間を重ねてきたおかげで、その不在に現実感を持てないのです。

旅行で留守にしているのと、違いはなんでしょうか。
節子の声が聴けないことです。電話がかかってこないのです。
しかし、一番の違いは、節子と抱擁しあえる日が二度とこないことです。

抱きしめることができず、抱きしめてもらえることができない。
いつでも抱擁しあえると思えば、抱擁しあう必要もないのですが、
それができないことを知ることは辛いことです。
その寂しさはどうしようもありません。

私が元気を失った時、節子はいつも私を抱きしめてくれました。
節子に抱かれていると、どんな不安も迷いもなくなりました。
こんなことをいうと笑われそうですが、私が自分の思うように生きられたのは、
何が起ころうと最後に節子に抱いてもらって慰めてもらえたからです。
どんな失敗も、どんなに辛くて悲しいことも、節子は忘れさせてくれました。
そうであればこそ、私には怖いものなどなかったのです。
でも今は違います。
元気がなくなっても、回復させてくれる「魔法の力」は失われました。
元気をなくさないように、静かに生きたほうがいいでしょうか。

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2007/09/28

■テロ特措法とミャンマー軍事政権

ミャンマーの反政府デモはますます暴力的になり、死者が増えています。
この対立図式は、昨日書いたように、「やつら」と「大衆」に象徴されるような、権力と生活です。
テロ特措法の必要性が福田政権から「当然」のように語られます。
テロ特措法の根底にある構造図式もまた、「権力 vs 生活」のように思います。
短期的なテロと違って、これほどの長さと広がりを持つテロは、必ずその背景に「生活」があります。
パレスチナもアイルランドもそうでしょう。
生活を基盤にした反政府活動はテロと言えるでしょうか。
生活の基盤に立って考えれば、ミャンマーのデモ鎮圧こそ、テロ行為に感じられます。
同じように米国のイラク侵攻はテロ行為かもしれません。
テロは自爆や乱射のような直接的な暴力行為に限定されるわけではありません。
9.11事件の前の世界企業による生活の圧迫の手段はさまざまな形をとって行われたはずです。
追い詰められて僧侶が立ち上がった。
追い詰められて自爆者が立ち上がった。
共通点があります。
日本では年収200万円に満たない人が1000万人になりました。
テロ特措法の対象は、もしかしたら日本社会にも向けられているのかもしれません。

想像力が求められる時代です。
ミャンマーの軍事政権はまもなく崩壊するでしょうが、テロ特措法の発想は、ミャンマー軍事政権のやり方と同じだと私は思います。
テロなどという言葉で簡単に考えるべきことではありません。

格差図式のフラクタルな展開、ここに問題があるように思います。

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■節子への挽歌24:夫婦が一緒に歩いているのを見ると嫉妬してしまいます

昨日、娘と一緒にスーパーに行きました。
節子が元気だった頃は、節子とよく一緒に買い物に行ったものです。
見境なく商品をかごに入れる私に、節約家の節子はいつも困っていましたが、
一緒に通っているうちに、私の方が節約家になりました。
そうしたら今度は品質や原産地をきちんと見るようにと指導されました。
節子から学んだことは少なくありません。
病気になってからは、あなたも一人で買い物できるようにならないといけない、とよく言われましたが、おかげで商品を選ぶポイントはだいぶ身につけました。

最近は夫婦で買い物をしている人が増えています。
そういう人たちを見ると、どうしても節子のことを思い出します。
なんで私の横には、節子でなくて娘なのだと思ってしまいます。
同じような世代の夫婦に出会うと、とても嫉妬してしまいます。
私たちも、そうありたかった、と思うのです。

私たちは本当に一緒で行動することが多かったです。
私がむしろ節子にくっついていたのかもしれませんが、そばに節子がいるだけで幸せでした。
もっとも節子は迷惑だったかもしれません。

一番、寂しくなるのは、旅行に行く夫婦を見かけた時です。
ついつい目をそらしてしまいます。
市川さんが、奥さんと一緒に、「同行2人」で、熊野古道に行きませんかと誘ってくれました。
奥さんと一緒。
そうか、節子はいつも私と一緒にいるんだった。
これからは嫉妬するのをやめようと、その時は思いました。
でもやはり仲のよさそうな夫婦を見るとうらやましさとさびしさにおそわれます。

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2007/09/27

■節子への挽歌24:時に癒してほしくはありません

また勝手なことを書きます。
悲しんでいる私を見て、「時が癒してくれますよ」と多くの人が言ってくれます。
そうかもしれません。
しかし、私自身は、「時になど癒してもらいたくない」と思っているのです。
時がたてば哀しさが消えるとは全く思っていませんし、なによりも、時に癒されたくなと思っているのです。
いいかえれば、この悲しさをずっと背負っていきたいと思っているのです。
慰めてくださる方々の思いやりには感謝していますし、そのことの正しさもわかってはいるのですが。
天邪鬼ですみません。
節子が知ったらまた始まったと苦笑いをすることでしょう。

現実はどうでしょうか。
実は日を経るにつれて、悲しさは大きくなってきています。
節子のいない生活に慣れることはあっても、悲しさや寂しさは小さくなることはありません。
むしろ節子のいないことを実感するたびに、悲しさは積み重なるのです。
辛さも日を経るたびに現実のものになってなってきます。

どうも私の場合は、時が癒してくれるのは無理そうです。
むしろ節子と別れたその瞬間の世界に永遠にいつづけたいというのが本音です。
時がたつほどに、節子との距離が遠のくようで不安でなりません。
時が癒してくれるような、そんな悲しさや寂しさであれば、私もそう辛くはないのですが。

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■ミャンマーの僧侶デモ鎮圧事件とパリ5月革命

ミャンマーの僧侶のデモはついに死者を出すまでになってしまいました。不幸なことです。
そのテレビを見ていて思い出したのが、フランスのパリ5月革命(1968年)でのドゴールの発言です。

NHKで放映された「五木寛之 仏教への旅」の第3回目に、パリ5月革命の回顧場面がありました。
学生運動から始まり、労働者によるゼネストなど、大きな民主化運動として広がったパリ5月革命は、世界に大きな影響を与えましたが、当時、学生として運動に参加していた女性の発言が印象的でした。

デモ行進している私たちに対してドゴール大統領は、「やつらが公共の秩序を乱すことは許されない」と糾弾した。そこでデモに参加している学生や労働者たちは、「私たちは、『やつら』ではない。『大衆』だ」と叫びました。「ドゴールは、私たちのことを公共のゴミのようなものだと言ったのです」。

「やつら」と「大衆」。
現代の世界を鳥瞰して時代を展望する時に、大きな枠組みを示唆する象徴的な図式です。
ここでの「大衆」は、ネグりたちがいう「マルチチュード」と考えていいでしょう。

1960年代は、世界各地でマルチチュード意識が芽生えた時期でした。
日本ではまさに安倍首相の祖父の岸政権に対して、学生たちの日米安保闘争が盛り上がった時代です。私が大学に入った年に、樺美智子さんがデモで亡くなりました。
70年代にかけて、世界は大きく動き出しそうな気配がありましたが、結局は逆に大きな揺り戻しの中で、世界はますます「開発」され、文化の時代には向かわずに、経済の時代へと邁進したように思います。
そして、すべてが経済に絡めとられた時代になってしまいました。
政治も文化も、スポーツもアートも、教育も友情や愛情さえも。

