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2007/09/24

■日本の仏教界ができることはたくさんあります

ミャンマー(ビルマ)で、一部の僧侶らが軍事政権の「打倒」を掲げ、市民にデモへの参加を呼びかけ、2万人規模のデモが行われたとテレビで報道されました。

朝日新聞はこう報道しています。

この日は数千人の僧侶らが、昼過ぎからヤンゴンの中心部で行進を始めた。AFP通信によると、僧侶らが「これは市民のための行進だ」と呼びかけると、市民らが相次いで列に加わった。
軍事政権下のミャンマーでさえ(そうだからこそともいえますが)、仏教徒は社会に関わろうとしています。
日本の仏教界は何をしているのでしょうか。
自殺者が毎年3万人を超え、生命をないがしろにする不条理な事件が続発し、人々が支えあう生活の基盤が壊されている現実を、仏教界の人たちはどう考えているのでしょうか。
ミャンマーの僧侶たちのデモ、それを支援する人たちの映像を見て、日本の仏教界の動きが見えないことを改めて残念に思います。

日本の政治も経済界も、いまや生命をないがしろにし、支え合い生かし合うよりも、騙し合い利用し合う方向にあるように思います。
企業の業績がよくなるのと従業員や顧客が幸せになるのとは、むしろ反比例にあるのではないかと思うような状況も感じます。
経済は明らかに生命さえをも浪費し始めました。
政治もまた、国民の安寧や幸せのためにではなく、一部の人たちの利得と栄誉のためにしか動いていないようにも思います。
それを支えているのは、国民自身なのですが、その構図を見事に作り上げました。
今回の自民党総裁選ですら、その構図が見えてきます。
格差、下流社会、セーフティネットなどといった言葉が流行語になり、それが大人だけではなく、子どもたちの世界にまで陰湿な形でしみこんでいる社会を見ながら、彼らは何をしているのでしょうか。
日本の仏教界が、やれることはたくさんあります。
しかし、仏教界からは何のメッセージも出てきません。
恥ずかしくないのかと思うほど、無口です。
どうしてでしょうか。
10年ほど前に、吉野会議というのを、比叡山、高野山、大峯山などで修行してきた市川覚峯さんたちと一緒に構想したことがあります。
仏教界の良心と経済界の良心に呼びかけて、社会に問題提起するフォーラムでした。
少しスケールを大きく構想したために、プレイベントをしたところで、終わってしまいました。
いまこそそうしたことが必要な気もしますが、エネルギーはその時よりも無くなってしまっていますから、動き出せずにいます。

節子の前で毎日、般若心経を唱えながら、仏教の力を少しずつもらっていますが、こうした力を求めている人は少なくないでしょう。
自らを支える力を求めている人たちの力をつないで、支え合う仕組みをつくれば、新たな力が生み出されるはずです。
そうした仕組みを構想することが求められているように思います。
いま必要なのは、市場依存の自由主義でも、高い目線からの福祉制度でも、管理された形だけの平和でもなく、支え合う生活の知恵の仕組みではないかと思います。

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