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2007年10月

2007/10/31

■トップの不祥事は組織の不祥事です

仲間の問題は自分にも責任があると以前書きましたが、
これに関しては納得してもらえなかった方もいるようなので、もう一度書きます。

防衛省の守屋前次官の常軌を外した行動はどう考えるべきでしょうか。
あれは守屋個人の問題だったのでしょうか。
そんなことはないはずです。
守屋天皇の下に、同じような小天皇がいたことは容易に類推されます。
つまり、組織というのは、必ずと言っていいほど、段階的にフラクタルな相似現象が生まれます。

不勉強のため論理的に説明することは、私には出来ませんが、
常識的に考えれば納得してもらえると思います。
守屋事件はたくさんの小守屋によってそびえ立ってしまっただけの話です。
守屋次官の行為に批判的だった人がいたかもしれませんが、
黙認した以上は同罪ですし、気づかなかったとすれば職責を果たしていないことになります。
シュペアーユンゲヤニング、彼らの言葉には耳を傾けなければいけません。

つまり、防衛省はおそらく現場の職員一人ひとりにまで、この文化が支配していたはずです。
現場の職員はまじめに働いていたのに、という同情の言葉は全く成り立ちません。
現場の職員も腐ってしまっているはずです。
それは年金問題を見ればよくわかります。
もちろんすべての職員が犯罪者だというわけではありませんが、良心は失っているはずです。
守屋事件は、周辺の人にはほとんどすべてわかっていたはずです。

御福餅が赤福と同じようなことをしていたことが発覚しました。
その社員がテレビで話していました。
赤福事件が起きてから、いつ発覚するか心配だったと。
赤福の事件は食品業界共通の事件です。
赤福でやっていたことはほとんどすべてのメーカーでやっていることだと考えるべきでしょう。
それが業界の常識だからです。
そんなことは雪印事件の時にわかったはずですが、誰も業界刷新に動きませんでした。
つまり日本の食品業界は腐ってしまっているというわけです。
そんなことはおそらくみんな知っているはずです。

もちろん例外はあります。
しかし、次官とか社長とかトップメーカーとかが行っている不祥事や犯罪は、
その組織あるいは業界にフラクタルに遍在していると考えるべきでしょう。

それにしても、マスコミは、毎日、よく飽きもせずに、食品不祥事ばかり報道しているものです。
偽装事件など追わずに、例外の企業を見つけて、そこを応援する姿勢にそろそろ変えるべきでしょう。
どこか正しい会社を見つけてほしいものです。
あるいはどこかまじめに仕事をしている役所を見つけてほしいものです。

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■節子への挽歌57:死んだのは私ではないのか

「シックス・センス」という映画を見た人はいるでしょうか。
恐ろしいほどに哀しい映画です。
自分が死んだことに気付かずに、愛する妻との関係を回復しようとする男の物語です。
最後に自分が死んでいることに気付き、素っ気ない対応に見えていた妻には自分が見えていなかったことがわかる結末は衝撃的でした。
この映画を観た時、恐ろしいほどの哀しさを感じました。
今にして思うと、節子との関係を予測していたからかもしれません。

先日、朝早く目覚めた時に、この映画のことが鮮明に思い出されました。
そして、もしかしたら、死んだのは節子ではなく私なのではないかと思いつきました。
もしそうであれば、どんなにか気が楽になるでしょう。
しかし、そう考えるのは難しいようです。

節子と私が違う世界に別れてしまったという事実が意味を持っているとすれば、私が死ぬのも節子が死ぬのも同じことです。
但し、娘たちにとっては全く違います。
子どもにとっての父親の存在は、母親とは全く違います。
子どもは親を超えていきますが、母親は超えてもなお、必要な存在のような気がします。

「シックス・センス」の場合は、自らの死に気付かなかったおかげで、生者の姿が見えました。
幸せなことです。但し、生者からは見えない存在になってしまいました。
その関係が正しければ、今回は節子が死んだことになります。
私にはどうしても節子の姿が見えないからです。
そして娘たちと私はコミュニケーションできるからです。

節子は時に勘違いし、粗忽なところがありましたから、もしかしたら自分が死んだことに気付いていない可能性はあります。
「シックス・センス」の主人公マルコム・クロウのように、私の隣で、その言動をみているのでしょうか。
そうあってほしいものですが、どうもこの数日の体験からして、その可能性も極めて少ないようです。

まあ、馬鹿げた話だと思うでしょうが、夜中に目覚めて、こんなことを真剣に考えているのです。
私の世界はいまや論理的ではなくなってしまっています。

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2007/10/30

■法も規律も破った人たちの責任の取り方

読者の方からこんなメールが来ました。

「日本の企業病理は慢性化している」と書かれていましたね。
企業だけではなく、社会の仕組みのいたるところが、ボロボロと崩れ始めているような気がして、しょうがありません。
確かに、マスコミが伝える最近の報道を見ていると、そうとしか思えません。
地域社会や近隣社会が壊れてきているとよくいわれますが、壊れているのは社会全体というべきでしょう。近隣社会では、それが見えやすいだけの話です。
その一方で、新しい社会の芽が生まれ始めているような気もしますが、それにしても大きな規範性が失われてしまったのは恐ろしいことです。

「やりたい放題」という言葉が、守屋前次官には当てはまりますが、それは何も彼だけの話ではありません。
憲法違反行為を首相自身が簡単に行う国ですから、わが国はいまや「法治国家」とはいえないでしょう。ひどい状況になってしまったという気がします。
そうした与党政府に対して、野党側の攻撃はあまり効果的とはいえません。
守屋喚問を聞いていて、なんだこの茶番劇は、という気もしました。
もっとしっかりと追求すべきでしょうが、野党にも弱みがあるのでしょうか、甘い追及でした。年金問題よりも重大な問題なのですが。
それに喚問中に「補佐人」とかいう人が隣にいて、入れ知恵をしているのも気になりました。本気で喚問するのであれば、抗した制度はやめるべきでしょう。常に権力者は自らを守る仕組みを用意しておくものだと感心しました。補佐人には正義感や良識はないのでしょうか。

法も規律も破られました。
社会から名実両方の規範が失われだしたわけです。
規範を守る警察も法曹界も、自らが規範を否定し始めています。
「無法国家」というのはひどすぎますが、まあそうした方向に向けて動いていることは否定できません。
最初のうちは、みんな気づかないものです。

賞味期間など瑣末な問題になっていくでしょう。
吉兆もひどいですが、ひどさの質を見間違わないようにしなければいけません。
守屋前次官は自衛官には謝りましたが、国民には謝っていません。
罪の意識など微塵もないのでしょうが、そこに法治国家の本質を見る気がします。

彼らの責任の取り方に関心を持ち続けたいと思います。
いつもそれがうやむやになってしまいますので。

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■節子への挽歌56:結婚前は毎日詩を贈っていました

毎日、節子への思いを書いていますが、私たちの始まりも同じだったのです。
節子と結婚することになってから、私は毎日、節子に1篇の詩を書いて贈っていました。
毎日、恋人から詩がとどく。
普通なら喜ぶはずですが、節子はそれほど喜びませんでした。

節子に会った頃、私が一番好きだったのは、三好達治の「甃のうえ」でした。

あわれ花びらながれ
おみなごに花びらながれ
おみなごしめやかに語らいあゆみ
うららかの跫(あし)音 空にながれ
おりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるおい
廂々に
風鐸のすがたしずかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうえ
夢のような風景です。
私が当時憧れていた風景の一つです。

こういう詩であれば、節子も喜んだかもしれません。
しかし、私が創る詩は、これとは全く違ったものでした。
たとえば、「金魚が泣いたら地球が揺れた」というような、いささかシュールな詩でしたので、それをもらった節子はわけがわからなかったのかもしれません。
なかにはわかりやすいコミカルなものもありましたが、いつも、「わけがわからない」とあんまり喜んでくれませんでした。
それで1か月くらいで止めたような気がします。
その詩集は今もどこかにあるはずですが、節子も私も読み直すことはありませんでした。
今にして思うと残念です。

節子の友人が、このブログを節子さんにも読ませたい、といいました。
いやいや、節子が読んだら、また言うでしょう。
読むのが大変だから、もっと短くしてよ。
そして、このブログも1か月で終わったでしょう。
終わらずに続いているのは、節子が読んでいないからなのです。

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2007/10/29

■テロ特措法と守屋事件とは別物なのか

守屋前次官の国会召喚を終わって、政府はこれで一区切りつけようとしています。
まさに「手続きの時代」の発想です。
町村官房長官は、テロ特措法と防衛省の問題は別だと明言しましたが、
法案に基づいて実際の行動を起こすのは防衛省です。
両者は決して切り離せる問題ではないと思います。
たとえが悪いですが、犯罪者に凶器になるものを与えるということになりかねません。
それにしても、なぜこれほどの大問題を政府は真剣に正そうとしないのでしょうか。
それは自らが仲間であるからではないか、と勘ぐりたくなります。
守屋前次官の犯罪は厳罰に処されるべきですが、しかし事の本質はそこにはないように思います。
もっと大きな犯罪が見え隠れしているように思いますが、
それを議論しているのはみんな同じ世界の人たちなのかもしれません。
この分野にも枡添さんのような部外者が入ってこなければだめなのかもしれません。

喚問での守屋発言で、防衛大臣経験者も関係していることが明らかになりました。
食事を共にした人の名前も明らかにしなかったことで、それは明らかになったといっていいでしょう。
つまり守屋事件は政治家が一体となった犯罪の可能性があります。
日本の軍事費は世界で5番目に多いそうです。
ちなみに、1995年から2003年まではアメリカについで2番目でした。
憲法9条があり、軍隊もない日本の軍事費がなぜこれほど大きいのか。
これも納得しにくい話です。

喚問前には、守屋前次官は疑惑を否定していましたが、
それが全くの虚偽であったこともまた明確になりました。
つまり彼は「悪質な大嘘つき」だったわけです。
しかも取材に対して、「殴るぞ、お前!」などと暴力的な発言をしている画面をみるとやりきれなくなります。
暴力団に武器を与えるような事はしたくないと、つい思ってしまいました。

よくまあ、こんな大嘘をつけるものだと小心者の私は思いますが、
今や日本は嘘が奨励される社会ですから、仕方ないのかもしれません。
その嘘を奨励する社会に舵をきった小泉元首相と守屋前次官は活躍時期が重なっているというのも納得できます。
類は類を呼ぶものです。

本論から離れてしまいました。
テロ特措法よりも守屋事件の方が重要であること、そしてその解明がない限り、新たな軍事法案は議論しても意味がないということを書きたかったのです。
冗長ですみません。

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■節子への挽歌55:友人の死

節子の死をこんなに悲しんでいますが、私は人の死を初めて体験したわけではありません。
両親の死も体験していますし、友の死も体験しています。
しかし、同居していた父母の死ですら、これほど引きずったことはありません。
親の死と妻の死は全く違います。

親しい友人の死も体験しました。
私のホームページには私よりも若い2人の死のことを書いたことがあります。
加瀬さん三浦さんです。
2人とも私は大好きでしたが、引きずりはしませんでした。
友の死は信じなければ信じないでも済まされるのです。
とりわけ三浦さんの死は今でも信じていないのです。

不思議といつまでも忘れられずに思い出す友人が一人だけいます。
東レ時代の友人の重久篤さんです。私の2年先輩です。
信頼しあっていた人ですが、もう10年ほど前に亡くなりました。
なぜだかわからないのですが、その重久さんのことをよく思い出します。
無性に会いたくなることがありました。

重久さんは節子とも顔見知りでした。
節子が娘たち2人と一緒に香港に旅行に行ったことがあります。
その計画を知った重久さんは、節子たちに親切にお薦めガイドを紙に書いてきてくれました。
お薦めのレストランも書いてありました。
それでわが家族の中では重久さんは、とても親切でよい人の評価を確立したのです。

