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2007/09/15

■節子への挽歌11:慰めのことば

妻がなくなって、いろいろな人から声をかけてもらいます。
「お気落としのありませんように」
「元気を出してくださいね」
「嘆いてばかりいることを節子さんは望んでいないよ」
「むすめさんたちのためにもしっかりしなければいけない」

ありがたいことです。
でも、私にはいずれも無理な話です。
気を落とすのは避けられませんし、
元気がなくなり、涙が出てくるのも仕方ありません。
しっかりなんかしていられません。
節子は私にとってはかけがえのない人だったのですから。
その節子と、もう話しあうこともできないし、抱き合うこともできないのですから。
元気を出せと言われても、無理なのです。
むすめたちには真実を知ってもらいたいです。
嘘はつかない、隠し立てはしない、がわが家の文化です。
私を慰めてくれるのでしょうが、私が悲しくなるだけです。

節子の闘病中も、いろいろと慰めの言葉をもらいましたが、
慰めにならないことも少なくありませんでした。
しかし、せっかくの善意と思いやりを考えると、
さすがの私でもそんなことはいえません。

私たちは、こういう間違いを結構しているのかもしれません。
慰めの言葉は難しいものです。
当事者の気持ちを踏まえなければなりませんが、そんなことはできるはずがないからです。
できることがないという認識で、考えなければいけません。

「思い切り泣いたらいい」
「ゆっくり休んでください」
こういう言葉はどうでしょうか。
これもこれでまた、泣いてばかりいられるか、休んでばかりいられるか、という気になるのです。

要するに、悲しんでいるときには、どんな言葉も慰めにはならないということです。
人間は本当に身勝手なものです。
いえ、私の性格が悪いのかもしれません。

しかし、そういうたくさんの人たちの励ましが、節子との会話のきっかけをつくってくれます。
そういう意味では、すべての言葉が励ましになっているのです。
どんな言葉でも、かけてもらえるとうれしいのです。
本当に人間は身勝手なものです。

今日はどんな言葉が届くでしょうか。
節子のおかげで、たくさんの人に気にかけてもらっていることを感謝しています。
私もだらしなく泣きながら、でも少しずつ新しい世界になじみ出しているのでしょう。

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