支配者たちにとって「やつら」でしかない大衆が、そうした経済社会を支えるために駆り出されました。
そして、表情のあった個人たちは、経済秩序の構成要素に組み込まれました。
そうした視点からみれば、経済格差は「秩序」そのものなのです。

ミャンマーの今回の事件は、そうした大きな歴史の一つの象徴的事件です。
それは決してミャンマーだけの事件ではありません。
同じことが日本でもまさに進んでいます。
そうしたことにも気づかず、日本では「やつら」扱いされた賢い国民たちが秩序にしたがっていじましく生きています。
ミャンマーの事件から学ぶことはたくさんあります。

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2007/09/26

■時津風部屋の犯罪と仲間の犯罪を放置する文化

どこの社会にも仲間の犯罪や恥を隠す文化があります。
しかしそうした文化が社会に大きな弊害を起こすのを防ぐ仕組みもまた、どこの社会にもありました。
そして、おかしなことを正す仲間が自己たちの浄化のために動き出すのです、
仲間がおかしな事をしていることは、結局は仲間みんなの問題だからです。
そうした自己浄化力が機能しなくなると、その仲間組織、さらには社会そのものが機能障害を起こし、崩れていきます。

私が日本の弁護士を信頼できないのは、自らのプロフェッションの自覚がないからです。
私の知っている弁護士には、個人としては魅力的な人が少なくないのですが、仲間のおかしさを黙認しているかぎりは、同じ仲間でしかありません。
個人的には信頼できますが、弁護士としては全く信頼できません。
すばらしい人であるからこそ、彼らは恥ずかしくないのかと思うのです

牛タンメーカーが不祥事を起こしました。
賞味期限切れの牛タンを不正に再使用した事件です。
繰り返し繰り返し同じような事件が起こります。
食品業界は自らを浄化する能力を失っています。
やる気がないのかもしれません。
食品業界には信頼できる会社も少なくありませんが、同じ業界で事業展開している仲間の企業が、こうも繰り返し不祥事を起こしている状況をどう思っているのでしょうか。
競争相手の失点などとは思ってはいないでしょうが、もっと自己浄化に関心を持ち、仕組みを創っていくべきです。
そう言う動きが見えてこないのは残念です。

こうした状況は現在の財界や経済団体の姿を象徴しています。
経済界は、仲間の企業が「犯罪」を犯しても、それを排除し予防する仕組みを失ってしまっているのです。
いや、正確には創出し育てることに関心を持たなかったのです。
それこそが財界のトップのミッションだと思いまが、あまり関心はなさそうです。

時津風部屋の時太山の急死は、暴行の結果だったことが判明しました。
これはれっきとした犯罪ですが、死に至ることがなければ相変わらず仲間うちで揉み消されていたでしょう。
事件発生時、親方も部屋の仲間も、そんなことはないと言っていました。
日本の相撲界もまた、自己浄化力を失ってしまっています。
国技としての自覚や誇りはどこにいってしまったのでしょうか。
朝青龍事件も、そうしたことの現われの一部でしかありません。
国技であることの名誉は返上すべきでしょう。

学校のいじめ問題がなくならないのも、そうした文化が大きく影響しているでしょう。
仲間をかばうことは、時には大切なことです。
しかし、本当にかばうということはどういうことか、そのことを考えなければいけません。

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■節子への挽歌22:危ういかもしれない話

「危うい話」シリーズです。

長く死体と暮らしていたとか、愛する人を食べてしまったとか、猟奇事件といわれる事件が時々起こります。
そうした事件は、私にはただ「おぞましい」だけで、事件のことを知ることさえ生理的に受け付けませんでした。

節子が遺骨になってしまってから、私は毎日、その遺骨をベッドの横に置いて寝ています。私にとっては、なんでもない話ですが、たぶん他の人からは猟奇性を感ずるかもしれません。
節子がまだ荼毘にふされる前に、その安らかな死に顔に私は何回も触れました。
弔問客があると、顔を見て触ってやってくださいなどと言ったこともあります。
隣にいた娘が、注意してくれるまでは、それが「異常なお願い」である事に気づきませんでした。私には息を引き取った後も、荼毘にふされて遺骨になってしまった後も、すべてが生きていた時と同じ、愛する節子なのです。しかし、他の人にはそうではない事に気づかなかったのです。
それを一歩進めれば、世に言う「猟奇事件」になりかねないことだと、最近気づきました。
ようやく、そうした事件を起す人たちの気持ちがわかったのです。
私がもっと強く節子を愛していたら、荼毘になどふさずに、ずっと一緒にいたかもしれません。食べはしなかったでしょうが、類する行為はしたかもしれません。

今も節子の遺骨や遺影の前で一人で考えていると、世の中の「常識」などどうでもいい、ただ節子と一緒にいたいという思いに駆られます。
そうするといつも、「みっともないことだけはしないでね」といつも言っていた節子の声が聞こえてきます。
「そうだ、そうだ」といっている娘たちの顔も浮かびます。
その声が、猟奇事件を予防しているのかもしれません。

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2007/09/25

■福田内閣は何に向けての「背水の陣」なのでしょうか

福田内閣が発足しました。
閣僚はほとんど変化なしです。
国会会期中なので変えられないと言うのですが、この理由はもっともらしく聞こえてどこかおかしいです。
国会会期中にもかかわらず内閣が変わらなければならなかったのは、それなりの理由があったからなのですから。
同じでいいのであれば、首相代理を置いて対応すればいいのです。

また「難局を乗り切るための背水の陣」と、たとえば官房長官の町村さんはいいます。
町村さんが言うと何となく納得してしまいがちですが、「難局」の主語は何か、「背水の陣」の前に立ち向かうものは何なのか、言いかえれば「守るべきもの」は何なのかを明確にする必要があります。
難局に立たされているのは自民党、背水の陣の前にいるのは民主党、それが福田政権の考えていることだとしたら、それこそが問題です。

いま大切なのは、国民にとっての問題は何かを明確にするべきです。
自民党のために政治があるわけではありません。
そうした勘違いを福田政権に感じます。

節子は町村さんが好きでしたので、きっとだまされるでしょうが、私にはそうした勘違いがとても気になります。
何のための首相交代だったのか、それを忘れるべきではありません。

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■節子への挽歌21:先が見える愚かさ、先が見えない愚かさ

節子の死は主治医たちにはほとんど自明のことだったでしょう。
医学的知識を持っている医師たちには、先が見えていたのです。
先が見えていなかったのは、私と家族です。
医学的にはどうであろうと、節子は治るんだと確信していたのです。

医師に対する私の不満は、見えている先を絶対視して考えることでした。
生命体である人間は、それぞれ違う存在であり、医学の知見が絶対ではないはずです。
それにまだまだ生命体の不思議は解明されたわけではありません。
わずかばかりの知識で、判ったような気になっている医師は、私にとっては「愚かな」存在です。

先が見えるからといって、必ずしも的確な判断につながるわけではありません。
それは病気に限ったことではありません。
「先が見える愚かさ」に陥らないようにするのが、私の生き方でした。

しかし、愚かだったのは私のほうでした。
先を見ようとしなかったのです。
先が見えるが故に愚かな判断をすることは少なくありませんが、
先が見えないが故に愚かな判断をすることは、きっともっと多いでしょう。
先を見すえて、なおかつその「先のこと」に呪縛されない生き方をしなければいけません。
私もそう思っていたのですが、節子に関しては「先が見えない愚かさ」に陥ってしまっていました。
先を見すぎる医師への反発があったかもしれません。