節子が亡くなった後にも、重久さんのことをなぜか思い出します。
彼岸で、2人は会っているでしょうか。
もしそうとわかっていたら、重久さんに伝言を頼めばよかったです。
最後に会いにいけずに残念だったと。
見舞いに行こうと電話しようと思っていた、まさにその日に、重久さんの訃報が届いたのです。
それがずっと気になっているのかもしれません。
重久さんの笑顔が忘れられません。
一緒に仕事をしたかった人でした。
節子ともいろいろとこれから一緒に活動をしたかったのですが、2人とももういません。

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2007/10/28

■コケにされたのに、なぜもっと怒らないのか

テロ特措法に関連して、給油量問題が話題になっていますが、
常識的に考えれば、意図的な操作だと考えるのが普通だと思います。
これは制服組の反乱行為であり、犯罪というべきでしょう。
当然、刑事告発の対象にすべきでしょう。

首相も大臣も「コケ」にされたわけですが、なぜか福田首相も石破大臣もそれほど怒りません。
なぜでしょうか。
意図的な反乱ではなく、事務的なミスだとしたら、それはそれで大問題です。
国家の安全を担う防衛省としてはあるまじきことですから、
その場合も大臣は即刻、責任者を更迭し、関係者を即刻入れ替えるくらいの大改革を行うべきです。
しかし、だれもそんなことは言い出しません。
さほどの怒りも聞こえてきません。
赤福やミートホープの問題よりも、ことは重大なはずです。
何しろ国家の安全政策を見誤らせかねない事件なのです。
その頂点にいた守屋前次官もせめて田中元社長や浜田社長のように謝罪すべきです。

官僚の不祥事が起きた時に、私がいつも不思議に思うのは、政治家が怒らないことです。
小池さんや田中真紀子さんは感情的に怒りましたが、感情的ですからたいした怒りではありません。
愛国心などを口に出して国を憂えるのであれば、大臣はもっと怒るべきでしょう。
どうしてミスが生じたのか、などという議論の前に、
まずは関係者の名前を公開し、即刻処分するのが常識です。

年金問題もフィブリノゲン問題も、舛添さんになって初めて「怒った大臣」を見た気分です。
舛添さんの顔は、もともと怒っているような顔ですが、
彼の怒りが伝わってきて好感が持てます。怒る時には怒らなければいけません。
本気になれば、怒りがもっと出てくるはずなのに、どうもみんな怒りを出しません。
そうでないと政治家はつとまらないのでしょうか。
もっと怒りをもって取り組む閣僚が増えてほしいです。

拉致問題も、みんな盛んに怒ったふうをしますが、行動にはほとんど現れてこないのが残念です。
本気で怒っているひとはいるのでしょうか。
関係者がいなくなってから解決しても意味がありません。

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■節子への挽歌54:「あれから40年」

一昨日、「そして40数年」と書きました。
そこで思い出したのが、「あれから40年」という、綾小路きみまろの言葉です。

闘病中に、笑いこそ免疫力を高めるということで、友人たちが綾小路きみまろのDVDやCDを送ってきてくれました。夫婦でそれをよく聴きました。
テレビでの放映も何回か観ました。
そこでよく出てくるのが、「あれから40年」でした。
結婚して40年もたつとこんなにも変化するという話を、綾小路きみまろは実に面白く話してくれるのです。
私たちはよく笑いました。
節子の免疫力向上には役立ったはずです。

ところで、私たちもまた結婚してから約40年です。
しかし、残念ながら綾小路きみまろの話とは全く違って、ほとんど40年前の気持ちと関係を維持していました。
いや、むしろ40年の関係が深みを育て、お互いへの思いは深くなっていたような気がします。
若い時のようなわくわくする気分はなくなっていたかもしませんが、一緒にいると幸せになる気分は強まりこそすれ弱まってはいませんでした。
まあ、多くの夫婦も本当はそうなのだと思います。
ちょっとした行き違いから、それに気づかないことが多いのかもしれませんが、別れがくれば必ずわかるはずです。
40年の歳月の重さは否定しようがありません。

熟年離婚が増えていますが、本当に残念な話です。
それではそれまでの自分の人生を否定することではないかと、私は思います。
夫婦の形はいろいろあります。
自分たちに合った夫婦の形が見つかれば、離婚などしなくていいはずです。
節子は彼岸へと行ってしまいましたが、私たちはもちろんまだ夫婦です。
しばらく会えないのが辛いですが、これもまた一つの夫婦の形だと思えばいいでしょう。
今日はちょっと理性的?な記事になりました。

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2007/10/27

■浜岡原発判決の裁判官の責任の取り方

中部電力浜岡原発の運転差し止め訴訟の判決は、「原発の安全性を認め、ことごとく原告の訴えを退けた」(毎日新聞)内容になりました。
おそらく多くの人たちの予想とは違うものではなかったかと思いますが、そもそもこのテーマそのものが裁判にはなじまないような気もします。
現在の日本の裁判の基本パラダイムは要素還元主義による論理整合性に立脚しています。
ホリスティックな発想が入る余地は極めて少なく、入るとしても中途半端な「情状酌量」論しかないように思います。
さらに時間軸においても固定的で、関心は未来にではなく過去にあります。
刑事事件でも被告の更生はかかげますが、原告の未来軸には関心を持ちません。
まあ、そんな小難しい議論は別にしても、今回の判決は生活者の視点から考えればとても大きな違和感をもたざるをえません。

判決は、「指針見直しは旧指針の妥当性を否定するものではない。旧指針に適合していれば、耐震安全性は一応確保されたとみるのが相当」と判断したそうですが、この一文だけを見ると、裁判の立脚している論理にも疑問を感じます。
旧指針の妥当性が肯定されるのであれば、指針見直しは不要です。
それに、旧指針に適合していれば安全性は確保されるなどという馬鹿げた論理が世の中にあるとは思えません。
もしそうであれば、昨今の環境規制などは成立しません。
この裁判官には生きている時間というものがないのでしょうか。

まあ、あまり憤りだけ述べても意味がありませんが、いつも思うのは、なぜこうした事件が裁判ではなく、解決に向けて公開の場でもっと真剣に語られないのかです。
それが実現しないのはなぜでしょうか。
原発反対の運動者にも問題はあると思いますが、責任の過半は電力会社もしくは国家にあると思います。
エネルギー問題や環境問題(それらはいずれも生活に直結する問題です)を踏まえて、関係者が真剣に事実を徹底的に出し合って選択肢を模索するべき問題です。
すべての事業や商品に「絶対安全」などあろうはずもありませんから、問題は安全を高めるためにどういうシナリオがあるのかを考えればいいだけの話なのです。
対立する時間があれば、共創すればいいだけの話です。
原発は企業と社会の関係における象徴的なテーマだと思いますが、残念ながら現状ではまだコミュニケーション基盤さえできていません。
電力会社や行政は、莫大な資金をかけて「コミュニケーションまがい」の活動をしていますが、ほとんどすべては「天下り先の確保」や「企業を儲けさせる事業」に消えています。
原発広報のパンフレットの無駄遣いが話題になったことがありますが、その費用は半端ではありません。
ある電力会社の広報関係者から私たちはこれだけのことをやっているのにと、広報資料を送ってきてくれたことがありますが、そのほとんどは印刷業者の利益を生むだけのものでした。
そうした費用を社会との真剣なコミュニケーション活動に振り向けたら事態は一変するでしょう。お金などそうかからないでブレークスルーできるはずです。

それにしても、今回の判決を出した裁判官の責任は問われないのでしょうか。
裁判官という職業は誰からも裁かれない神のようなものなのでしょうか。
冤罪事件の裁判官がその辛さを告白した事件が最近起こりましたが、裁判官もまた間違いを犯すことはあるはずです。
それは犯罪ではなく、間違いだから罪には問えないということかもしれませんが、そうした常識を見直してみるべきではないかと思います。
間違ってもとがめられないような社会行為はあってはなりません。
それにどんな判決を出してもとがめられないような、緊張感のない仕事は腐敗する恐れがあります。
プロフェッションの誇りは、その緊張感の中から生まれるはずです。
守屋前事務次官は、そうした緊張感のない立場ゆえに犯罪者になってしまいました。
裁判官もそうならないとは限りません。
ニュールンベルグ裁判を思い出します。

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■節子への挽歌53:「節子」が8回も出てきましたね

告別式の会葬の礼状には「節子さん」の名前が8回も出てきましたね」
節子の友人がそういいました。
一緒にいた娘が、会話の中にも「節子」がしょっちゅう出てくるんです、といいました。
そういわれると、そうですね。

このブログの記事でも「節子」は頻出しています。
節子が元気だった頃から、自宅では私は「節子」の名前を乱発していました。
何かあれば、すぐ「節子」でした。
本人がいた時はよかったのですが、いなくなった今も「節子」の名前ばかり呼んでいるので、娘たちにはかなり「うざったい」ようです。
もっとしっかりしてよ、と時に叱られています。

告別式のあいさつは、不思議なことに涙もださずに最後まで話せました。
あんな状況の中で、あれだけ話せるとは感心したと、皮肉ではなく、ある先輩から言われました。
あの時は本当に不思議でした。
しかし、それ以来、時間がたつほどにだめになってきています。
自宅で不安が高ずると、ついつい「節子」といってしまうのです。
そうすると少しだけ気持ちが静まります。
しかし、それを聞いている娘たちにはストレスがたまるようです。
気をつけなければいけません。

むすめが、気持ちが安定するハーブのサプリメントをくれました。
素直に飲んで見ました。
少し落ち着きましたが、「節子」というマジックワードほどには効き目はありません。
「節子」の丸薬はつくれないものでしょうか。

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2007/10/26

■舛添厚生労働相の奮闘

フィブリノゲン問題が漸く明らかにされようとしています。
産官癒着の典型的な事例だと思いますが、生死がかかわる以上、これは犯罪だと思います。
戦争での殺人は許されるかもしれませんが、内政における殺人は許されるべきではないでしょう。
コラテラル・ダメッジの論理は民主国家では本来ありえないはずです。

これに関しては、先の福岡判決の時にも書きましたが、企業も国も責任回避が基本だったように思えましたが、舛添はまずは責任を明言しました。
フィブリノゲン問題のような話は、まだまだたくさんあるはずです。

舛添さんと野党とのやり取りを聞いていて、気になることがあります。
それは野党の相変わらずの「対立」姿勢です。
この種の問題は、本来、対立するはずのない問題です。
対立する前に、野党も一緒になって、問題の解決に取り組めないものでしょうか。
国会は「論争」の場ではなく、「議論」の場です。
もちろん裁判の場でもないので、犯罪者たちを裁くことはできないでしょうが、官僚に対する刑事告発や民事告発ができるのだということを早く示してほしいものです。
そのために、与野党などという枠を超えてほしいものです。
国会議員は、政党人である前に、日本国民であることを忘れないでほしいです。

日本は泥棒国家だといわれて久しいのですが、そこを毅然と正そうとしている舛添さんの言動を見守りたい気分です。
事態をややこしくすることで利益を得ているマスコミには邪魔してほしくないものです。

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■節子への挽歌52:「いい出会い」

先週、会った人にまだ立ち直れないのだと話したら、その人が、「いい出会いだったのですね」と言ってくれました。
「いい出会い」。
別れがそんなに辛いのは、いい出会いの証拠だというのです。
彼は何回か、その言葉を繰り返しました。
もう1週間たちますが、その言葉がずっと頭から離れません。
「いい出会い」。
そうか、私と節子の出会いは「いい出会い」だったのだ。
そう思うととても幸せになります。
ここでの「出会い」とは最初の出会いの意味ではないでしょう。
最初も最後もなく、時間や空間を超えての「出会い」を意味しているような気がします。
そう言ってくれたのは、ハイデッガーの研究者ですから、それに間違いありません。

節子と私の出会いは、本当に偶然でした。
そして、最初に一緒に歩いたのが奈良でしたが、その日はお互いにまだ恋人でもなかったのに、不思議なくらい「あったかな思い出」に包まれているのです。
そして40数年。

