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2007/09/26

■時津風部屋の犯罪と仲間の犯罪を放置する文化

どこの社会にも仲間の犯罪や恥を隠す文化があります。
しかしそうした文化が社会に大きな弊害を起こすのを防ぐ仕組みもまた、どこの社会にもありました。
そして、おかしなことを正す仲間が自己たちの浄化のために動き出すのです、
仲間がおかしな事をしていることは、結局は仲間みんなの問題だからです。
そうした自己浄化力が機能しなくなると、その仲間組織、さらには社会そのものが機能障害を起こし、崩れていきます。

私が日本の弁護士を信頼できないのは、自らのプロフェッションの自覚がないからです。
私の知っている弁護士には、個人としては魅力的な人が少なくないのですが、仲間のおかしさを黙認しているかぎりは、同じ仲間でしかありません。
個人的には信頼できますが、弁護士としては全く信頼できません。
すばらしい人であるからこそ、彼らは恥ずかしくないのかと思うのです

牛タンメーカーが不祥事を起こしました。
賞味期限切れの牛タンを不正に再使用した事件です。
繰り返し繰り返し同じような事件が起こります。
食品業界は自らを浄化する能力を失っています。
やる気がないのかもしれません。
食品業界には信頼できる会社も少なくありませんが、同じ業界で事業展開している仲間の企業が、こうも繰り返し不祥事を起こしている状況をどう思っているのでしょうか。
競争相手の失点などとは思ってはいないでしょうが、もっと自己浄化に関心を持ち、仕組みを創っていくべきです。
そう言う動きが見えてこないのは残念です。

こうした状況は現在の財界や経済団体の姿を象徴しています。
経済界は、仲間の企業が「犯罪」を犯しても、それを排除し予防する仕組みを失ってしまっているのです。
いや、正確には創出し育てることに関心を持たなかったのです。
それこそが財界のトップのミッションだと思いまが、あまり関心はなさそうです。

時津風部屋の時太山の急死は、暴行の結果だったことが判明しました。
これはれっきとした犯罪ですが、死に至ることがなければ相変わらず仲間うちで揉み消されていたでしょう。
事件発生時、親方も部屋の仲間も、そんなことはないと言っていました。
日本の相撲界もまた、自己浄化力を失ってしまっています。
国技としての自覚や誇りはどこにいってしまったのでしょうか。
朝青龍事件も、そうしたことの現われの一部でしかありません。
国技であることの名誉は返上すべきでしょう。

学校のいじめ問題がなくならないのも、そうした文化が大きく影響しているでしょう。
仲間をかばうことは、時には大切なことです。
しかし、本当にかばうということはどういうことか、そのことを考えなければいけません。

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