そうした私の小賢しさは今回に限ったことではありません。
そうした私の言動を、節子はいつも笑いながら諭してくれました。
それなのに、私の、その小賢しさが、節子に必要以上の大変さを強要してしまったのです。
今回は諭すこともできずに、節子は耐えるのみでした。
私もまた、その間違いを許してもらう機会を失ってしまいました。

先が見えない愚かな人を伴侶に選んだ節子の不幸かもしれませんが、
その点では私たちは似たもの同志でした。
先を見るのではなく、先を創ろうとするのが、私たちの生き方でした。
そして残念ながら先を創れなかった。
無念です。

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2007/09/24

■日本の仏教界ができることはたくさんあります

ミャンマー(ビルマ)で、一部の僧侶らが軍事政権の「打倒」を掲げ、市民にデモへの参加を呼びかけ、2万人規模のデモが行われたとテレビで報道されました。

朝日新聞はこう報道しています。

この日は数千人の僧侶らが、昼過ぎからヤンゴンの中心部で行進を始めた。AFP通信によると、僧侶らが「これは市民のための行進だ」と呼びかけると、市民らが相次いで列に加わった。
軍事政権下のミャンマーでさえ(そうだからこそともいえますが)、仏教徒は社会に関わろうとしています。
日本の仏教界は何をしているのでしょうか。
自殺者が毎年3万人を超え、生命をないがしろにする不条理な事件が続発し、人々が支えあう生活の基盤が壊されている現実を、仏教界の人たちはどう考えているのでしょうか。
ミャンマーの僧侶たちのデモ、それを支援する人たちの映像を見て、日本の仏教界の動きが見えないことを改めて残念に思います。

日本の政治も経済界も、いまや生命をないがしろにし、支え合い生かし合うよりも、騙し合い利用し合う方向にあるように思います。
企業の業績がよくなるのと従業員や顧客が幸せになるのとは、むしろ反比例にあるのではないかと思うような状況も感じます。
経済は明らかに生命さえをも浪費し始めました。
政治もまた、国民の安寧や幸せのためにではなく、一部の人たちの利得と栄誉のためにしか動いていないようにも思います。
それを支えているのは、国民自身なのですが、その構図を見事に作り上げました。
今回の自民党総裁選ですら、その構図が見えてきます。
格差、下流社会、セーフティネットなどといった言葉が流行語になり、それが大人だけではなく、子どもたちの世界にまで陰湿な形でしみこんでいる社会を見ながら、彼らは何をしているのでしょうか。
日本の仏教界が、やれることはたくさんあります。
しかし、仏教界からは何のメッセージも出てきません。
恥ずかしくないのかと思うほど、無口です。
どうしてでしょうか。
10年ほど前に、吉野会議というのを、比叡山、高野山、大峯山などで修行してきた市川覚峯さんたちと一緒に構想したことがあります。
仏教界の良心と経済界の良心に呼びかけて、社会に問題提起するフォーラムでした。
少しスケールを大きく構想したために、プレイベントをしたところで、終わってしまいました。
いまこそそうしたことが必要な気もしますが、エネルギーはその時よりも無くなってしまっていますから、動き出せずにいます。

節子の前で毎日、般若心経を唱えながら、仏教の力を少しずつもらっていますが、こうした力を求めている人は少なくないでしょう。
自らを支える力を求めている人たちの力をつないで、支え合う仕組みをつくれば、新たな力が生み出されるはずです。
そうした仕組みを構想することが求められているように思います。
いま必要なのは、市場依存の自由主義でも、高い目線からの福祉制度でも、管理された形だけの平和でもなく、支え合う生活の知恵の仕組みではないかと思います。

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■節子への挽歌20:定型文の豪華な弔電はやめませんか

今日はちょっと社会時評の内容も含めて、節子への挽歌です。

節子の葬儀に関して、たくさんの弔電が届きました。
送ってくださった方々には感謝していますが、私はこの弔電の送り方にかなりの異論をもっています。
弔電にではなく、弔電の送り方やスタイルに、です。

せっかく弔電を送ってくださった方には大変失礼なことになりますが、今回はあえて書いておこうと思います。
問題は、弔電の多くが定型文だということです。
そして、弔電の文章を包むカバーが立派過ぎることです。
中には漆塗りのものもあります。
この2つは、私が最も嫌う文化を象徴しています。
せっかく送ってくださった皆さん、本当に申し訳ありません。
みなさんのお心遣いには微塵も疑いを持っていませんが、この文化は早くなくしたいと思っているのです。
お許しください。

今回、自分の言葉で電文を書いてきてくれた方はほんの数人でした。
告別式ではそのうちの2つを読み上げてもらいました。
しかし、郵政公社は、どうして定型文などを用意しているのでしょうか。
それさえなければ送る人は少しの時間、相手に思いを馳せるはずです。
商品を選ぶようなやり方は、弔電にはふさわしくありません。
郵政公社のコストダウンには寄与するでしょうが、日本の文化を壊すものです。
死者への冒涜ではないかとすら私には思えます。

さらに腹立たしいのが、電文を包むものが年々立派になってきていることです。
その一方で、電文が書かれる肝心の用紙は年々粗雑になってきています。
発想が完全に間違っています。
メッセージは軽視し、包装を立派にするのは、金銭至上主義の象徴です。
しかも、明らかに資源の無駄遣いです。
私はそうした弔電は廃棄しますが、その時にとても悲しい気分になります。
それを知っているために、弔電をもらった時にとても悲しくなります。

包装の立派さで弔意の重さが決まるのでしょうか。
そんなはずはありませんが、それがまさに今の社会の文化を象徴しています。
私が一番嫌悪する文化です。

意外だったのは、こうしたことに批判的なはずの信頼する友人が、一番立派な包装の弔電を送ってきたことです。
彼は女房のことを深く心配し、いろいろと応援してくれた人ですから、思いを込めたのだと思いますが、彼がまさかそんな選択をするとは予想もしていませんでした。
私のことを良く知っている彼なら、一番質素な包装を選べたはずです。
しかし、豪華さの段階がある以上、そうなってしまうのかもしれません。
私も一番質素なスタイルで送るのには躊躇するかもしれません。
他人のことをとやかく言える立場ではありません。

弔電のカバーは格差をつけずに、すべて同じにすべきです。
弔電に経済的な格差をつけるのは、極端に言えば、生命を差別化することです。
郵政公社の、そうした卑しい商売主義は正すべきです。
しかし民営化で、この方向はますます進むかもしれません。
心卑しい人たちが経営者になっていますから。
彼らの前歴を見ればそう思わざるを得ません。

弔電は喪主宛に届きます。
これにも違和感があります。
弔辞などは死者宛に読み上げられますが、弔電はなぜ家族に当てられるのでしょうか。
葬儀は死者のためのものではなく、残された人たちのためのものからかもしれません。
そのことにも私は違和感を持っています。
喪主宛には手紙がいいでしょう。急ぐこともありません。

今回の葬儀は、節子を親しく知っている人だけに伝えたのですが、こういう情報は見事に伝わるものです。
節子に会ったことのない人まで弔電をくれました。
それはうれしいことですが、私にはいささかの違和感があります。
こんなことをいうと、せっかく弔電を送ってくれた人は怒り出すかもしれません。
すみません。
送ってくれた人への不満をいっているのではありません。
そういう形になってしまう文化や仕組みを問題にしているのです。