少なくとも、私の人生がこんなにも楽しかったのは、間違いなく節子のおかげです。
奈良での、あの1日が、「いい出会い」を象徴していたのかもしれません。

そんなに「いい出会い」だったのですから、今回の別れも、きっと「いい出会い」に包摂されているのでしょう。
そう思うと少しだけ心が安らぎます。

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2007/10/25

■逮捕される人、されない人

連行されるミートホープ社の田中社長の姿をテレビで見ていて、とても気の毒な気がして仕方がありません。
確かに悪いことをしたのでしょうが、どこかで私は同情してしまいます。
何が悪かったのか。
偽装が悪かったのであれば、いまやほとんどすべての商品は偽装ではないかともいいたいです。
偽装などとは無縁だという工業商品や建造物があったら教えてほしいものです。

そのニュースに続いて、薬害肝炎と守屋前防衛事務次官の事件が報道されましたが、そこに関わっている人たちはいずれも逮捕されないのでしょうか。
逮捕する人は「民」であって、「官」と繋がっている人は逮捕されないのかなどと妄想を働かせたくなります。
薬害肝炎のニュースでは、厚生労働省の職員を前にして、被害者が、あなたたちは私たちが死んでもいいと思っているのでしょうと詰問していましたが、実際に彼らはそう思っていたはずです。
生命の尊厳性など感じていなかったとしか思えません。
彼らにとって、「死」は統計上の数字でしかないからです。

守屋さんはどうだったでしょうか。
自らの行為が、どれだけ多くの人命に関わっているかは、全く思ってもいないでしょう。
しかし、防衛とは常に生死にかかわる問題です。
もちろん日本国民に限りません。
自衛隊のイラク派兵が、どれだけの人命を殺傷したかはわかりませんが、軍隊を動かすということはそういうことです。

その点で言えば、最近の日本で最大の殺人準備行為をしたのは小泉元首相でしょう。
彼は日本を「戦争国家」に変えました。憲法の理念を踏みにじったのです。
それによってどれだけの人がこれから殺傷されるのでしょうか。
考えただけでもぞっとします。
しかし彼らの行為を支援したのは、かつてのドイツ国民と同じく、私たち日本国民なのです。
私も、その一人なのですが。

そうした大きな犯罪は見過ごされます。
小さな犯罪を起こした民たちだけが逮捕されます。
民も後ろ盾があれば逮捕を免れます。
金融業界の人たちは、たとえそれによって死者が出ようと見過ごされています。

ミートホープ社の田中さんの連行の画面を見ていて、憤りが再発してしまいました。
弱い者たちは、いつの時代にもいじめられます。
いじめを支えているのは、同じ弱いものたちなのです。
しかし、その弱い人たちが歴史を切り開いていく人たちでもあるのです。
田中さんの再起を期待します。

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■節子への挽歌51:懺悔

日数がたつほどに、節子がいなくなったことの辛さが高まってきます。
おそらく体験したことのある人たちからは、「時間がたつほど辛くなるからね」といわれていましたが、まさにその通りです。
きっと、このあたりで、後追いする人が出てくるのでしょうね。
それがよくわかります。

辛さが増してくると、自分を責めたくなります。
いろいろな見方はあるでしょうが、節子が死んでしまったという事実を考えれば、どんな言い訳も無意味です。
かけがえのない人を守れなかった責任は、すべて伴侶にあるでしょう。
だめな伴侶でした。
外部からは見えないことがたくさんあります。
それを懺悔したい気分です。
もっとも懺悔しても、誰にもわかってはもらえないかもしれません。
むしろ言葉にすると、真意が伝わらないような気もします。

いずれにしろ自己嫌悪に苛まれます。
涙を出せば、少し心が和みますが、これは自己満足かもしれません。
今頃涙を出すのであれば、なぜこうならないように尽力しなかったのか。
今から思えば、できることが山ほどありました。
それをやっていなかったのです。
節子に対して、誠実な対応をしていなかったことも山ほどあります。
節子は必ず治るという確信を持つことが、誠実さを失わせてしまっていた面もあります。
自分までもが、その言葉に振り回されて、現実をしっかりと見ようとしなかったのです。
自分のことしか考えていなかった自分が忌まわしく感じられます。

だめな夫だなと誰かに叱責されたい気持ちがある一方で、
もし実際に叱責されたら、やはり後を追いたくなるだろうなという不安もあります。
節子がいたら、止めてくれるでしょうが、残念ながらその節子がいないのです。
ですから、自分で自分を叱責するのが精一杯です。
この複雑な心境は、なかなかわかってもらえないでしょうが、きちんと残しておきたいと思って、書きました。

まわりに私のような立場の人がいたら、何もいわずに一緒に悲しんでやってください。
今、私がほしいのは、慈悲の慈ではなく、悲をシェアしてくれる人です。
ないものねだりなのはわかっているのですが。

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2007/10/24

■郵政民営化の現場事情

郵政民営化のおかげで、いろいろと不便を感じている人は少なくないと思います。
ようやくみんなも「民営化」の意味がわかってきたのではないかと思います。
社会にとっては百害あって一理なしです。金儲けにはつながりますが。
金儲けにしか関心がなく、現場を体験していない「有識者」の人たちにはたぶん縁のない話でしょうが、現場の担当者も利用者も苦労しているはずです。

たとえば、パスポケットという仕組みがありました。
郵便小包の一種ですが、400円で全国に郵便物を送れ、その追跡調査が出来ます。
それで荷物を送ろうと郵便局(名前が変わっているのでしょうか)にその用紙をもらいにいったら、民営化のためまだ用紙が届いていないというのです。
民営化してもうかなりの日数がたっています。
信じられない話ですが、現物がないのであれば仕方がありません。
サービスの悪化は、いうまでもありませんが、民営化の必然的な結果です。
まあ、これは世の中の常識とは反対の私見ですが。

民営化に関する案内パンフレットは2回以上、わが家にも送られてきました。
そんなことより内部の対応をしっかりしてほしいものです。
新しい郵便会社のトップはほとんどが現場を知らない人で、いま流行のマーケティングとかコミュニケーション戦略にしか目が向いていないのでしょう。
JRもそうでしたが、民営化は「事業価値」などには無関心で、「事業利益」にしか目が向けられないのです。
地方の郵便事情が悪化するのはわかっていましたが、まさか都市部においてもここまでひどいとは思ってもいませんでした。

組織利益は重視しても、社会利益を無視するのが、昨今の民営化です。
少し言いすぎでしょうか。

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■節子への挽歌50:生きる意味

ある人から、供養のために、33回忌まであなたは生きなくてはいけませんよといわれました。
その人は娘さんを亡くしていますが、その33回忌が107歳なのだそうです。
ですから大変だといっていましたが、「佐藤さんはまだ99歳だから大丈夫だ」といわれました。
残念ながら私は33回忌まで生きる勇気がありません。
33年も節子を一人にさせておくわけにはいきません。

亡くなった人の分まで生きなければといわれます。
もしかしたら、私も同じようなことをこれまで言っていたような気がします。
しかし、いま当事者になって初めてわかったのですが、そんな気にはまったくなれません。
さらにいえば、殉死の風習もまんざら悪いものではないというようなことも考えます。
風習にはそれぞれ意味があることを改めて思い知らされます。

私は殉死はもちろん、命をおろそかにすることはありませんが、あえて長生きもしたくありません。
しかし、節子がそうであったように、もし生きる意味があれば、つまり関係を絶つことを避けるべきであれば、凄絶な闘病も厭わないつもりです。

残念ながら、私はまだ、自分がこれから生きていく意味が見つかりません。
私にとっては、節子こそが「生きる意味」だったのです。
その節子がいなくなってしまった日から、私は何のために生きているかわからなくなってしまいました。
あえていえば、娘たちがまだ結婚していないので、彼女たちの家族の一員として生きていなければいけないということが当面の意味です。
彼女たちが、それぞれに独立していけば、私はまた「生きる意味」を失います。
「生きる意味」がなくなれば、人は自然に生きることを止められるようです。
イヌイットに関する文化人類学者の本で、そんなことを読んだ記憶があります。

もしかしたら、「節子の供養」がこれからの私の「生きる意味」かもしれません。
しかし、死者の供養のために生きるというのはどこかに矛盾がありそうです。
供養するくらいなら、早く自分も彼岸に行けばいい。
それが一番の供養ではないか。みなさん、そう思いませんか。

まあ、この問題はもう少し考えてみたいと思います。
この歳になって、まさか「生きる意味」を模索することになろうとは思ってもいませんでした。

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2007/10/23

■ユンゲの懺悔

今月号の「軍縮問題資料」(2007年11月号)はぜひ多くの人たちに読んでほしい記事が満載です。
以前も何回か書きましたが、この雑誌の講読をお薦めします。

共感した記事の一つは、折原利男さんという高校の先生が書いた「教育はどうあるべきか」です。
そこに、2004年に制作されたドイツ映画「ヒトラー 最後の12日間」の話が出てきます。
たまたまこの映画は、一昨日、BSで放映されていたので、ご覧になった方もいるかもしれません。ヒトラーの秘書だったユンゲの回想録に基づいて制作された映画です。
その映画に言及して、折原さんはこう書いています。

この映画でくつきりと心に刻まれるヒトラーの言葉がある。破壊されていく首都ベルリンと、無残に殺されていく無数の市民について、彼は「(国民が)自ら選んだ運命だ。自業自得だ」と語るのだ。つまり、自分たちに国を委ねたのは国民であり、その国民自らが招いた報いだと言うのだ。そこにはヒトラーの冷酷さと責任逃れがあるというだけでは片づけられない、国民の責任というものが凝縮されて提示されている。「ヒトラーなるもの」を生み出したのは、紛れもなくドイツ国民自身なのだった。
映画の中では訪ねてきたシュペアーに向けて話された言葉になっています。シュペアーについては、以前、2回ほど書いたことがありますが、ヒトラーに信頼されていた人物です。

ユンゲ(本人が映画の最初と最後に登場します)は、ある時まではナチスのユダヤ人虐殺は自分とは無縁のことだったと思っていたそうですが、ある時にそうではなかったことに気づきます。
それは同じ歳のユダヤ人女性が、ユンゲが秘書になった、まさにその年に処刑されていたことを知ったからです。
その気になれば、ナチスのやっていたことはわかったはずだったと気づくのです。
そして、こう語ります。
「怪物の正体を知らなかった自分を今も許せない」
「若さは無知の言い訳にはならない」
ユンゲの懺悔は、彼女の人生をどれほど重いものにしてしまったことでしょう。

この話を紹介した後、折原さんは続けてこう書いています。

憲法改正をはじめとして、すべてはわれわれ国民の判断と選択にかかっていて、結局は国民の責任なのだということを再確認する必要があるだろう。ヒトラーの言葉のように、われわれ市民の自業自得としてはならないのだ。また、最悪の結果を招いてから、若者にユンゲのような懺悔をさせてはならないと思う。そのような意味でも、教育の責任は大きいと言えるだろう。
その教育が、国家によって壊され続けています。
新教育基本法の制定は、安倍政権の成果という人たちにはぜひこの映画を観てほしいと思います。
戦後レジームからの脱却とは、ナチスが目指した道につながることだと思いますが、どれだけのユンゲがこれから生まれてくるのか心配です。
学校教育はますます壊されていく気がします。

日本はもう角を曲がってしまったのかもしれません。
まあすべては自業自得なのですが。

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■節子への挽歌49:花がまだ届き続いています

花がまだ届き続いています。
ホームページやブログで、「節子は花が大好きだった」と書きすぎているためではないかと娘たちから注意されました。

それにしても、本当に驚くほど、花が届きます。
いつか書きましたが、少なくなると届くのです。
昨日は近所のご夫妻がとてもおしゃれな花を持ってきてくれました。
子どもがお世話になったのに病気のことを知らなくてすみませんでしたと、会うたびに言ってくれていた人です。
節子がどんな世話をしたのかよく知りませんが、こちらのほうが恐縮してしまいます。
節子の人柄なのでしょうか。子どもに本当に好かれた人でした。

今日は滋賀の親友たちから花が届きました。
私以上に長い付き合いの親友たちです。
女性のつながりの深さには感心します。

そんなわけで、小さな仏壇が花で埋まっているのです。

Setsukohanaそれを見ていてハッと気づきました。
節子は「花になってチョコチョコ戻ってくる」と言い残しました。
もしかしたら、こうして届いている花は節子なのではないかと思えだしたのです。
そういう意識で花を見ると、最近は供花といいながらも、あったかでホッとするような色合いの花が多くなっています。
もしかしたら、この花は節子なのかもしれません。
花に囲まれているのは節子ではなく、節子が私たちを囲んでいたのです。

