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2007/09/20

■節子への挽歌16:死者は聖人になるものです

このブログを読んでいると、節子が才色兼備のすばらしい女性のように思われるかもしれません。
しかし事実は全くそうではありません。
私にはすばらしい妻でしたが、一般的な基準からすれば、欠点も多く美人でもありませんでした。
節子は嘘がきらいでしたから、節子の欠点もきちんと書いておかないと後で会った時にまた怒られます。

そう思って、節子の欠点を思い出そうとしました。
節子が元気なときには、すぐにたくさん出てきたのですが、実に不思議なことに出てこないのです。
性格の悪いところもあり、お互いに性格の悪さを言い合ったこともあるのですが、それが思い出せないのです。
自分に都合のいいことだけしか覚えていないことも私には不満でしたが、考えてみると私自身もそうですから、ことさらあげつらうこともないでしょう。
思い出していくと、彼女の悪いところは、実は私自身の悪いところなのです。
人は自分の欠点を他人に見るものですが、夫婦の場合はまさに相似対照の関係にあるものです。
ですから夫婦喧嘩は犬も食わないわけです。

節子は美人ではありませんでしたが、自分の顔が好きでした。
闘病中も、寝る前に鏡で自分の顔を見て、笑顔を作って自分をほめていました。
今日もがんばった、と。ベッドの横には、いつも手鏡がありました。
私も節子の顔がすごく好きでした。
息を引き取った時の節子は、まさに私が思っていた天使のようでした。
私が節子を美人だと心底思ったのは、そのときが初めてです。
もっとも天使が美人であるとは限りませんが。

今回は欠点を書く予定だったのに、またほめてしまっていますね。
困ったものです。
いまも節子の遺影を見ながら欠点を思い出そうとしているのですが、思い出すのは良いところばかりです。
どんな人も、死者になると聖人になるというのは本当のようです。

近くの人が、奥さんはこの地域の太陽のような人でした、と言ってくれました。
私たち家族にとっても、まさに太陽でした。
どんな欠点があろうと、すべてが私たちの力の源でした。
その節子の声がもう聞こえない。
節子と喧嘩もできません。愚痴もこぼせず、ほめてももらえない。
節子もきっとそう思っているでしょう。
早くまた、あの太陽のような節子に会って、冷え切った心身を温めてもらいたいです。

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