告別日までに2人の方から手紙をもらいました。
ご自分の言葉で、私への弔意を書いてきてくれました。
私にはとてもうれしい手紙でした。
女房に読みか聞かせました。
とても心が和みました。

弔電の文化は、そろそろやめても良いように思います。
少なくとも私は定型文の弔電は打ちません。

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2007/09/23

■自民党総裁選への民主党のコメントは暗いですね

久しぶりにニュースを見ました。
自民党総裁選の報道です。
最近、節子の世界に浸りきっているためにニュースなどあまり見ていなかったのです。
久しぶりに見て、やはり一言だけ書きたくなりました。
それは民主党の反応です。

自民党は、もはや終わった政党だと思いますが、民主党も同じだと感じました。
たとえば鳩山さんのコメントをきいて、深い失望をおぼえました。
極めて暗く、ただ自民党をけなしているだけです。
今回の自民党総裁選では2人の候補は(勝敗が決まっていたからでしょうが)明るく、相手をけなすような発言はなかったように思います。
それに発言がいつも平易で滑らかでした。
自民党嫌いの私ですら、好感を持ちました。
闘いは明るくやらなければいけません。

それに比べて、民主党の皆さんのコメントはみんな暗くて楽しくない。
余裕のなさをそのまま見せています。
こんな人たちに政権は預けたくないと思いたくなるほどです。
民主党は、もっとしっかりしたCIO(広報戦略参謀)を置くべきですね。
そうでないと政権交替はだめでしょうね。
民主党嫌いな私には少し複雑な気持ちです。
自民党はもっと嫌いですので。

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■節子への挽歌19:いつになってもやめられません

まさか挽歌をこんなに長く書き続けるとは思っていませんでした。
そもそもこのブログのテーマはは社会の動きへの時評です。
しかもこの間、政治の世界は激変していますし、問題も多いです。
そんな時に、自分の世界に閉じこもって、いつまでも妻を語っていることに読者は辟易していることでしょう。

しかし、書き出すと次から次へと書きたいことが出てくるのです。
私が節子と見える形で話し合えるのはこの場だけだからです。
それに、読者からも毎日のように反応があるのです。
それでついつい調子に乗ってしまい、書き続けているわけです。
いっそのこと節子への挽歌のブログをつくろうかと思ったりもします。
節子のことなら、多分一生書き続けることができるでしょう。
しかし、それではせっかくの「時評ブログ」の意味がありません。
そろそろ時評に戻る必要がありますが、一挙には辛いので、少しずつ時評バージョンをふやして行く事にします。
うまく行けば、妻への挽歌とつなげられるかもしれません。

ブログを書き続けてきたのは、節子への思いを断ち切れないことが理由ですが、
読者からの反応も大きな理由です。
たとえばこんなメールをもらいました。

佐藤さんがどんなに奥様を大切に思っていらしたか、
そしてその奥様がどんなに素敵な方であったか、
言葉のひとつひとつから痛いほど伝わってきて涙があふれました。
奥様とは直接面識がないのですが、
親しい人が亡くなったときのような深い悲しみを感じました。
機会がありましたら奥様にもご挨拶させていただきたいと思います。
私もある会で(たぶん)一度しか会ったことのない人です。
文中の、「奥様がどんなに素敵な方であったか」に関しては、前にも書いたように、私にとってだけの素敵さでしかないのですが、私がとても嬉しかったのは、「機会がありましたら奥様にもご挨拶させていただきたい」というところです。
この人にとっては、節子はまだ生きているのです。
挨拶したいと言ってくださっているのですから。
私は、息を引き取った節子がまだ私の近くで生きつづけていると思っているのですが、そう思っている人が一人でも増えれば、こんなうれしいことはありません。
そんなわけで、節子への挽歌はこれからも書き続けるつもりです。

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2007/09/22

■節子への挽歌18:どんな看護も悔いが残るものです

節子は自宅で最後を迎えました。
献身的な看護だった、悔いなど残すことはない、奥様がうらやましいほどです、と多くの方々から慰められています。
たしかに私の娘たちはよくしてくれました。
とりわけジュンの言動は、親の私ですら頭がさがるほどのものでした。

しかし、私の看護は決して献身的でも誠実でもなく、実に悔いが残るものでした。
今朝も5時に目が覚め、節子への対応のことを思い出してしまいました。
声に出して彼女に謝りました。
外部から見れば誠心誠意を込めたものに見えるかもしれません。
仕事も一切やめ、節子に寄り添い、最後の1か月はほとんど同じ部屋で暮らしました。
節子は、そんな家族を気遣って、逆に入院するというほどでした。
節子がいつも「家族に感謝感謝」と友人たちに言っていたと後で節子の友人たちから聞きました。
そうしたことを総合すると、まあ「献身的な看護」に見えるかもしれません。

しかし、実態は悔いばかりが残る看護でした。
なにしろ「治す」という約束も守れなかったのですから。
馬鹿もほどほどに、と言われても、返す言葉もないほどです。
しかもそのことを節子は多分知っていたのですから。
結局は、私が看護していたのではなく、私が看護されていたのです。
そのことを知れば、私の看護がいかに問題が多いものだったことがわかるでしょう。

思い出すだけで元気がなくなります。

しかし、私たちのことを深く理解してくれているだろう友人が、こう書いてきてくれました。

私は、奥様と佐藤さんの闘いに、
そしてお二人の娘さんと共に闘われた日々に、
心から敬意を表します。
あなた方は、見事な闘いぶりであったと…。
私も、奥様のようでありたい…、
そして、佐藤さんのようでありたいと、
心から想っています。
私の後悔と罪悪感は消えることはないでしょうが、この一言で、とても気がやすめられました。

いうまでもありませんが、節子は私の看護には、皮肉(節子は皮肉が好きでした)は言うでしょうが、100%満足しているでしょう。
満足していないのは、私なのです。
看護もまた双方向的な関係なのです。
節子の看護にしっかりと応えられなかった自分が悔やまれてなりません。
私の看護は決して合格点はとれません。
当事者がいちばんよく知っているのです。

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2007/09/21

■節子への挽歌17:一緒に旅行に行けなくなってごめんね

昨年の今日、私たち夫婦は福井の芦原温泉で泊まっていました。
再発が確認される直前の旅行で、これが最後の温泉旅行になりました。
その時に、思いもかけず、東尋坊で自殺予防に取り組む茂さんと川越さんにお会いでき、とても思い出深い旅行になりました。
その旅行の帰り、若狭湾に面した河野で1時間近く夕日が沈んでいくのを見ました
あんなに時間をかけて、夕日を2人で見たのは初めてでしたが、その時はまさか1年後には節子が向こうに旅立つとは思ってもいませんでした。

再発して、旅行に行けなくなってしまってから、節子はいつも、私に「一緒に旅行に行けなくなってごめん」と言っていました。
節子は、夫婦一緒でないと私が遠出の旅行に行かないことを知っていたのです。
友だちと一緒に旅行にでも行ってきたらとも勧めてくれましたが、私が絶対に行かないことも知っていました。