でも、幸いにわが家の庭の花も元気になってきました。
もう送っていただかなくても、持ってきていただかなくても、わが家の庭の花で献花できます。
節子もきっとわが家の庭の花になって戻ってきはじめるでしょう。

長いことありがとうございました。

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2007/10/22

■赤福はなぜ道を間違ったか

赤福の問題は最初はわずかな行き違いだったような気がしましたが、その実態が見えてくるにつれて、そうではなくてこれまでの食品メーカーと同じく、意図的な行為だったことがわかってきました。
日本の老舗の経営理念を高く評価している私としては、残念でなりません。

数年前に先代の社長に何度かお会いする機会がありました。
赤福の事業に関連してではなく、伊勢のまちづくりに関連して相談を受けたのです。
企業経営に関しては、お話しませんでしたが、赤福に対する思いの強さは感じました。
その日にできたものを売り切ること、そのために東京には出荷しないこと、などをお聞きして、私も赤福ファンになりました。
まちづくりに対しても、しっかりした哲学と見識をお持ちであり、実践されていらっしゃいましたので、その点でも感心しました。

残念ながら、その時はいろいろとあって、お役には立てなかったのですが、3か月ほどのお付き合いの中で感じたのは、まわりの人との距離感でした。
いいかえれば、世間、あるいは社会との距離感です。
トップがあまりにも突出しすぎてしまうと組織はおかしくなることを体験的に感じていましたので、危惧の念を持っていました。

しかし、今回のようなことが起きようとは思いもよりませんでした。
残念でなりません。
現場の人たちの思いがトップにもし伝わっていたら、こんなことにはなっていなかったはずです。
少なくとも先代の社長は、意図的に今回のようなことを認めることはなかったでしょう。
しかし、結果的に認めてしまったわけですが、ここに組織の恐ろしさがあると思います。

経営者こそしっかりした信念と社会性を持つべきだという「経営道」の活動にささやかに20年関わらせてもらっていますが、どうも問題は個人ではなく組織の原理にありそうです。
そんなことを改めて考えさせられています。

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■節子への挽歌48:節子のいない世界がまだ理解できません

節子の親友が、節子と一緒に旅行に行った時の写真のCDをもってきてくれていたのですが、見る気になれずにいました。
昨日、CDを開いてみました。
元気な節子の写真が出てきました。
「あの節子」でした。
葬儀に使った写真は、節子の生き生きした表情を伝えていませんでした。
それがずっと気になっていました。
しかし、節子のほかの写真は見る気にもなれませんでした。
写真を見るとどうしようもなくさびしくなるのです。

49日の前日、義姉が1年前に一緒に行った時の写真を送ってきてくれました。
真っ青な日本海を背景に、節子が灯台の柵の上に座って笑っている写真です。
1年前はこんなに元気だったのです。
その写真も凝視できないままでしたが、改めて見直しました。
「あの顔」が、そこにもありました。

とてもあったかで、とてもやさしくて、でもどこかに少しばかり哀しさもあって、その笑顔を見ているだけで、私は幸せになれました。元気ももらえました。
写真をプリントアウトして、手帳にはさみました。
パソコンの壁紙にも貼り付けました。
これで毎日何回も、節子の笑顔に対面できます。

でも、写真をいくら見つめていても、元気が出てきません。
出てくるのは涙だけです。
これまで以上に涙が出るようになってしまいました。
なにをやっても裏目に出ます。

私にとって一番必要ないま、その笑顔に出会えないのが不思議でなりません。
節子がいない世界に生きている自分が、まだ理解できずにいます。

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2007/10/21

■節子への挽歌47:節子が彼岸に行ってしまいました

七七日法要でした。
家族を中心に静かに見送りました。
菩提寺である真言宗のお寺に納めさせてもらいました。
私の両親と同じ墓です。
戒名は、慈花節操清大姉をもらいました。
ちなみに、節子は戒名は要らないといっていましたが、約束違反してしまいました。

節子はお墓も要らないといっていましたが、1年ほど前からやはりお墓に入りたいと言い出しました。
そして彼女が選んだのが、私の両親の墓でした。
きっと一人ではさびしかったのです。
私の両親は私たちと途中から同居していました。
途中からの同居だったので、節子は苦労したはずですが、とてもよくしてくれました。
両親は節子に深く感謝しているはずです。
私にはあまり感謝していないでしょうが。
私の親孝行は、節子と結婚したことだけでした。
節子も、修と結婚したことが私の親孝行の一つだったと言ってくれたこともがあります。
お互いの親にもとてもいい結婚相手だったのです。

節子が自宅を出て、彼岸に行ってしまったと思うととても寂しいですが、かといってこちらに引き止めていても困るのは節子です。
しかし、不覚にもまた泣いてしまいました。

法要の後、元気になったら一緒に行こう、と節子と約束していたレストランに行きました。
節子の親友だった人も来てくれたおかげで、涙なしの会食ができました。

それにしても、最近また、無性に涙が出るのです。
自分でも信じられないくらい涙が出ます。
涙が枯れるなどというのは本当でしょうか。

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■戦争と犯罪はつながっています

赤福事件やサブプライム問題など、気になることが多いのですが、
犯罪に関することをもう1回だけ続けます。

戦争と犯罪はどう違うのか。
戦争は外部関係であり、犯罪は内部関係の話です。
その点を除けば同じものではないかと私は思っています。
そしてグローバル化された世界においては、戦争と犯罪を区別できなくなってきます。

ネグリが「マルチチュード」で語っているように、
帝国主義の時代には国家間のぶつかりあいが戦争として現出しましたが、
国境がなくなったグローバルな世界では内戦とテロが現実の形になってきます。
それらは似て非なるものですが、
そこの認識の食い違いからイラクやアフガンの混乱は生じているように思います。いずれもベトナムの再来です。

日本の防衛戦略には、そうした整理が欠落しているように思います。
基本にあるのは古色蒼然とした国家論です。
語っているのは、その国家に寄生している人たちです。
ですから防衛省の事務次官(当時)の犯罪は驚くに値しません。
少し言いすぎかもしれませんが、戦争を管理する国家と犯罪は深く繋がっています。
同じことが、警察(検察や弁護士も)と犯罪の関係でも成り立ちます。
犯罪があればこそ、警察は存在意義を持ち、戦争があればこそ国家は存在意義を持ちます。

新しい暴力の対立軸は、国家対国家ではなく、個人対個人、もしくは個人対制度です。
ここで「個人」とは「一人の人間」という意味ではなく、個人という主体性のつながりの上にある個人です。
ネグリの言葉をかりれば、マルチチュードです。
その構造に立脚すると、犯罪や暴力への対処の仕方が変わってきます。
飛躍した喩えですが、西洋医学と東洋医学の違いに似ているかもしれません。

さらに飛躍した話をすれば、問題解決のための仕組みは、
それ自体を無くすことを目的にしない限り、いつか問題発生の仕組みになっていきます。
産業のジレンマ」と同じように、「制度のジレンマ」は悩ましい問題です。

21世紀は、真心の時代になると期待していましたが、当分はまだ無理そうです。

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2007/10/20

■人はどこまで犯罪を「進化」させられるのか

昨日に続いて犯罪の話です。
信じがたい犯罪行為が毎日のように報道されています。
いったいこれからどうなっていくのか不安があります。

明らかに犯罪の質が変化しています。
一つには、これまでは隠されていた犯罪行為が露出してきたということもありますが、犯罪行為自体が変質してきたことも否定できないように思います。
人間が考えられる行動の閾値が変化してしまったのでしょう。
人間という存在すべてに、「ふた」がされていた領域(あるいは考え)が解き放たれたのです。
これもまた、ある意味での「発見」かもしれません。
たとえば、「動機なしに人を殺すことができる」ことが発見されてしまったのです。
「不特定多数の殺人」などは、一昔前には思いつかなかったことではないかと思います。

ただ、そうした事実がなかったわけではありません。
国家や宗教組織などによるジェノサイドは大昔からありました。
しかし、まさかそれを個人ができるとは誰も考えなかったでしょう。
ましてや自分でやることなど思いもしなかったはずです。
それが最近、「個人でもできること」として「発見」されてしまったのです。
ふたがはずされると、発想は一挙に広がります。
現在の犯罪事件の報道にふれていて、私にはそんな感じがします。

エデンの園で、イブにリンゴを食べさせた蛇は、まだどうも健在のようです。
心しなければいけません。

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■節子への挽歌46:核家族での死、大家族での死

昨日の続きです。
生きることの意味が「関係」の中にあるとすれば、関係をたくさん持っている人生は豊かです。
人間関係には、快いものも不快なものもありますが、快不快はコインの裏表です。
ですから多様な関係をもっていることは人生の豊かさに通じます。
もちろん、たった一つの関係でも、深く深く育てていけば、それもまた豊かさに通じます。

わが家はまだ2人の娘が自宅に同居しています。
私の両親はもう既に亡くなっていますので、今までは4人家族でした。
その一人だった節子がいなくなり、いまは3人家族です。
家族の1/4がいなくなったということは、生活のうえでは大きな変化です。
もし家族が10人もいたら、変化はもう少し小さかったかもしれません。
数の問題なのかと思うかもしれませんが、間違いなく数は大きな問題です。

もちろん、家族の数とは関係なく、伴侶は一人ですから、かけがえのない関係です。
しかし、私に妻が10人いたら、これほどの衝撃を受けないでしょう。
10人も妻がいれば、私にとって、その一人は「かけがえのない存在」にはならないはずです。
娘たちが結婚してわが家を出ていたらどうでしょうか。
妻と2人だけの家族の一方がいなくなったら、その衝撃は大きいです。
そうでなかったことを感謝しなければいけません。
節子との別れは辛いですが、今の私は娘たちに救われています。

最近は核家族化が進んでいます。
核家族になったために祖父母の死に居合わせることがなくなり、子どもたちが死を実感できなくなったともいわれています。
たしかにそうでしょう。
今では死は日常的なものではなく、頭で想像する時代です。
そのため、ひとたび、死が現実のものになると、そのショックを緩和する仕組みがなくなってきています。
とりわけ老夫婦だけの家族では伴侶の死は残された者の生命をも奪いかねません。

大家族から核家族になってまだ半世紀少しです。
その咎(とが)がいろいろな形で出始めていますが、まだまだ出てきそうです。
そろそろ核家族文化を見直すべきではないかと、思います。

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2007/10/19

■権力や権威の犯罪を告発する動きが出始めました

厚生労働省が、血液製剤フィブリノゲン投与者を知りながら、本人に告知しなかったことが漸く刑事告発の次元で検討されだしました。
権力ないしは権威に対する刑事告発は、これまではなかなか難しく、よほどのことがないと行われませんでしたが、最近ようやく「告発してもいいのだ」という意識が生まれだしたような気がします。
犯罪者の属性によって、犯罪が帳消しになる社会から、日本も漸く脱しつつあるように思います。
その反動があるかもしれませんが。

この事件に関しては、以前、「厚生労働省の犯罪」として書きました。
年金に関する公務員の犯罪も刑事告発が始まりました。
同じ仲間の自治体首長は異論を唱えていますが、告発されるべきは彼ら自身でもあることを知っているからかもしれません。
管理責任を厳密に適用したら、日本におけるほとんどすべての権力者は刑事告発の対象になるかもしれません。
それは組織原理に問題があるからだと思いますが、であれば、守りではなく一緒になって仕組みを変えていくべきだと思いますが、なかなかそうはなりません。
管理型社会における組織では管理するほうの犯罪は基本的には問われずに、ただ「革命」時や「延命」時に例外的に問われるだけでした。
田中角栄への告発も、その一つの事例でした。
彼が裁かれたのは、その属性の故かもしれません。
これは私の思い過ごしかもしれませんが。
しかし、民主型の社会では権力者こそ厳しいチェックの目にさらされることになります。
そうした社会のパラダイムが移行しつつある中での混乱がいま起こっているように思います。

