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2007/09/30

■舛添厚労相と長妻昭議員の協力を期待します

舛添さんの年金問題への取り組みはとてもわかりやすいだけでなく、生活感覚の言葉で、しかも具体的に言い切るところが信頼できます。
私自身は、これまでの舛添さんの言動には違和感があり、好きな学者でも政治家でもありませんでした。
しかし、厚労相就任以来の言動はとても好感が持てます。
目線と対象がしっかりしているからです。
「年金問題に関する政府(国)への信頼感を回復すること、それが自分のミッション」だという言い方も好感が持てます。
厚生労働省の官僚たちへの批判も辛らつですが、自らもその内部の人間だと明言するのも潔いです。

私は自民党も民主党も終わった組織だと思っていますし、そもそも二大政党制そのものが過去のものだと思っています。
価値観や問題が多様化し、しかも情報処理技術が一変しているいま、二大政党ではなく異質性を多様に包摂するダイナミックな意志決定システムが必要になっているからです。

舛添さんも所詮は、古い政治の枠組みの人でしょうが、その言動には新しい政治の可能性も感じられます。
いわゆるポピュリズムではない、生活者感覚の政治です。
それに生活者らしい、シンプルな怒り方もわかりやすいです。
小泉前首相との類似性を指摘する人もいますが、
言葉に実体がありとビジョンが明確なので、全く違います。
政治全体から考えれば、大きな欠落や不整合はあるのでしょうが、
生活者の怒りを具体的に代表してくれています。

もっとも、私は舛添さんが依然として好きにはなれませんし、その考えや提案にも必ずしも賛成ではありません。
「公を司る官より民が信頼できるというのはおかしいが、今はそれが実状だ」というような発言を昨日テレビで見ましたが、そういう発想は私には受け入れがたいです。
あまりに粗雑で、問題の本質を見失わせる議論だからです。

にもかかわらず、舛添さんの言動には新しい政治の可能性を感じます。
民主党も論争だけではなく、政党を超えて、ぜひ大きな目標にむけて、協力してほしいものです。
長妻昭議員と舛添議員が力を合わせれば、事態はもっと大きく変わるでしょう。
舛添さんも、政党の呪縛から解放されてほしいものです。
生活者視点に立つということは、政党を超えるということなのですから。
政党に呪縛されることなく、政党を使い込む主体性が必要です。
もちろん一部の政治家のように、自らのために政党を利用する事は許しがたいですが。

舛添さんのおかげで、政治への期待が少し出てきましたが、その一方で、鳩山法相のような政治家もまだ少なくありません。
私は死刑反対論者ではありませんが、鳩山さんの発言は許されるものではありません。
彼にはリーガルマインドも生命の尊厳への畏れも、権力への謙虚さも感じられません。

こうした両極端の政治家を包摂している福田政権は、もしかしたら多様性への寛容さを活かした、新しい政権のモデルを示唆していくかもしれません。
福田政権は短期政権だとは思いますが、これまでの政権とはちょっと違うようなものを感じます。
旧体質な政治に戻ったのではないと思います。
いやそう思いたいです。


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