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2007/09/22

■節子への挽歌18:どんな看護も悔いが残るものです

節子は自宅で最後を迎えました。
献身的な看護だった、悔いなど残すことはない、奥様がうらやましいほどです、と多くの方々から慰められています。
たしかに私の娘たちはよくしてくれました。
とりわけジュンの言動は、親の私ですら頭がさがるほどのものでした。

しかし、私の看護は決して献身的でも誠実でもなく、実に悔いが残るものでした。
今朝も5時に目が覚め、節子への対応のことを思い出してしまいました。
声に出して彼女に謝りました。
外部から見れば誠心誠意を込めたものに見えるかもしれません。
仕事も一切やめ、節子に寄り添い、最後の1か月はほとんど同じ部屋で暮らしました。
節子は、そんな家族を気遣って、逆に入院するというほどでした。
節子がいつも「家族に感謝感謝」と友人たちに言っていたと後で節子の友人たちから聞きました。
そうしたことを総合すると、まあ「献身的な看護」に見えるかもしれません。

しかし、実態は悔いばかりが残る看護でした。
なにしろ「治す」という約束も守れなかったのですから。
馬鹿もほどほどに、と言われても、返す言葉もないほどです。
しかもそのことを節子は多分知っていたのですから。
結局は、私が看護していたのではなく、私が看護されていたのです。
そのことを知れば、私の看護がいかに問題が多いものだったことがわかるでしょう。

思い出すだけで元気がなくなります。

しかし、私たちのことを深く理解してくれているだろう友人が、こう書いてきてくれました。

私は、奥様と佐藤さんの闘いに、
そしてお二人の娘さんと共に闘われた日々に、
心から敬意を表します。
あなた方は、見事な闘いぶりであったと…。
私も、奥様のようでありたい…、
そして、佐藤さんのようでありたいと、
心から想っています。
私の後悔と罪悪感は消えることはないでしょうが、この一言で、とても気がやすめられました。

いうまでもありませんが、節子は私の看護には、皮肉(節子は皮肉が好きでした)は言うでしょうが、100%満足しているでしょう。
満足していないのは、私なのです。
看護もまた双方向的な関係なのです。
節子の看護にしっかりと応えられなかった自分が悔やまれてなりません。
私の看護は決して合格点はとれません。
当事者がいちばんよく知っているのです。

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