■節子への挽歌7:妻に風になってほしくありません
「千の風になって」は好きな歌の一つです。
闘病中の女房も好きでした。
しかし、私は死んだ後、風になりたいとは思っていません。
女房がどう思っていたかは残念ながら確認しませんでしたが、やはり風にはなりたくないと思っていたと思います。
なぜなら私たちは、輪廻転生を確信しているからです。
私は、来世でも今生の女房だった節子にプロポーズするつもりです。
もっともそれが受け入れられるかどうかは、残念ながら確実ではありません。
女房は生前、私の数回の提案に対して、「考えておく」としか言わなかったからです。
解脱という言葉があります。
仏教では解脱が目的ですが、私たちは解脱よりも輪廻転生を望んでいます。
解脱の前に、まだまだやり残したことが多いからです。
女房は息を引き取る少し前に、家族にこう書き残しました。
「花や鳥になってチョコチョコもどってくる」
その話を告別式の挨拶で、私から皆さんに紹介しました。
ところが、その直後、司会の人はなんと、
「千の風になって・・・」と語り出したのです。
この葬儀は失敗だったと、女房にとても申し訳なく思いました。
私が司会をすべきでした。
参列者のお一人は、メールでこう書いてきました。
式場の“担当者”が「千の風になって」と言ったときに、一人ならず、何人かの人が同じことを言ってきてくれました。
私の神経の束を無遠慮にはじかれたような、強烈な違和感を感じました。
「喪主のご挨拶」で「花と鳥」とおっしゃったのに、「それでもプロか!」と、
身体が熱くなるような思いでした。
今回、やや気が動転していたせいか、葬儀を葬儀社の人に任せてしまいました、
途中、いろいろとトラブルもあり、少しは進め方を変えましたが、大人気ないという思いもあって、大筋は任せてしまったのです。
しかし、この言葉を聞いた時に、反省しました。
節子にとって、とても大切な場だったのにとんでもないことをしてしまった、と悔やみました。
千の風になるというのは、本人が言うべき言葉です。
本人以外の人が言うべき言葉ではありません。
ましてや、故人のことを全く知らない「担当者」が言うべきことではありません。
花や鳥になる、と、風になる、とは同じようなものではないかと思う人がいるかもしれません。
そんなことはありません。
もちろん「風」になりたい人もいるでしょう。
しかし、何になりたいかは、その人の人生に深くつながっているのです。
そんなこともわかっていない人に、葬儀の進行を任せたことが悔やまれてなりません。
葬儀は、やはり自分でしっかりと企画しないといけないですね。
葬儀関係の仕事をしている友人から、佐藤さんらしくない失敗ですね、といわれそうです。
恥ずかしいかぎりです。
言うまでもなく、今回の失策の責任は、私にあります。
妻に謝りました。
これからもまだまだミスが続きそうです。
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コメント
先ほどのコメント大変失礼してしまいました 生まれ変わって再会して、永遠に離れることなく…お祈りしたす
投稿: スズラン | 2009/04/06 02:24
スズランさん
重ねての投稿、ありがとうございます。
また会えると確信しています。
投稿: 佐藤修 | 2009/04/06 07:20