■節子への挽歌17:一緒に旅行に行けなくなってごめんね
昨年の今日、私たち夫婦は福井の芦原温泉で泊まっていました。
再発が確認される直前の旅行で、これが最後の温泉旅行になりました。
その時に、思いもかけず、東尋坊で自殺予防に取り組む茂さんと川越さんにお会いでき、とても思い出深い旅行になりました。
その旅行の帰り、若狭湾に面した河野で1時間近く夕日が沈んでいくのを見ました。
あんなに時間をかけて、夕日を2人で見たのは初めてでしたが、その時はまさか1年後には節子が向こうに旅立つとは思ってもいませんでした。
再発して、旅行に行けなくなってしまってから、節子はいつも、私に「一緒に旅行に行けなくなってごめん」と言っていました。
節子は、夫婦一緒でないと私が遠出の旅行に行かないことを知っていたのです。
友だちと一緒に旅行にでも行ってきたらとも勧めてくれましたが、私が絶対に行かないことも知っていました。
私はともかく節子と一緒でないと、何をしても、どこに行っても、楽しくないのです。
私が節子に惚れていたからではありません。
節子は私の分身であり、体験を共有していないと落ち着かないからなのです。
ですから本当は仕事でも一緒したかったのですが、そこまでのわがままはさすがに強要できず、話を聞いてもらうことで我慢しました。
節子は私の仕事を知っておかねばいけないので、とても苦労したはずです。
なにしろ私の「仕事」は、何がなんだか本人でさえあまり理解できないほど多種多様、いや混沌としていましたから。それに常識的ではないことが多かったです。
しかしいつも話を聞いてくれました。
理解は期待しませんでしたが、共感はいつも期待し、節子の共感が得られないことがあれば仕事もやめるようにしていました。
一緒に旅行には行けないけれど、こんなに一緒にいられるからいいじゃないかというと、節子はすまなさそうな顔をしました。
しかし私は本当にそう思っていました。
節子は私よりも旅行好きでしたから、無念さは節子のほうがずっと大きかったはずですが。
やっとゆっくり一緒の時間を過ごせる年齢になったのに、看病でしか一緒にいられなくてごめんなさいと何回も私に言ったのが思い出されます。
その節子が、私をおいて一人で旅立ってしまいました。
どんな思いだったでしょうか。
私がいなくても大丈夫だろうかと心配です。
なにしろ私たちは、いつも2人でひとりでしたから。
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