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2007/09/19

■節子への挽歌15:般若心経

私の1日の始まりは、妻の前で般若心経をあげることです。
節子がガンを再発して以来、寝る前に2人で唱えるようになった、にわか読経者ですが、妻を送った後は、毎朝一番に唱えています。
なかなか覚えられませんが、最近、ようやく暗誦できるようになりました。

節子が苦しくなっても最後まで一緒に声をだしていたのが、

依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
です。なぜか節子はその文章が好きでした。
私が最初に覚えたのは、それに続く、
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
です。
お互いに意味がわかってのことではありません。自然とそうなったのです。
今日、何とはなしに気になって、手元の「般若心経講義」という本で、その意味を調べてみました。
節子が唱和したところの大意は、
何物にも拘束されずに、囚われることなく、自由に生きることで、妄想からも解放され、不死の生命を得る、
というようなことらしいです。
私が最初に暗唱したしたところは、
すべての諸仏も般若の智恵により正しい覚りを得た、私たちもそうしなければならない、というような意味のようです。
このごろは頭がボーっとしていますので、正しく理解できているかどうかはわかりませんが。

節子と私の心に、最初に飛び込んできた、それぞれの経文は、それぞれにとてもぴったりのような気がしています。
やはり、私よりも節子のほうが、どうも先を進んでいたようです。

ところで、この話を市川覚峯さんに話しました。
市川さんは、「無罣礙、無罣礙故」は佐藤さんへのメッセージだというのです。
そうかもしれません。
いまの私は、節子には好きになってもらえないでしょう。
過去を振り返りすぎで、些末なことにこだわりすぎになっていますから。

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