« ■もしかしたら「危うい話」 | トップページ | ■節子への挽歌0:私にとって人生で一番悲しい日 »

2007/09/01

■政治家と金の問題

相変わらず「政治家と金」の問題がテレビをにぎわしています。
しかも、その内容は、細かな事務的な問題や手続き的な不正などになってきました。

政治家と金の問題は、政治の根幹に関わる重要な問題です。
しかし、言い方を変えると、政治と金は本来が同じ話なのです。
少なくとも今のような近代政治の場合は、金銭(経済)に主導された政治システムであり、政治家になるモチベーションも金銭動機(私財消費も含めて)が大きいのだろうと思います。
権力動機や目立ちたがりは、現在の金銭万能社会においては、金銭動機と同義といっていいでしょう。
国際政治においては、「平和」や「人権」さえも開発という大義のもとに金銭経済に取り込まれたことは先に引用したイリイチが喝破したとおりですが、国内においても、社会の市場化の尖兵を、政治は担っています。
小さな事例ですが、クールビズなどもその典型例でしょう。

領収書の複数使用などは不正行為であって、単に法律に即して罰すれば良い話です。
大切なのは、そんな問題ではないだろうと思えてなりません。
そもそも政治の役割や位置づけを見直すべきです。
国会議員になったら高級車がもてて、新幹線のグリーン車に乗れるなどい馬鹿な仕組みを変えればいいだけです。
議員を権威づける仕組みが、議員と国民の距離を拡大しているのですから。
国会議員の報酬も国民の平均所得以下にすべきだろうと思います。
国会議員は、「お上」(資本)の雇われ人ではないのですから。

支離滅裂な議論のように思われるかもしれませんが、それは現在の政治パラダイムの呪縛のなかで考えるからです。
白紙から政治というものを考えていけば、こうした議論(各論ですが)が現実性をもつような、いまの政治とは全く違う、金銭に隷属せずにむしろその不都合を調整する形での政治のあり方(総論)があるはずです。

いずれにしろ、現象的な細かな問題に目を奪われて、構造的な政治と金の問題が見失われることを危惧します。

ちなみに、政治家になった途端に、過去現在の身辺が洗われ、金銭的なものに限らず、いろいろと「暴き出す」風潮にもとてもいやなものを感じます。
そんなことは最初からわかっているだろうにと思うことも少なくありません。
「有名人」や「出たがり人」を担ぎ出すということはそういうことなのですから。
それに人間は完璧な存在ではありませんから、その気になれば、攻撃する材料は見つけられるでしょう。
しかし、そんなことをしてどれほどの意味があるのでしょう。
そうしたニュースを歓迎する人たちにも失望します。

|

« ■もしかしたら「危うい話」 | トップページ | ■節子への挽歌0:私にとって人生で一番悲しい日 »

政治時評」カテゴリの記事

コメント

なにか些細なことの揚げ足とりで憂さ晴らしするだけの末期的症状がメディアにあらわれているように思えます。
かつて小泉政権に反対するものをバッシングし、その延長の安倍政権下で格差が固定化すると小泉は批判せず生贄をつくって叩いて金儲けするしかメディアは手が無いのだと思います。

投稿: souj | 2007/09/02 01:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■政治家と金の問題:

« ■もしかしたら「危うい話」 | トップページ | ■節子への挽歌0:私にとって人生で一番悲しい日 »