弁護士の犯罪」についても書きましたが、権力と同時に、権威もまた刑事告発の対象になっていくでしょう。
なぜなら、権威の多くは権力にお墨付きをもらっていますから、権力のバリエーションの一つでしかありません。

念のためにいえば、権威は与えられる権威と生まれてきた権威があります。
弁護士は前者の典型です。
司法界の独立などは現実には、そして論理的にも存在しないような気がします。
光市母子殺害事件の弁護団こそ、刑事告発されるべきだと私は思っていますが、彼らは与えてくれた権力のために奔走しているわけですから権力はなかなか告発しないでしょう。
死刑制度の廃止を議論することは権力にとっては象徴的な問題です。
冤罪問題とは全く次元が違います。
冤罪を問題にせずに、死刑制度を問題にするところに、彼らの本質が見えてきます。
それに法曹界の仲間意識は極めて強いようですから、内側からの自浄作用も起こりにくいようです。

学校における教師の犯罪、企業組織における上司の犯罪、スポーツや文化の世界における師匠の犯罪、官僚におけるトップの犯罪、そうしたことがどんどんと顕在化してきていますが、残念ながらそれを根本から解決しようとする取り組みはあまりみられません。
結局は、防止のための管理装置をつくるだけですから、犯罪は進化しても無くなりはしないでしょう。

組織原理あるいは文化を変えていかねばなりません。
それに向かって動き出す一歩は簡単です。
すべてを透明にすればいいのです。
そしてすべての人間がつまるところは同じ尊厳さをもっていることを自覚することです。
実際には、それをどうやって実現するかが問題なのですが、先ずはその意識を持つことです。
1円から領収書を添付するかどうかなどという馬鹿げた議論ではなく、実態を見えるようにすれば、犯罪の素地は大きく変化するはずです。
事実を隠そうとしたい意識から犯罪は起こるのですから。

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■節子への挽歌45:死と別れ

死と別れは全く違うものです、

節子は、死を恐れたことはありませんでした。
死にたくないとも言ったことがありません。
むしろ苦しい闘病生活の中で、早く死にたいというニュアンスの言葉は話していました。

節子が悲しがっていたのは、別れです。
私との別れ、娘たちとの別れ、友人との別れ、そして自分がやってきたこと、やりたかったこととの別れです。
がんの宣告を受けた時も、節子は死に対しては何の恐れも見せませんでした。
むしろ、人は必ず死を迎えるのだから、それは仕方がない、あなた(私のことです)こそ、そのことをしっかりと受け止めてよ、という感じでした。
しかし、その一方で、節子の無念さやさびしさは痛いほど伝わってきました。
そして悔しさも。
私たちは時々、悔しさで涙を流しました。

死がもたらす別れ。
それこそが、死を避けたいと思う最大の理由のような気がします。
もしそうであれば、生きるとは関係の中にこそ意味があります。
何回も書いてきていますが、生命は「つながり」です。
人と人、人と自然、人と文化などのつながりの中に。生命は息吹いています。
人と人の関係にこそ、生命の最大の価値があります。
死は、それを断ち切ってしまうわけです。

余計なことを書けば、それゆえに、別れがプラスの価値に転ずると思う時、人は死を選ぶのかもしれません。
しかし、それは誤解です。
ある部分に限れば、別れがプラスになることもありえますが、全体の人生の中では絶対にプラスにはなりえません。
人は追い込まれると、ある部分しか見えなくなるのです。
それは東尋坊で活動している茂さんからも教わりました。

私たちは、死に直面しないと、こうした関係の大切さを気づかないのかもしれません。
別れの驚くほど大きなさびしさに思いが至らないのかもしれません。
節子の、そのさびしさを私はどの程度共有できていたのでしょうか。
今にして思えば、私はだめな伴侶でした。
今頃、涙を流しても何の役にも立ちません。
だから辛いのです。

別れが来る前に、もっともっと関係を大切にしておけばよかった、と私はいま、つくづく思います。
気づくのが本当に遅すぎました。
節子との別れが実感できるようになるにつれて、そうした後悔が高まります。

私も、自分の死は全く怖くはありません。
死が悲しいのは別れが起こるからです。
娘たちのために、もう少し生きなければいけません。

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2007/10/18

■マスコミは何をベースに記事を書くべきか

今日の朝日新聞の天声人語を読んで、やはり赤福事件も一言書いておこうと思い直しました。
但し、赤福に対してではありません。マスコミに対してです。

天声人語の記事はこうです。
しばらくするとネットでは読めなくなるので、一部を引用させてもらいます。

「ここだけは安泰」と信じた旧来の和菓子ファンは、帰る所を失った心地ではないか。伊勢名物、赤福の偽装である▼包装ずみの商品を冷凍保存し、包み直して売っていた。品切れを防ぐため、70年代から続くやり方だという。解凍し、再包装した日を製造日と偽った品は、過去3年の出荷量の2割近くになる▼小欄にとって、赤福の後味はほろ苦い。8月、北海道銘菓「白い恋人」の賞味期限偽装を取り上げた。経営者が赤福の伝統を目標にしていたことを紹介し、こう書いた。「今年創業300年の赤福の餅は、ごまかせない『製造日限りの販売』だ。伝統にはそれぞれ、理由がある」▼読者の皆様から「赤福にはもちろん、天声人語にも裏切られた」というおしかりや、「天声人語も犠牲者だ」とのご意見をいただいた。いずれにしても老舗(しにせ)の看板に目が曇り、公式サイトの言い分をうのみにした不明は恥じるほかない。
最後の「老舗(しにせ)の看板に目が曇り、公式サイトの言い分をうのみにした不明」。
まさにこの点にこそ、最近のマスコミの最大の問題があると思います。

最近のマスコミ報道は、多くの場合、二次情報をベースにしていることが多いです。
そこに大きな落とし穴があります。
昔、「非情報化革命論」を書いたことがありますが、二次情報どころか三次、四次と現場からどんどん離れた情報が大手を振って闊歩しているのが現代です。
そこでは情報ではなく、バーチャルな現実が作られているといっていいかもしれません。
そのためリアルな現実が見えなくなってしまいがちです。
現実を報道すべきマスコミが、現実を見えなくしているわけです。

そうしたことを回避するにはどうしたらいいか。
それは第一次情報にしっかりとアクセスすればいいだけの話です。
真実は現場にしかありません。
そうしたことが昨今のジャーナリズムでは軽視されがちです。
長井さんのような存在は、国内でも必要です。
会社の現場をしっかりと見れば、事実はかなり見えてきます。
経営者に会えば、その企業の実体は見えてきます。
赤福の経営者が悪いと行っているのではありません。
しかし落とし穴は見えるものです。

赤福の事件を、ぜひともマスコミは自らの問題として考えるべきだと思います。
亀田事件も赤福事件も同根です。
氷見市の冤罪事件も郵政民営化もみんな同じかもしれません。
マスコミは影響力が大きいですから、自分の目で現場を見て、書いてほしいものです。

ちなみに、赤福は私も女房も好きでした。
先代の社長から「作った日にしか食べてほしくない」と言われて以来、私は赤福ファンになりました。
名古屋に行ったら、必ず買ってきました。
赤福は私も女房も好きでした。
冷凍であろうと、とても美味しかったです。

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■節子への挽歌44:「普通に暮らせることが一番の幸せ」

節子の口癖のひとつは、「普通に暮らせることが一番の幸せ」でした。
私も相槌をうっていましたが、いま思えば、その意味を全く理解していませんでした。
その一事をもってしても、私の生き方の不誠実さがよくわかります。

「普通に暮らせること」とは何なのか。
これは難しい問題ですが、節子の言いたかったのは、昨日と同じように今日もすごせるという意味でした。
このことは節子には大きな意味を持っていました。
台所に立てる時間が少なくなってきた頃、節子はとてもさびそうでした。
私はその寂しさをあまり深く思いやることができていなかったように思います。
また前のように食事をつくれるようになれるから、と言っていました。
元気付けるつもりだけではなく、本当に私はそう思っていました。
その時の節子のさびしさを理解しようとしていなかったのです。

明日は今日よりも良くなるようにと、私たちはついつい思いがちです。
でも大切なのは、昨日と同じように過ごせることが大事なのだと、ようやく私も気づきました。
宮沢賢治の「雨にも負けず」を読み直してみました。
不思議ですが、涙が止まりませんでした。
やっと賢治の気持ちが少しわかったような気がしました。

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2007/10/17

■あなたは待つのが好きですか、苦痛ですか

妻が亡くなったため、これまで妻に任せていたことを自分で少しずつやりだしました。
そこで気づいたのですが、「待つこと」が多い社会になっているような気がします。
昔からそうだったのでしょうか。
私は長らくビジネスの世界に生きていたため、まちづくりやNPO関係の世界に入った時には、スピード感の違いにかなり戸惑ったものです。
しかし、それとは別の意味で、「待つ時間」の多さを最近、体験しています。

たとえば昨日、カードを作ってもらうために銀行に行きました。
私の住んでいる我孫子にはその銀行の店舗がないので隣の柏駅まで電車で行きました。
そこで1時間近く待たされてしまったのです。混んでいる時間帯だったようです。
私は待つことにおいては、30分が限度です。
そこで帰ろうと思ったのですが、同行してくれていた娘に諭されました。
銀行で30分待つのは珍しいことではない、それに今まで待った30分が無駄になるというのです。
なるほど、そういえば途中でやめて無駄にした時間は私にはかなりあります。
実は今回、銀行に来たのは3回目だったのです。
結局、1時間近く待って順番が回ってきました。
ところが、ある理由でカードは作れませんでした。
どうも銀行の手続きは難しくなってしまいました。

私が会社を辞めた20年近く前には、銀行窓口でいかに待たさないようにするかが大きな課題でした。
ある雑誌に依頼されて、そうした小論を書いた記憶もあります。
ところがその数年後に、ATMの機械の前に行列ができるようになりました。
たぶん文化が変わったのです。
そういえば、郵便局でもけっこう待たされることが多いのに驚きました。
社会保険事務所も職業安定所も待たされるのが苦痛で、途中で帰りました。
そのため、失業保険をもらい損ねてしまいました。
今から思えば、何と馬鹿なことをしたことかと後悔しています。
女房には怒られました。

今日は百貨店に商品の配送を頼みに行きました。
混んでいたこともあって、少し待たされました。
我慢できないほどではなかったのですが、その時に、これが主婦の時間感覚なのだということに気づきました。
主婦のみなさん、言い換えれば「生活者」の、です。

「生活者」と「生産者」はきっと時間感覚が違うのです。
私は長らく生産者の世界に軸足を置いてきたために、「待たされる」という感覚を持ってしまいますが、「生活者」はそう感じていないのかもしれません。

いつか宅急便に関して、すべてが翌日に届く必要などないのではないかと批判的に書きましたが、私自身の中にも、翌日到着願望があるようです。身勝手なことです。

待たされるといえば、ディズニーランドでは待つのが当然の文化が出来上がっています。
パソコンなどのトラブル問い合わせも電話で待つのが当然です。
見渡していくと、いまや「待つ」のは常識の世の中なのですね。

女房がいなくなったおかげで、社会の実態が実感できる毎日です。
待つことは疲れますが、待っていればいつかは解決します。
しかし、いくら待っても妻はもう戻ってきません。

あれ、いつの間にか「妻への挽歌」になってしまいました。
困ったものです。
待ったら私の悲しさは解決するのでしょうか。

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■節子への挽歌43:節子は手紙を書くのが好きでした

節子は手紙を書くのが好きでした。
手紙をもらうのも好きでした。
私はかなり早い時期からワープロやパソコンで手紙を書くようになりましたが、節子は手書きでなければ手紙ではないといっていました。
年賀状のあて先も一枚ずつ手書きでないとだめでした。
今年は体調が悪かったので、不承不承、あて先だけはパソコンを使いましたが、毎年、丁寧に宛先を自筆していました。書きながら相手の顔を思い出すのだそうです。