私はともかく節子と一緒でないと、何をしても、どこに行っても、楽しくないのです。
私が節子に惚れていたからではありません。
節子は私の分身であり、体験を共有していないと落ち着かないからなのです。
ですから本当は仕事でも一緒したかったのですが、そこまでのわがままはさすがに強要できず、話を聞いてもらうことで我慢しました。
節子は私の仕事を知っておかねばいけないので、とても苦労したはずです。
なにしろ私の「仕事」は、何がなんだか本人でさえあまり理解できないほど多種多様、いや混沌としていましたから。それに常識的ではないことが多かったです。
しかしいつも話を聞いてくれました。
理解は期待しませんでしたが、共感はいつも期待し、節子の共感が得られないことがあれば仕事もやめるようにしていました。

一緒に旅行には行けないけれど、こんなに一緒にいられるからいいじゃないかというと、節子はすまなさそうな顔をしました。
しかし私は本当にそう思っていました。
節子は私よりも旅行好きでしたから、無念さは節子のほうがずっと大きかったはずですが。

やっとゆっくり一緒の時間を過ごせる年齢になったのに、看病でしか一緒にいられなくてごめんなさいと何回も私に言ったのが思い出されます。
その節子が、私をおいて一人で旅立ってしまいました。
どんな思いだったでしょうか。
私がいなくても大丈夫だろうかと心配です。
なにしろ私たちは、いつも2人でひとりでしたから。

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2007/09/20

■節子への挽歌16:死者は聖人になるものです

このブログを読んでいると、節子が才色兼備のすばらしい女性のように思われるかもしれません。
しかし事実は全くそうではありません。
私にはすばらしい妻でしたが、一般的な基準からすれば、欠点も多く美人でもありませんでした。
節子は嘘がきらいでしたから、節子の欠点もきちんと書いておかないと後で会った時にまた怒られます。

そう思って、節子の欠点を思い出そうとしました。
節子が元気なときには、すぐにたくさん出てきたのですが、実に不思議なことに出てこないのです。
性格の悪いところもあり、お互いに性格の悪さを言い合ったこともあるのですが、それが思い出せないのです。
自分に都合のいいことだけしか覚えていないことも私には不満でしたが、考えてみると私自身もそうですから、ことさらあげつらうこともないでしょう。
思い出していくと、彼女の悪いところは、実は私自身の悪いところなのです。
人は自分の欠点を他人に見るものですが、夫婦の場合はまさに相似対照の関係にあるものです。
ですから夫婦喧嘩は犬も食わないわけです。

節子は美人ではありませんでしたが、自分の顔が好きでした。
闘病中も、寝る前に鏡で自分の顔を見て、笑顔を作って自分をほめていました。
今日もがんばった、と。ベッドの横には、いつも手鏡がありました。
私も節子の顔がすごく好きでした。
息を引き取った時の節子は、まさに私が思っていた天使のようでした。
私が節子を美人だと心底思ったのは、そのときが初めてです。
もっとも天使が美人であるとは限りませんが。

今回は欠点を書く予定だったのに、またほめてしまっていますね。
困ったものです。
いまも節子の遺影を見ながら欠点を思い出そうとしているのですが、思い出すのは良いところばかりです。
どんな人も、死者になると聖人になるというのは本当のようです。

近くの人が、奥さんはこの地域の太陽のような人でした、と言ってくれました。
私たち家族にとっても、まさに太陽でした。
どんな欠点があろうと、すべてが私たちの力の源でした。
その節子の声がもう聞こえない。
節子と喧嘩もできません。愚痴もこぼせず、ほめてももらえない。
節子もきっとそう思っているでしょう。
早くまた、あの太陽のような節子に会って、冷え切った心身を温めてもらいたいです。

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2007/09/19

■節子への挽歌15:般若心経

私の1日の始まりは、妻の前で般若心経をあげることです。
節子がガンを再発して以来、寝る前に2人で唱えるようになった、にわか読経者ですが、妻を送った後は、毎朝一番に唱えています。
なかなか覚えられませんが、最近、ようやく暗誦できるようになりました。

節子が苦しくなっても最後まで一緒に声をだしていたのが、

依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
です。なぜか節子はその文章が好きでした。
私が最初に覚えたのは、それに続く、
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
です。
お互いに意味がわかってのことではありません。自然とそうなったのです。
今日、何とはなしに気になって、手元の「般若心経講義」という本で、その意味を調べてみました。
節子が唱和したところの大意は、
何物にも拘束されずに、囚われることなく、自由に生きることで、妄想からも解放され、不死の生命を得る、
というようなことらしいです。
私が最初に暗唱したしたところは、
すべての諸仏も般若の智恵により正しい覚りを得た、私たちもそうしなければならない、というような意味のようです。
このごろは頭がボーっとしていますので、正しく理解できているかどうかはわかりませんが。

節子と私の心に、最初に飛び込んできた、それぞれの経文は、それぞれにとてもぴったりのような気がしています。
やはり、私よりも節子のほうが、どうも先を進んでいたようです。

ところで、この話を市川覚峯さんに話しました。
市川さんは、「無罣礙、無罣礙故」は佐藤さんへのメッセージだというのです。
そうかもしれません。
いまの私は、節子には好きになってもらえないでしょう。
過去を振り返りすぎで、些末なことにこだわりすぎになっていますから。

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2007/09/18

■節子への挽歌14:とても「危うい話」

久しぶりに「危うい話」シリーズです。
このシリーズのファンもいるのです。
今日は「とても」危うい話です。

CWSコモンズにも書きましたが、先週、二七日の前日に、節子の旅の様子が入ってきました。
節子は、たくさんの花に囲まれたところで、心和やかに過ごしているそうです。
そして家族に感謝してくれているそうです。
彼岸への旅は順調のようです。

そのことを教えてくれたのは、私たち夫婦の知人です。
その知人は、先に見送った彼岸にいる娘さんから今日聞いたそうで、急いで電話してきてくれたのです。

その人は節子のことを心から気遣ってくれて、最後まで奔走してくれた人です。
娘さんも、私たちはよく知っていますが、40代で、母親を残して先立ちました。
母一人娘一人だったので、母親の悲しみは大きかったでしょう。
しかし幸いにも彼女たち(母子)は、いずれも不思議な能力を持っています。
娘の死後も、ある人の助けを借りて、母子の会話が続いているのです。
今日、娘さんの話を聞きにいったら、節子と会ったことを話してくれたのだそうです。
たくさんの花に囲まれた明るい場所。
私は節子の祭壇の置かれた部屋で電話を聞いたのですが、
まさにその部屋はお供えの花でいっぱいです。
節子はどこにいても花に囲まれているようです。

彼岸への旅に疲れて、戻ってきてほしいという気も、実は私のどこかにあるのですが、
まあ節子が楽しく旅を続けているのであれば、それもまたいいでしょう。
それに節子のことですから、旅の途中でもきっとたくさんの友人をつくることでしょう。
いささかの嫉妬も感じますが、うれしいお知らせです。

ちなみに、葬儀が終わった後に花が届くのは嬉しいですが、一挙に届くのが問題です。
ですから、今度私が花を送ることになったら、葬儀から少し間をおいて送ろうと思います。
時間が少し立てば、白いお供え花でなくてもいいですし。
これも体験から気づいたことです。
節子が教えてくれたことかもしれません。