節子の闘病中に、友人たちからたくさんの手紙をもらいました。
彼女の手紙仲間からのものです。
絵手紙もあれば、俳画もあれば、写真付もあります。
節子はそうした手紙にとても元気づけられていました。
寝室の壁には、そうした葉書や手紙がたくさん貼り出されていました。
その手紙や葉書を見ていると、節子の闘病のことが生き生きと思い出されます。

思い出す。
この「思い出すこと」は私にとってはとても複雑です。
思い出したい一方で、思い出したくないのです。
楽しかった思い出や良い思い出だけに浸ればいいとアドバイスしてくれた人もいますが、悲しい思い出だけが辛いわけではありません。
楽しい思い出こそ、実は涙がでるのです。
闘病中の節子と、いつかこの辛さも笑いながら話せるようになるよ、と何回も話していました。
私はそう信じていましたが、節子はきっとそう信じていると私に思わせていただけでしょう。
私に対して、自分のことはよくわかるの、ともいいました。
その時の節子の気持ちは、今は痛いほどわかります。

手紙好きな節子も、毎日会っている私には手紙を出す機会がありませんでした。
ただ一度だけ私に葉書が届きました。
一緒に旅行に行っていた時、その旅行先から私のオフィス宛にこっそりと出していてくれたのです。
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一体、いつ書いたのでしょうか。
ほとんど一緒にいたはずなのですが、全く気づきませんでした。
受け取った時には、またやられたとすごく嬉しくなりました。
節子はこうしたちょっと「お茶目」なことで、サプライズを起こすことが大好きでした。
そういう節子が私は大好きでした。
私にとっては、節子は私の人生を豊かにし幸せにしてくれる魔法使いだったのです。
その時の葉書は今も残しています。

手紙好きな節子が、彼岸から私に手紙をくれるのではないかと密かに期待しています。
笑われるでしょうが、本当に期待しているのです。
節子ならきっとその方法を考えてくれるでしょう。
節子は私には何でもできる魔法使いでもあるのです。

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2007/10/16

■「来年の4月辺りが一番わかりやすい解散の時機」?

民主党の鳩山さんの発言が朝日新聞に取り上げられています。

鳩山氏は衆院解散について、「我々は予算本体、予算関連法案に賛成することはない。しかし、(政府が)『予算は上げてもらいたい』となれば、(民主党は)『分かった。それならば、解散しろ』という発想があるのではないか」と述べ、野党が参院の過半数を占める中、政府・与党との「話し合い解散」に触れた。さらに、鳩山氏は「来年の4月辺りが一番わかりやすい解散の時機になるのではないかと思っている」と語った。(朝日新聞2007年10月16日)。
まあ、別に新しい意見ではなく、多くの識者が語っている話です。
しかし、私には、「予算」を成立させて解散という発想がどうも理解し難いのです。
予算は内閣や国会の意思が集約されたものです。
予算を決めた国会や内閣が責任を持って執行すべきことです。
予算だけ決めて、その後で国会の構成が変わったり、政権交代があったりするということはどう考えても納得できません。
解散選挙で国民の意向を確認するのであれば、当然、予算審議の前に行うべきでしょう。
それが素直な常識です。
「来年の4月辺りが一番わかりやすい解散の時機」と鳩山さんはいいますが、私には全くわかりません。
どうやら私は政治オンチになってしまっているようです。

予算審議を政争の具にはしてほしくありません。
「政治」と「政争」とは全く別次元の話なのですから。

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■節子への挽歌42:世界における立ち位置も変わっていました

昨日、立ち位置のことを書きましたが、そのつづきです。
昨夜、娘たちと買い物に行きました。
娘たちが買い物をしている間、私は売り場の外のいすに座って待っていました。

いすで待っていると、しばらくして節子が姿を現してくれました。
しかし、もうその場面はないのです。
そんなことを考えながら、周辺を見渡しているうちに、見ている場所や印象が今までとは何か違っているような気がしてきました。
どこがどう違うのか説明できないのですが、奇妙に違うのです。
まわりの風景にリアリティを感じられず、自分がどこか違う世界にいるような気がするのです。
もしかしたら、節子の目で風景を見ているのかなと思いました。

私たちをおいて、世界は何もないように過ぎている。
私たちのさびしさなどは、きっと誰も気づいていない。
すぐ近くにこれほどの悲しさがあるのに、みんなとても幸せそうなのはなぜだろう。
宮沢賢治の、あの言葉「みんなが幸せにならないと自分も幸せになれない」を思い出したりしていました。
そして、気づきました。
私はこれまで、誰かの悲しさやさびしさを本当にわかっていたのだろうか、と。
いや、これまでではなく、今もわかっていないのではないか。

そう思い出したら、まわりの風景が一変してしまいました。
それぞれに、私と同じような「さびしさ」や「悲しさ」を背負っているのだろうなという気が、奇妙にリアリティをもって、わきおこってきたのです。
わかっていなかったのは、他の人たちではなく、自分だったのです。
すべての人たちがいとおしく思え、話しかけたくなる気持ちを感じました。

奇妙な言い方ですが、そこを歩いている人たちの向こう側が感じられるのです。
自分の居場所が少し落ち着いたような気がします。
節子の死によって、空間的な立ち位置ではなく、
もっと大きな位置変化、それこそ位相的な変化が起こっているようです。

しかし、身体はまだその変化についていけていないような気がします。
息苦しいほどの疲労感があります。
誰かと話していると、その疲労感は不思議に感じなくなるのですが。

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2007/10/15

■亀田選手を育てたのは誰なのでしょうか

ボクシングの亀田大毅の反則行為が話題になっています。
大勢として、多くの人が批判しているようです。
最近のスポーツ界はさんざんです。

しかし、これまでの亀田一家の言動をみていれば、そう意外なことではありません。
彼らをそう育てたのは、亀田親子ではなく、むしろマスコミやファンだったはずです。
ここに来て、手のひらを返すように、行き過ぎだ、品格がない、などと言う人の気が知れません。

私たち夫婦は、そもそもボクシングというスポーツを理解できていませんので(なぜ殴りあうのがスポーツなのか私は全く理解できませんし、妻はそもそも殴り合いを見るのが生理的にだめでした)、彼らの試合をあまり見たことはないのですが、わが娘の一人が、なぜか関心を持っているので、時々付き合わされていました。
その程度の知識しかないので、ピントはずれな意見しかもてないかもしれませんが、どうみても今回に始まった話ではないように思います。
行き過ぎだというコメントをする人には、もっと早く止められたろうにと思ってしまいます。
ここまできって、やっと「行き過ぎ」だというのであれば、コメントの必要などありません。
誰でもそう思っているはずですから。

こういう話はたくさんなります。
最近の円天事件もそうですし、相撲業界の話もそうです。ヤミ金融もそうですし、自殺サイトも同じです。
問題が起こる前に事件を防止することは、だれにとってもあまり得にならないためか、みんな熱心ではないような気もします。

しかし、どんな「事件」も結局は必ず私たちに跳ね返ってきます。
私たちの生活の基盤である社会が崩れていくからです。
社会は健全な常識とルールがなければ育ちません。
そして、その常識やルールを育てるのは、私たち一人ひとりです。
亀田一家を育てたのは、私たちみんなだというべきでしょう。
まずは自分自身の生き方を問い直す契機にしたいものです。
社員を「タコ」と呼ぶような人が教育再生に関わる時代ですから、誰かに期待するのは難しいです。
まずは自分からです。

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■節子への挽歌41:夫婦の立ち位置と世界の豊かさ

なかなか節子が夢に出てこないので、2週間ほど前から節子のベッドで寝るようにしました。
1週間ほどしてから夢をみるようになりました。

ところで、そこで寝起きしだしてから、部屋の風景がかなり違うことに気づきました。
たかが1メートル北側に動いただけなのですが、雰囲気が全く違うのです。
こうした違いが毎日続いているとおそらく意識の面で大きな影響を与えることになるはずです。
まあベッドの位置などはさほど大きな違いではないかもしれませんが、生活における「立ち位置」の違いの蓄積は大きな違いになることを改めて実感しました。
立ち位置によって、視界や風景が変わりますから、人の意識も変わります。

夫婦の立ち位置の違いは、最近ではかなり小さくなっているのかもしれませんが、わが家は明らかに違いました。
立ち位置の違いがあることが、そしてその違いを認識しあうことが、お互いを支えあい、理解しあう上で効果的だったと思います。
昨今の男女共同参画議論は、そのたち位置の視点をあいまいにしている点が私には不満です。
違いを認識することなく、共同などという概念は生まれようがないと思うからです。

これまでは節子の立ち位置からの世界も私の一部でした。
節子の視野と風景も、私の世界を構成していました。
すべてをシェアしていたわけではありませんが、かなりの部分はシェアしていたと思います。
そういう感覚が、私たちにはかなり強くありました。
しかし、今はそれが失われ、私の世界はかなり単調になってしまいました。

これは単に伴侶を失った夫婦の場合だけに限りません。
組織が弱くなるのも、国家が弱くなるのも、同じことなのかもしれません。
節子の挽歌を書いているうちに、こうした大きな問題にもいろいろと気づきだしました。

さまざまな立ち位置を包摂する組織や社会。あるいは生き方。
これからはそうしたことが大切になっていくように思います。

寝る場所を替えてみて、気づいたことはたくさんあります。
ちょっと変えるだけで、世界は大きくなるものです。

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2007/10/14

■節子への挽歌40:「7年前を思い出します」

昨日、わざわざ遠くから献花しに来てくださった人がいます。
コムケアで接点のあった WithゆうのOさんです。
Withゆうは、「誕生死(流産、死産、新生児死亡)などで子供がお空にいる天使ママさん、天使パパさん」(WithゆうのHP)たちの会です。
「誕生死」という言葉もあまりなじみがないと思いますが、ぜひWithゆうのホームページを見てください。
こういう活動もあるのです。

Oさんは、我孫子から電車で2時間はかかるところにお住みのはずですが、
ブログを読んで、わざわざ来てくれたのです。
まさかOさんが来てくれるとは思っていませんでしたので、最初は誰なのか思い出せませんでした。
失礼してしまいましたが、とてもうれしく思いました。
今日の2人目の献花者になってくれました。

「佐藤さんのブログを読んでいると、7年前のことを思い出します」
それが彼女が来てくれた理由です。
その一言で、お互いの「悲しさ」を瞬時に共感できたような気がしました。
そして、悲しさは決して時が癒さないことも。
彼女がわざわざ来てくれた気持ちも、その一言で理解できた気がしました。

意外な人がブログを読んでいてくれ、いろいろな思いを持ってくださっているのです。
そろそろやめたらという友人もいますが、
「思いの尽きるまで書いてください」と投稿してくれた齋藤さんもいます。
書いているので安心しているという人もいます。
節子への挽歌(この名称は適切ではないかもしれませんが)は、これからも続けるつもりです。
適当にお付き合いください。

献花台の始まりの日に、こんなことが起こったことをとても感謝します。
今日はどんな人が来てくれるのでしょうか。
節子がまた新しい出会いを創ってくれるような気がしています。
やはり節子は、私にとっては最高の伴侶です。

Photo

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2007/10/13

■栃尾駅保全運動への署名協力のお願い

北九州市の折尾駅舎の保存活動に取り組んでいる知人から、その署名運動への協力要請がありました。
彼女は私が取り組んでいる、「大きな福祉」を目指すコムケア活動の仲間です。
大きな福祉にとって、こうした問題はとても重要なことだと私は考えていますので、早速協力させてもらうことにしました。

折尾駅は私も一度だけ乗り降りしたことがありますが、木造総2階建ての駅舎で、とても味のある良い建築物です。
その駅舎が、折尾総合整備事業によって取り壊されることになっているのだそうです。
こうした歴史的産業遺産は以前よりも大事にされるようになってきましたが、まだ壊されているのが現実です。