<危ない話>シリーズ
少し危うい話
かなり危うい話
もしかしたら危うい話

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2007/09/17

■節子への挽歌13:白い花に囲まれた祭壇

節子が息を引き取って、半月たちますが、今も毎日のように花が届きます。
節子が花好きだったことを知っている友人が花を持参してくれたり、送ったりしてくれるおかげです。
花が届くのはとてもうれしいのですが、「お供え」の花なので、みんな同じ雰囲気です。
なかには近所の子どもが持ってきてくれた華やぐような花もありますが、それ以外は白い花が基調です。
華やかな花が届くのは場違いなのかもしれませんが、白い花ばかりに囲まれていると少し気分が沈みます。

葬儀の時に、節子は華やかな花で送られたいといっていました。
たくさんの生花を送ってもらえたのですが、今回は葬儀をお願いしたところの方針で、生花はすべて菊が基本でした。節子の希望を伝えましたが、だめでした。
当日、その会社の社長にそのことを話したら、少しだけユリを増やしてくれました。
菊は長持ちしますが、ユリなどはあまり持ちません。
娘の朝最初の仕事は節子の周りに飾られている花の整理です。
いつも元気な花に囲まれているようにこまめに枯れかけた花を抜いていますが、これは結構大変です。
葬儀場ではとてもフォローできないでしょう。心がなければできません。

白は心を清める色ですが、ずっとその中にいると気分が白くなります。
これは冗談ではなく、心の表情がなくなっていくということです。
そして無性にさびしくなります。
これがこの2週間、白い花に囲まれて過ごしてきた私の実感です。
そろそろもっと華やかな花がほしくなり、庭のひまわりと花虎ノ尾を飾りました。
祭壇の表情が少し変わりました。

節子は花が好きでしたが、私は節子に花を贈ったことはありませんでした。
ちょっと遅くなりましたが、花屋に花を買いに行こうと思います。
いつも私のまわりに花を置いてくれていた節子への、初めての花の贈りものです。
ちょっと気は重いのですが、節子にほめてもらえるかもしれませんので。

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2007/09/16

■節子への挽歌12:なぜこんなに寂しいのでしょうか

節子の二七日です。
伴侶がいないということの寂しさの大きさに驚いています。
同居している娘たちが、気をつかってくれますが、
節子の姿が見えないことの空白感はたとえようがないほど大きいです。
悲しいとか辛いとかいう以上に、心が安定しないのです。
私たちはお互いに空気のような存在でしたから、
いわば空気が薄くなってしまったような「酸欠」状態のような気もします。

以前から、節子は、私たちは寄り添いあいすぎているので、どちらかが欠けるとその後が怖いといっていました。
同感でしたが、まさか私が後に残るとは思ってもいませんでした。
それが節子の最大の心残りだったかもしれません。

節子は私のすべてを理解してくれていました。
良いところも悪いところも。
強いところも弱いところも。
清いところも卑しいところも。
正しいところもあざといところも。
ともかく節子は私のすべてを知り、受け入れてくれました。
それが私の生きる力の源泉になっていました。

自分のすべてを知っている人がいる。
そのおかげで、何が起こっても安心でした。
不安があろうと迷いがあろうと、すべて節子の笑顔が解消してくれました。
困ったことが起これば、それをシェアしてくれる人がいるということが、私が思いのまま生きてこられた理由です。

人が素直に生きることができるのは、自分を理解し、いつも見ていてくれる人がいるからです。
その人がいなくなったことが、きっと今の大きな寂しさの原因でしょう。
この寂しさは一生背負っていかねばいけません。
時間が癒すという人もいますが、節子でなければ癒せない寂しさです。

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2007/09/15

■節子への挽歌11:慰めのことば

妻がなくなって、いろいろな人から声をかけてもらいます。
「お気落としのありませんように」
「元気を出してくださいね」
「嘆いてばかりいることを節子さんは望んでいないよ」
「むすめさんたちのためにもしっかりしなければいけない」

ありがたいことです。
でも、私にはいずれも無理な話です。
気を落とすのは避けられませんし、
元気がなくなり、涙が出てくるのも仕方ありません。
しっかりなんかしていられません。
節子は私にとってはかけがえのない人だったのですから。
その節子と、もう話しあうこともできないし、抱き合うこともできないのですから。
元気を出せと言われても、無理なのです。
むすめたちには真実を知ってもらいたいです。
嘘はつかない、隠し立てはしない、がわが家の文化です。
私を慰めてくれるのでしょうが、私が悲しくなるだけです。

節子の闘病中も、いろいろと慰めの言葉をもらいましたが、
慰めにならないことも少なくありませんでした。
しかし、せっかくの善意と思いやりを考えると、
さすがの私でもそんなことはいえません。

私たちは、こういう間違いを結構しているのかもしれません。
慰めの言葉は難しいものです。
当事者の気持ちを踏まえなければなりませんが、そんなことはできるはずがないからです。
できることがないという認識で、考えなければいけません。

「思い切り泣いたらいい」
「ゆっくり休んでください」
こういう言葉はどうでしょうか。
これもこれでまた、泣いてばかりいられるか、休んでばかりいられるか、という気になるのです。

要するに、悲しんでいるときには、どんな言葉も慰めにはならないということです。
人間は本当に身勝手なものです。
いえ、私の性格が悪いのかもしれません。

しかし、そういうたくさんの人たちの励ましが、節子との会話のきっかけをつくってくれます。
そういう意味では、すべての言葉が励ましになっているのです。
どんな言葉でも、かけてもらえるとうれしいのです。
本当に人間は身勝手なものです。

今日はどんな言葉が届くでしょうか。
節子のおかげで、たくさんの人に気にかけてもらっていることを感謝しています。
私もだらしなく泣きながら、でも少しずつ新しい世界になじみ出しているのでしょう。

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2007/09/14

■節子への挽歌10:なぜ謝らないのかと節子はいうでしょう

節子は正義感の強い人でした。
彼女の信条は、嘘をつかない、迷惑をかけない、でした。
節子はまた、「非常識」な行為が嫌いでした。
私はけっこう「非常識な言動」が多い人でしたので、よく注意されました。
けんかになったことも少なくありません。
もっとも私の行う「非常識」と彼女が嫌いな「非常識」とは少しニュアンスが違いました。
彼女が許さなかったのは、並んでいる列を乱したり、電車の座席に座り方が悪かったり、道に吸殻やゴミを捨てたりすることでした。
私もそうした行為は許せない性格です。
もっと大きな問題もありました。

うまく書けないのですが、ともかく正義の人でした。
その矛先は政治家やタレントなどにも向けられていました。
食べ物を粗末にする番組にはいつも怒っていました。
パイの投げあいの場面を見ると本当に怒り出しました。
野球の優勝チームのビールの掛け合いなどは彼女の受け入れるところではありませんでした。
おかしな格好をして出てくるタレントも嫌いでした。
言葉遣いもうるさかったです。

間違ったことをしたのに謝らない人は大嫌いでした。
それもただ謝るのでは満足しませんでした。
私は思い込みが強い人間なので、よく間違いを犯しますが、間違いに気づいた途端に言動が豹変し、すぐに「ごめん」というタイプです。
しかし、節子は、そんな軽い謝り方はだめだといつも怒りました。
謝るなら心を込めろというのです。

安倍首相の記者会見を見ていた娘が、お母さんが見ていたら、安倍さんはどうして謝らないのだろうと言うねと言い出しました。
そういえば、朝青龍も謝らないですし、最近はみんな謝らなくなりました。
謝る文化が消えつつあるのでしょうか。

テレビの安倍さんをみながら、できもしないことを引き受けたらだめだよね、と娘たちと話していて、実は自分もその過ちをしてしまったことに気づきました。
節子を治すといいながら、治せなかったのです。

私はいま、毎日、節子に謝っています。
節子を守ってやれなかったことを心から悔やんでいます。
取り返しのつかない間違いでした。
一生謝り続けるつもりですが、まあ以前と同じく、軽い謝り方なので、節子は怒っているかもしれません。
ちなみに、謝るのは節子のためではなく、私のためなのです。
取り返しのつかない間違いも、すべて節子は許してくれるはずですから。
それも私たちのルールでした。

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2007/09/13

■節子への挽歌9:安倍首相に節子のつめの垢をせんじて飲ませたい

安倍首相が突然辞任しました。
そのことで節子と話し合えないのがとても残念です。
と言うのは、節子は安倍首相に不安を持っていたからです。
節子の小泉さん嫌いは私の影響がかなりありましたが、安倍さんへの不信感は私の影響は全くありません。
節子は安倍首相の言動に生活を感じなかったのです。
テレビでの話し方に最初から違和感を持っていました。
それは理屈ではなく直感でした。

節子は人生において、一度だけ、選挙を棄権しました。
それが先の参議院選挙でした。
病気で歩けなかったので投票所に行けなかったのです。残念がっていました。
当日の朝まで迷っていたのですが、とても行けるような状況ではありませんでした。
しかし、選挙結果には満足しました。首相続投には不満でした。

節子は選挙には必ず行きました。
選択基準は、生活感覚でした。そして、その人の誠実さでした。
節子はともかく「生活者」だったので、着飾った言葉は嫌いでしたし、実体を感じられない難しい言葉は好きではありませんでした。
理解できない言葉にはだまされませんでした。
私の話も横文字が多すぎるといつも批判していました。
生活者は言葉ではだませないのです。

節子は、安倍首相には首相としてのイメージが感じられないといっていました。
なぜ同世代の女性たちが安倍さんを支持するのかいぶかっていました。
節子は、安倍さんを首相として認めていなかったのです。
そして、その節子の予想通り、安倍首相は無責任に使命を投げ出しました。
生活者の直感は真実を見抜くものです。

私自身は、今回の辞任は何の驚きもなく受け止めました。
ただ政治が崩壊しているだけの話です。
自民党議員とそれを支援していた国民の共演でしかありませんし、予想されていたことですから。
驚いている人には、あなたたち(私たち)が演出したことでしょうといいたいです。

ただ、節子の闘病のがんばりに付き合ってきた私としては、こんななげやりな生き方をしている人間を見るとただ悲しくなるだけです。
節子のがんばりは何だったのか。
やりきれない気持ちです。

しかし、節子に比べると、安倍首相はとてつもなく可哀想な人なのかもしれません。
安倍首相に比べると、節子の人生は誠実で立派でした。

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2007/09/12

■節子への挽歌8:欽ちゃんは1日でいい、でも私は毎日。

欽ちゃん球団が、野球の全日本クラブ選手権で優勝しました。
欽ちゃんがテレビで嬉しそうに話しているのを見て、また節子のことを思い出しました。

欽ちゃんは今年の24時間テレビのランナーになって、走りました。
最後は辛そうでしたが、完走を果たしました。
そのテレビを闘病中の節子は見ていましたが、その終わりごろにフッとつぶやきました。
「欽ちゃんは1日がんばればいい。でも私は毎日がんばらないといけない」。
そう言って、テレビから目をはなしました。
その言葉は、私には忘れられません。

毎日がんばっている人がいます。
欽ちゃんは1日で完走できましたが、完走できずに毎日、走り続けている人がいます。
節子は完走できずに息を引き取りました。
節子さんも完走できたんだと慰めてくれる人がいるでしょうが、
完走できたかどうかは一緒に走っていた私にはよくわかります。
無念で辛いことですが、節子は完走できませんでした。
その事実は否定できません。

しかし、完走できなかったから努力が報われなかったというわけではありません。
努力やがんばりは、その行為自体によって報われていると私は思っています。
節子もそう思っているはずです。

節子は医師たちが驚くほどに気丈夫でした。
弱いところがある半面で、辛さに耐える人でした。
耐えながらも、弱音を吐くという素直さもありましたから、私は節子の弱さと強さをよく知っています。
にもかかわらず、いろいろと誤った判断をしてしまったことをいま悔いています。

欽ちゃんは1日でいい、でも私は毎日。
節子の、その時の思いを思い出すたびに、涙がとまらなくなります。
そして、そういう人たちが、節子の他にもたくさんいることを思い出します。
節子の言葉には、そういう人たちへの思いが感じられました。
節子はいつも、いろいろな人への思いを忘れない人でした。

節子は毎日をほんとうに真剣に走り抜けました。
完走はできませんでしたが、その毎日が彼女と私の誇りでした。
毎日がんばっている皆さんがもしいたら、ぜひとも節子のようにがんばってほしいと思います。
節子もそう思っているはずです。
そして仮に完走できなかったとしても、完走以上の大きなものを得ることができるように思います。

いまは何を見ても、何を聞いても、節子のやさしい顔が私の頭を覆ってしまいます。
ほんとうに、やさしくて強い人でした。

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2007/09/11

■節子への挽歌7:妻に風になってほしくありません

「千の風になって」は好きな歌の一つです。
闘病中の女房も好きでした。
しかし、私は死んだ後、風になりたいとは思っていません。
女房がどう思っていたかは残念ながら確認しませんでしたが、やはり風にはなりたくないと思っていたと思います。
なぜなら私たちは、輪廻転生を確信しているからです。
私は、来世でも今生の女房だった節子にプロポーズするつもりです。
もっともそれが受け入れられるかどうかは、残念ながら確実ではありません。
女房は生前、私の数回の提案に対して、「考えておく」としか言わなかったからです。

解脱という言葉があります。
仏教では解脱が目的ですが、私たちは解脱よりも輪廻転生を望んでいます。
解脱の前に、まだまだやり残したことが多いからです。

女房は息を引き取る少し前に、家族にこう書き残しました。
「花や鳥になってチョコチョコもどってくる」
その話を告別式の挨拶で、私から皆さんに紹介しました。
ところが、その直後、司会の人はなんと、
「千の風になって・・・」と語り出したのです。
この葬儀は失敗だったと、女房にとても申し訳なく思いました。
私が司会をすべきでした。
参列者のお一人は、メールでこう書いてきました。

式場の“担当者”が「千の風になって」と言ったときに、
私の神経の束を無遠慮にはじかれたような、強烈な違和感を感じました。
「喪主のご挨拶」で「花と鳥」とおっしゃったのに、「それでもプロか!」と、
身体が熱くなるような思いでした。
一人ならず、何人かの人が同じことを言ってきてくれました。

今回、やや気が動転していたせいか、葬儀を葬儀社の人に任せてしまいました、
途中、いろいろとトラブルもあり、少しは進め方を変えましたが、大人気ないという思いもあって、大筋は任せてしまったのです。
しかし、この言葉を聞いた時に、反省しました。
節子にとって、とても大切な場だったのにとんでもないことをしてしまった、と悔やみました。

千の風になるというのは、本人が言うべき言葉です。
本人以外の人が言うべき言葉ではありません。
ましてや、故人のことを全く知らない「担当者」が言うべきことではありません。