蒔田さんからのメールの一部を引用します。

折尾駅舎は、大正5年建築の90年を越える木造総2階建の駅舎で、「日本初の立体交差・待合室の丸椅子・高架下の赤煉瓦のトンネルなどがあり、訪れるべき価値のある駅」の全国7位に選ばれました。
折尾駅舎は、まちを愛する人にとっての誇りであり、シンボルです。
折尾のまちは、駅を中心に交通・産業・文化の拠点として繁栄してきました。
その中でも『折尾駅』は、石炭輸送によって日本の近代化に大きく貢献した重要な歴史的遺産です。
JRで現存する木造総2階建の駅舎は、折尾駅・門司港駅・日光駅・原宿駅の4つだけだともいわれています。
折尾地区だけでなく、日本中の方にも保存を呼びかけていただければと思います。
蒔田さんは、こうも言っています。
日本は、社会的資源(文化的、歴史的、空間的、、、)を 軽く感じすぎますよね。
まず、先人の思いや知恵などの経緯(歴史)を知らないから誇りも感じられないし、大切にすることもできないのかなとも思います。
折尾の開発は、利便性を良くするだけでなく、そういったものを次世代につなげていけるような開発であってほしいと思います。
全く同感です。
折尾だけの問題ではありません。
よかったら協力してください。

署名用紙は次のサイトにあります。
署名用紙のダウンロード
http://f17.aaa.livedoor.jp/~heritage/orio.html
また、折尾駅の今昔物語もサイトをご覧ください。
http://members.jcom.home.ne.jp/nittan3/Orio-index.htm

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■節子への挽歌39:献花台 Flowers for Life が完成しました

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(クリックすると大きくなります)

節子の告別式でお話させてもらった「献花台」が完成しました。
タジェ-ル デ ジュン の作品です。
ちょうど今日から我孫子市の手づくり散歩市が始まるのですが、
わが家のジュンのタイル工房もその会場になります。
そこで、それに合わせて、献花台もオープンさせてもらうことにしました。
献花台の主旨は、私のホームページ(CWSコモンズ)に書きましたが、ちょっと長いですが、一部を引用します。

告別式では、ただただ節子への愛惜の思いで、節子への献花をイメージしていました。
しかし、自らに「献花」してもらうのは、節子の考えにはなじまないことに気づいたのです。
節子が望んでいるのは、みんなと一緒に花を愛(め)でることであり、花がみんなを幸せにしてくれることのはずです。
そこで、献花の対象を、節子ではなく、花そのものにしようと思います。
「花を献ずる」のではなく「花に献ずる」。
私たちの人生や生活、そして生命そのものに、元気や喜びを与えてくれる花に感謝しようというわけです。
花を愛でながら、花が大好きだった節子と一緒に、
花が咲きこぼれるような、気持ちの良い社会になるようにちょっとだけ思いを馳せる時間をつくる場にできればと思っています。
そのついでに、ちょっとだけ節子のことを思い出してもらえれば、うれしいですが。
またホームページのお知らせに、このことも載せました。
12日、13日は、私も自宅にいますので、お近くの方はお立ち寄りください。
我孫子市の手づくり散歩市もぜひ、ぶらっとおまわりください。
手賀沼もそう捨てたものではありません。

節子は、昨年、この散歩市でタイル工房に来てくださった方にケーキでおもてなしをさせてもらいましたが、今年もそれをとても楽しみにしていました。
節子が心残しだったことの一つが、そのことかもしれません。
その遺志を受けて、今年はジュンがケーキを焼きました。
展示の準備などで忙しい合間のケーキづくりだったので節子のケーキよりはほんの少しだけ出来が悪いかもしれませんが、節子の思いは十分に入っています。

ちなみに、献花台はとても小さいので、お花はわが家の庭の花を1本手折って供えていただければ結構です。
それに花に献ずる献花台ですので、できるだけ切花は少なくしたいと思います。
おそらくそれが節子の気持ちではないかと思います。
一番供えてほしいのは「花のような笑顔」です。
残念ながら私にはまだ無理なのですが。

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2007/10/12

■国会の品格

角福戦争の再来かとはやしたてられた今日の田中真紀子さんと福田首相のやりとりをみていて、品格という言葉をついつい思い出してしまいました。
最近、国家の品格とか女性の品格とかが流行のようですが、国会の品格も問題にしてほしいものです。
今日の田中さんには興ざめです。

国会での議論の目的は何なのでしょうか。
相手を叩きのめすのが目的なのでしょうか。
議論の目的は「創発」(違う考えをぶつけあうことによって新しい考えないしは価値を創出すること)ではないかと私は思いますが、いまの国会にはそうしたものは感じられません。
これでは、議論などしないほうがいいという風潮を広げているようなものです。
もっとも最近の国会議員には、議論に価値を置く人は少ないのかもしれません。
この風潮は、建前的にも小泉時代に加速されましたが、その流れを変えようとしている福田政権に対して、今回の田中議員の姿勢は失望しました。

田中議員だけではありません。
民主党はまだ自らの立場を認識していないような気がします。
民主党はもう少し余裕を持って、前向きの議論を心がけないと、相変わらずの万年野党になりかねません。

最高の防御は攻撃ですが、最高の攻撃は寛容です。

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■節子への挽歌38:ポジティブアクション

「迷ったら実行する」。
これが節子の生き方でした。
ある意味ではいさぎよく、ある意味では投げやりなのが、節子でした。
もしかしたら、私との結婚も、こうした発想で決めたのかもしれません。
節子は本当は体育系が好きだったのですが、あいにく私は体育系ではありませんでした。
私自身も実は体育系が好きですし、自分が体育系と反対であるとは思っていませんが、節子にはどうも反体育系に思えたようです。
夫婦喧嘩になると、本当は体育系の人と結婚したかった、と節子はよく言っていました。
私がさっぱりしていないというのです。私にはいささか不満ではありますが、まあ節子がそう言うのであればそうなのでしょう。

私の友人が苦境に陥ったことがあります。
その時に、節子はその人に「ポジティブシンキング」で行きましょうと手紙を書きました。なぜ節子が書いたのか覚えていませんが、その人からは、そうしますと返事がきました。
もしかしたら、その人もこの記事を読んでくれているかもしれませんね。
Nさん、今もポジティブシンキングしてますか。
私はいまはちょっと中途半端になっていますが。

迷って実行して、失敗したこともあります。
今回の闘病に関してもあったかもしれません。
しかし、ポジティブシンキングして失敗したのであれば、悔いは残らないと節子は言っていました。
そこまでいってこそ、本当のポジティブシンキングです。

がんが発見されてから、ポジティブシンキングを貫くのは大変だったと思います。
しかし、節子は最後まで貫き通しました。見事でした。
今の私の、ナヨナヨシンキング状態をみて、やっぱり修は体育系ではないなあ、結婚したのは間違いだった、と思っているかもしれません。
今度会うときが心配です。

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2007/10/11

■節子への挽歌37:今のわが家も節子のおかげで実現しました

現在、わが家は手賀沼が見える高台に建っています。
場所はとても恵まれています。
節子はとても気に入っていました。
この場所をさがし、ここにわが家を建てたのも節子のおかげです。
その経緯は、いかにも節子らしいのです。

数年前に、転居を決めました。
同居していた父母を見送った後、いろいろとあって、環境を変えたいと家族みんなが思い出したのです。
そんな時、節子が開発中のいまの場所を見つけたのです。
まだ開発途中で、売りにも出ていませんでした。
しかし、その場所が気にいった節子は、すぐに看板に書いてあった開発会社に電話したのです。
見上げた行動力です。
ところが、その土地は建売住宅用に開発しているということでした。

そこで諦めないのが、節子なのです。
節子は建売ではなく土地だけほしいと頼んだのです。
めちゃくちゃな話ですが、驚くことに、節子の熱意が先方に通じたのです。
開発会社の人が自宅にやってきました。
そして、後日、全区画を土地売りにすると連絡がありました。
問題は価格です。
残念ながらわが家には十分なお金がありませんでした。
価格もわからずに働きかけていたわけです。
まあ予算などあまり考えずに動くのもわが夫婦の共通点です。
手持ち資金を超えていたので、一時は諦めかけましたが、節子が気に入った土地です。
諦めるわけにはいきません。
後先考えずに購入を決意しました。
しかし、不思議なもので、結果的にはどうにかなってしまったのです。
経済的に考えて、なぜうまくいったのか、今もってわかりません。
娘たちからも全財産を提供してもらいましたが、それだけでは足りないはずだったのですが。

念のために言えば、節子は山内一豊の妻のような賢妻ではありませんでした。
節約家でしたが、金銭感覚はかなりいい加減でした。私よりもだめでした。
1円節約して、1000円無駄するタイプの、典型的な主婦でした。
家計簿などつけたことはなく、使ったものを記録しても意味がないという現実主義者?でもありました。
いや、怠惰だっただけかもしれませんが。

さて、自宅建設の話です。
節子も不思議がっていましたが、おかしなところから無理に借りることもなく、ともかく帳尻があったのです。

いずれにしろ、節子のおかげで私たちはいま、場所だけはとても良い所に住んでいます。
もっとも、住宅の設計は家族みんなで議論しすぎて疲れてしまった時に(わが家は完全に一人1票の家なのです)、私が勝手に構造を変えてしまったために、不満だらけの家になりました。
入居した日からリフォーム論議が出たほどですが、幸いにお金が払底していたので、さすがのわが家も動けませんでした。

また余計な事をかいてしまいました。
節子がいたら、検閲を受けて、ほとんどカットになりますね。
でも、節子はこのできの悪い家が大好きでした。
リフォーム計画ももっていましたが、それも含めて気に入っていたのです。
しかし、その家を十分に楽しむ間もなく、節子は逝ってしまいました。
節子には、もっとこの家を楽しんでほしかったです。
それが無念でなりません。

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■オリンピックと運動会

シドニーオリンピックのメダリスト、ジョーンズの禁止薬物使用の告白は日本の相撲界の最近の動きと同じように、スポーツというものを改めて考え直させられる事件です。
スポーツというものの定義を変えないといけないような気がします。
「産業化」されてしまったスポーツは、20年前のスポーツとは似て非なるものになってしまいました。
なぜ薬物を使用してまで勝利を得たいのか、なぜ身体を傷つけてまで強くなりたいのか、その動機付けの底にあるものはなんでしょうか。
時津風問題とジョーンズ問題は、これもまたコインの裏表のような気がします。
そして、社会そのものの病理が見事に象徴されているような気がしてなりません。

所詮は運動会でしかなかったオリンピックを、ここまでのショービジネスにしたのは誰なのでしょうか。いや、誰というよりも何なのかという問い方が適切かもしれません。
ヒトラーナチスがオリンピックを政治的に見事に利用したことは有名ですが、昨今の多くのイベントは、国際会議も含めてほとんどがショービジネス化しています。歴史の繰り返しを感じます。
きっと何かとても大切なことが見失われているのだろうと思います。

運動会の季節です。
子どもたちの無邪気な笑顔とがんばり。
運動会の効用はとても大きなものがあります。
ショービジネスとしてのスポーツの世界も、改めてこの原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。

経済は生活のためにあるのであって、生活は経済のためにあるのではないのですから。


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2007/10/10

■節子への挽歌36:私のライフスタイルを変えたのも節子です

節子は私のライフスタイルにも大きな影響を与えました。
たとえば自動車。
私は学生の頃から自家用車反対論者でした。
自動車は基本的に公共交通システムに限定すべきだという意見でした。
ですから自分では運転免許もとらず、したがってわが家にはずっと自動車はありませんでした。
娘たちは子どもの頃、家に自動車がないので我が家は貧乏だと思っていたそうです。
そのおかげで、わが家の娘は今でもかなりの節約家です。

わが家に自動車を持ち込んだのは節子です。
当時、私は通勤に駅まで自転車を使っていたのですが、雨の日は大変でした。
その苦労をさせたくないという思いが、節子が運転免許をとろうと考えたきっかけだったそうです。
その話を聞いて、自動車文化反対論者の私も反対できませんでした。
節子が免許をとったら、娘たちもとりました。
それに伴い、わが家の行動範囲は一挙に変わりました。
世界が変わったのです。
そしていつの間にか、私が一番の利用者になったのです。
そして50歳近くになって、私も免許をとりました。
しかし、どうも運転は苦手で、事故もどきをよく起こしました。向いていないのです。
それで運転をやめました。それからもう10年以上たちます。