花や鳥になる、と、風になる、とは同じようなものではないかと思う人がいるかもしれません。
そんなことはありません。
もちろん「風」になりたい人もいるでしょう。
しかし、何になりたいかは、その人の人生に深くつながっているのです。
そんなこともわかっていない人に、葬儀の進行を任せたことが悔やまれてなりません。
葬儀は、やはり自分でしっかりと企画しないといけないですね。
葬儀関係の仕事をしている友人から、佐藤さんらしくない失敗ですね、といわれそうです。
恥ずかしいかぎりです。
言うまでもなく、今回の失策の責任は、私にあります。
妻に謝りました。

これからもまだまだミスが続きそうです。

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2007/09/10

■節子への挽歌6:突然の死

愛する人の死は、いつも突然にきます。
私の妻は4年前に胃がんの手術をしましたが、以来、常に死を意識していました。
彼女も、私も、です。
しかし、私自身は、絶対に死から守ろうと思っていました。
妻もまた、絶対に元気になると前向きに考える人でした。
ですから、2人とも死については一切考えないようにしていました。
特に私の場合は、冷静に考えれば、死がすぐ近くに来ている、その時まで、妻が元気になることを確信していました。念ずれば奇跡は起こる。
その確信が消えたのは、妻が息を引き取る数分前です。

突然に愛する人を失う事故や事件の報道を耳にするたびに、その無念さを、いつも思っていました。
最後の会話もできず、両者にとって、どんなにか無念だったことか。
しかし、長い闘病生活を耐えて、息を引き取った女房との別れもまた、最後の会話をする間もない、突然の別れだったのです。
愛する人との別れは、いつも突然なのです。

妻が、おそらく死を意識したのは8月の中ごろです。
死など、毛頭思いもしない、能天気な私のために、彼女はそれを意識の底に抑えたまま、生きる努力をしてくれました。
生きることは自分のためではない、愛する人のためなのです。
彼女がまだかなり元気だったころに、私にそう語っていました。
妻は私には人生の師でした。
生き方において、私はたくさんのことを教えてもらいました。
私が教えたことも決して少なくありませんが、本質的なことでは教えられることが多かったです。

妻が残してくれたさまざまなものを、むすめたちと少しずつ整理しだしました。
彼女もまた、突然の死だったことがよくわかります。
彼女の性格からすれば、死を予感して、きちんと身支度したかったのかもしれません。
しかし、あえてそれをせずに、思い込みが強い私に合わせてくれました。
治してやるなどという、できもしない約束に辟易しながらも、それが実現するように、がんばってくれたのです。
そして、突然の死。
突然だから耐えられているのかもしれませんが、無念でなりません。

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2007/09/08

■節子への挽歌5:静かな1日

妻が息を引き取って、6日目です。
やっと少し落ち着きました。
今日は4人の人が節子に会いに来てくれました。

お通夜、告別式には、あまりご案内をしなかったにも関わらず、たくさんの人が来てくださいました。
当初は、こじんまりとした見送りを考えていましたが、ちょっと大きくなってしまいました。
しかし、形だけではなく、心のこもったものになったと思います。
節子はきっと合格点をつけてくれるでしょう。
自宅に来てくださって、お見送りしてくれた方も少なくありませんでした。
告別式でお話したことを思い出しながら、私のホームページに再録しました。
よかったら読んでください。

妻の葬儀でしたので、私の知人友人には原則として連絡はしませんでした。
そのため、後から知った人も少なくないと思います。
ご連絡差し上げられなかった方々には、深くお詫びいたします。
これは節子の強い希望でもありました。

告別式が終わり、少しずつ訃報が広がっているようです。
今朝も花が届きました。
このブログやCWSコモンズのホームページを見て、知ってくださった方からのご連絡もあります。
それで、このブログも少しずつ書き続けることにしました。
しばらくは個人的な日記になるかもしれませんが、お許しください。

自宅で呆けています。
何かしていないと、涙が途絶えないのです。

お近くにきたらお立ち寄りください。
何も手がつかず、虚脱していますが、できるだけ自宅にいるようにしています。
11日はちょっとでかけますが。

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2007/09/06

節子への挽歌1~4

節子への挽歌の1~4は別のところにありますので、ここから読んでください。

001 告別式のあいさつ

002 節子を送った1週間

003 あなたは誰のために生きていますか

004 献花台  

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2007/09/03

■節子への挽歌0:私にとって人生で一番悲しい日

CWSコモンズに書いたように、信じがたく、残念なことですが、私にとってはかけがえのない妻が息を引き取りました。
気持ちが落ち着いたら書き込みを再開します。
医療も葬儀も悲しいことが多すぎました。
私の妻は「花や鳥」になりたいと言っていたので、最後にその話をさせてもらいましたが、
葬儀社に頼んだら、いま流行らしい風にさせられてしまいました。
さびしい時代だと思いました。

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2007/09/01

■政治家と金の問題

相変わらず「政治家と金」の問題がテレビをにぎわしています。
しかも、その内容は、細かな事務的な問題や手続き的な不正などになってきました。

政治家と金の問題は、政治の根幹に関わる重要な問題です。
しかし、言い方を変えると、政治と金は本来が同じ話なのです。
少なくとも今のような近代政治の場合は、金銭(経済)に主導された政治システムであり、政治家になるモチベーションも金銭動機(私財消費も含めて)が大きいのだろうと思います。
権力動機や目立ちたがりは、現在の金銭万能社会においては、金銭動機と同義といっていいでしょう。
国際政治においては、「平和」や「人権」さえも開発という大義のもとに金銭経済に取り込まれたことは先に引用したイリイチが喝破したとおりですが、国内においても、社会の市場化の尖兵を、政治は担っています。
小さな事例ですが、クールビズなどもその典型例でしょう。

領収書の複数使用などは不正行為であって、単に法律に即して罰すれば良い話です。
大切なのは、そんな問題ではないだろうと思えてなりません。
そもそも政治の役割や位置づけを見直すべきです。
国会議員になったら高級車がもてて、新幹線のグリーン車に乗れるなどい馬鹿な仕組みを変えればいいだけです。
議員を権威づける仕組みが、議員と国民の距離を拡大しているのですから。
国会議員の報酬も国民の平均所得以下にすべきだろうと思います。
国会議員は、「お上」(資本)の雇われ人ではないのですから。

支離滅裂な議論のように思われるかもしれませんが、それは現在の政治パラダイムの呪縛のなかで考えるからです。
白紙から政治というものを考えていけば、こうした議論(各論ですが)が現実性をもつような、いまの政治とは全く違う、金銭に隷属せずにむしろその不都合を調整する形での政治のあり方(総論)があるはずです。

いずれにしろ、現象的な細かな問題に目を奪われて、構造的な政治と金の問題が見失われることを危惧します。

ちなみに、政治家になった途端に、過去現在の身辺が洗われ、金銭的なものに限らず、いろいろと「暴き出す」風潮にもとてもいやなものを感じます。
そんなことは最初からわかっているだろうにと思うことも少なくありません。
「有名人」や「出たがり人」を担ぎ出すということはそういうことなのですから。
それに人間は完璧な存在ではありませんから、その気になれば、攻撃する材料は見つけられるでしょう。
しかし、そんなことをしてどれほどの意味があるのでしょう。
そうしたニュースを歓迎する人たちにも失望します。

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