運転ができなくなってしまった節子はもう一度、自動車を運転したいといって、かなり体調が悪くなった今春、私を駅まで自動車で送ってくれました。
心配なので、横に娘が同乗しました。
節子はとてもうれしそうでした。
しかし、それが最後の運転になってしまいました。

何を書いても、最後は何だか悲しい話になってしまいます。
困ったものです。

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2007/10/09

■手続きの時代の働きの場

今日の朝日新聞に、新宿区立小学校の新任の女性教諭(当時23)が昨年6月、自ら命を絶った事件が取り上げられています。
詳しくはその記事を読んでもらいたいですが、こういう事件です。

念願がかなって教壇に立ち、わずか2か月後に、なぜ死に至ったのか。両親や学校関係者に取材すると、校内での支援が十分とはいえないなか、仕事に追われ、保護者の苦情に悩んでいた姿が見えてくる。
ただ本人が弱かっただけではないかという見方もできるでしょう。

しかし、こうした事件がさまざまなところで起こっているような気がします。
その背景には、「働くこと」の魅力が失われているという時代の流れがあるように思います。
以前、ディーセントワークのことを書きましたが、
そもそも働くことはわくわくするほど楽しいものだったはずです。
生きることとつながっていましたから。
しかし、近代化は、その働きを「作業」にしてしまいました。
その話は繰り返しませんが、昨今の「働きの場」が楽しくなくなった理由の一つは、
現代が「手続きの時代」だからだと思います。
新聞にはこう書かれています。

まず提出を求められたのは食育指導計画、公開授業指導案、キャリアプラン……。離れて住んでいた父は娘と電話で話していて「追いまくられてると感じた」。午前1時過ぎまで授業準備でパソコンに向かい、そのままソファで眠る日が続く姿を姉が見ていた。
子どもたちのための生き生きした授業をしたいという彼女の夢の前に、きっとたくさんの作業の壁が立ちはだかったのでしょう。
ともかく、いまは手続きが重要なのです。指導計画、何とかプラン、実践よりもそうしたものが要求されるのは、「管理」のためといってもいいでしょう。
新聞記事はさらにこう続けています。
娘は姉や祖母に「保護者からクレームが来ちゃった」と話してもいた。
身勝手な父母が学校をだめにしている事例は決して少なくないでしょう。管理志向はますます強まってしまうわけです。
昨日、書いた医療訴訟もその典型例です。

こうした状況の中では、働くことが楽しくなるはずがありません。
そうして「働きの場」はどんどんと崩れ出している。私はそう思っています。
教師の働きの場が壊れてしまえば、学校は成り立ちません。
いまの学校改革は視点とベクトルが間違っています。
社会保険庁職員や自治体職員の不祥事も、こうしたことと無縁ではないように思います。
そう言えば、国会の議論も「手続きの話」が多すぎて退屈でした。
しかし、たとえば今日の長妻さんの質問のように、実体に迫る議論が始まりました。
政府の答弁は相変わらず手続き論ですが。

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■節子への挽歌35:所有と無所有はコインの表裏

節子が残していったものがたくさんあります。
まだ1回も着たこともない衣類や日用品も少なくありません。
そうしたものをどうしたらいいでしょうか。
衣服に関しては、娘にリサイクルショップに持っていくようにとお店まで教えていたそうです。節子らしいです。
しかし、残されたものを整理することはかなりの気力が必要です。
まだその気にはなれず、整理は手つかずです。
遺産のために親族の骨肉の争いが起こることもありますが、
遺産のみならず、何事も残すものは最小限にしておいたほうがいいのかもしれません。

これは節子の問題に限りません。
私自身も身の回りの整理をしなければと思い出しました。
とりわけ仕事関係の資料や書籍は残しすぎですし、生活用品も過剰に所有していることは明らかです。
これまでも何回か整理しようと試みたことはありますが、廃棄できませんでした。
しかし、今なら思い切って整理できそうです。

韓国の法頂師の「無所有」という本があります。
そこにこんな文章が出てきます。
何かを持つということは、一方では何かに囚われるということになる。
そのことに気づいた法頂は、こう心に決めたそうです。
その時から、私は1日に一つずつ自分をしばりつけている物を捨てていかなければならないと心に誓った。
物を所有するということは、物に所有されるというわけです。
主客の転倒、このことへの気づきが、私が会社を離脱した大きな理由でした。

19年前に、私は勤めていた会社を辞めました。
その時に、少しだけこうした思いを持っていました。
いろいろと捨てたつもりですが、いまなお物欲の世界に安住しています。

法頂は、さらにこうも書いています。
何も持たない時、初めてこの世のすべてを持つようになる。
これはとてもよくわかります。
私が理想と考えていることでもあります。
所有とは無所有であり、無所有とは所有である、というわけです。

節子と一緒であれば、無所有の世界に入りやすかったと思います。
すべてを捨てても、節子さえいれば大丈夫だったからです。
節子とそうした話を始めたのは4年半前です。
その直後に、節子の胃がんが発見されたのです。
そして節子がいなくなった。
私の人生設計は大きく狂ってしまったわけです。

しかし、今であれば、むしろすべてを捨てられそうです。
節子がいないのであれば、それ以外の何に未練があるでしょうか。
法頂さんを見習って、私も一つずつ捨てていこうと思います。
最後に残るのは何でしょうか。

ちなみに、この「無所有」という本はとても読みやすく、示唆に富んでいます。
みなさんにもお勧めします。
わがコモンズ書店を通して、アマゾンから購入できます。
ぜひどうぞ。

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2007/10/08

■節子への挽歌34:渡岸寺の十一面観音

昨日はいろいろな元気をもらったこともあって、今日は元気に目覚めるはずでした。
だめでした。

最近、夢をよくみます。
いつも道に迷う夢です。
そこで友人に会うことがあるのですが、なぜか通り過ぎていきます。
節子の気配は、時に感じますが、姿は見えません。
節子がいなくなった不安が投影されているのかもしれません。

今日の目覚めは特に不安でした。
せっかくの決意が鈍ります。
節子の笑顔を思い出すのですが、いつもと違い、それが逆効果なのです。
節子を守れなかったのは、やはり私の責任だという思いがぬぐえません。
それは間違いない事実ですから、否定しようがありません。
しかも、節子と私は一体の存在でしたから、責任の半分は節子にあるわけです。
だからこそ、悲しさも大きいのです。
節子を守ってやれなかったことの悲しさは、たぶん誰にもわかってはもらえないでしょう。
わかってたまるかという不遜な気分もあります。
ですから慰められるとなぜか腹立たしくなります。
むしろ誰かに責めてもらいたい気分です。

節子の死は、間違いなく私の誠意が不足していたからです。
だめな夫を選んだ節子の責任もありますが。
でもこれは謝ってすむ問題ではないのです。
やっとそれに気づきました。

こうした悲しさや怒りをどこに向ければいいのか。
医師へ怒りをぶつけることもできます。
そうした思いを持ったという人は少なくありません。
知人の医師は、医療訴訟におびえている医師が多いといっていました。
確かに今の医療界は、そうなってもおかしくありません。
人間が不在になりがちな仕組みになっているからです。

しかし、つまるところは、自らへの怒りなのです。
医師に怒りを向けたところで、問題は解決できないでしょう。
怒りと悲しみは同じものです。
渡岸寺の十一面観音の喜怒哀楽の11の顔が、それを示唆しています。
節子の霊前に、その写真がたまたまあります。
長沼さんが持ってきてくれたのです。
渡岸寺の十一面は慈悲よりも悪に重きを置いているといわれています。
暴悪大笑面が有名ですが、それがまたこの観音の慈悲のメッセージを強めています。
この地が浄土真宗の信仰の厚いところだからかもしれません。
どこかに親鸞を感じさせます。
不思議なのですが、渡岸寺の十一面観音は何回もお会いしたのですが、その憤怒の顔が思い出せません。
なぜか大笑面しか思い出せません。
憤怒の顔はなかったかもしれません。

供養がまだ不足しているようです。
今日は終日、節子とゆったりと過ごしたいと思います。
怒りが解ければいいのですが。

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■「誰も行かないところに誰かが行かなければ」

昨日のTBS報道特集で、ミャンマーで取材中に亡くなった長井健司さんのこれまでの活動を知りました。
単に現場報道に取り組むだけではなく、そこで出会った人たちとのつながりを大切にし、応援もしていたことを知りました。
何だか自分の生き方が恥ずかしくなりました。
ブログで勝手なことを書いているのは楽な話です。

名前は出てこないけれども、こういう人が社会を支えてくれているのでしょうね。
フォトジャーナリストの真髄、あるいはプロフェッションの生き様を教えてもらいました。
こういう生き方を私は忘れていました。
人は誰かの生き方で勇気づけられ、元気になるものです。
とても元気がもらえました。

長井さんの言葉、「誰も行かないところに誰かが行かなければ」も、
あえて危険な地域に取材に行くという程度にしか理解していませんでした。
しかし、この言葉はもっと大きな意味を含意していますね。
長井さんの生き方が示すように、それは単に空間的な話ではなさそうです。

「誰も行かないところに誰かが行かなければ」。
この言葉をこれから大切にしたいと思いました。
若い頃にちょっとそんなことを思いながら、結局は実践できなかった生き方です。
長井さんの番組を見ていて、若い頃を思い出して、勇気が出てきました。

明日からは元気が出そうです。
いや、もう深夜を回りました。
もう8日ですね。
明日は元気に起きられそうです。

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2007/10/07

■ウトロを知っていますか

今朝の朝日新聞の記事が目にとまりました。
宇治の在日ウトロ地区が、住民に5億円で半分売却されることになったという記事です。
この地区は、戦時中に飛行場建設に関わった在日韓国・朝鮮人が住んできた所ですが、住民が立ち退きを要求され、問題になっていたのです。
私もCWSコモンズで少し紹介したことがありますが、詳しくは、「過去の清算がおわらない在日コリアンの町」のサイトをご覧下さい。

売却価格は5億円です。
ウトロに住む住民たちが集めた金額はまだ6000万円だそうです。
韓国政府も応援に乗り出すようですから、展望はかなり開けてきているようです。

こうした事件は日本国内にまだたくさん残っています。
それに頬被りして、北朝鮮の拉致問題だけを取り上げるわけにはいきません。
最近、少しずつそうした問題の掘り起こしが始まっていますが、
私たちももっと関心を持つことが必要だと思います。
国家と生活という視点から考えれば、全く同じ問題なのですから。
拉致家族の支援活動も、こうした問題も視野に入れると全く違った展開になりますし、
支援も広がって行くのですが、なかなかそうならないのが現実です。
それはたぶん、そうした活動がこれまでの発想の枠組みの中で構想されているからです。
マルチチュード発想を持てば、構想は違ったものになるのでしょうが。

節子の発病以来、さまざまな活動をストップしてしまっていたのですが、
ウトロ関係もこの3年、フォローせずにいました。
久しぶりに「ウトロを守る会」のサイトを見たら、出てきませんでした。
活動の持続は難しいのでしょうね。
そんなわけで、どこにカンパしていいのかわかりませんが、
こうした動きがあることだけでも多くの人に知ってほしいと思い、取り上げさせてもらいました。

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■節子への挽歌33:やれるときにやっておきなさい

「何でもやれる時に早目にやる」が節子の生き方でした。
何事も先延ばし、ぎりぎりにならないと動かない私の怠惰さが、節子は好きではありませんでした。
いつでもできることであればこそ、早くやるべきだというのが節子でした。
いつでもできるのであれば、急ぐことはないというのが私でした。
やるべきことから着手するのが節子でしたが、やらなくてもいいことから着手するのが私でした。
その2人が、よくもまあ40年以上も波長を合わせられたものです。

この頃、「やれるときにやっておきなさい」という節子の言葉がよく聞こえます。
私がこの1か月、何もせずに呆けているのが節子には気に入らないのかもしれません。
節子がいなくなってから、私の部屋も2人の部屋もそのままです。
必要な手続きは娘がしてくれましたが、私は何も手をつける気になれません。
もし娘たちがいなかったら、霊前で餓死していたかもしれません。
私には、それも一つの理想ですが、節子には迷惑な話でしょう。

できるだけ先に延ばそうというのは時間がある時の発想かもしれません。
節子の死で、私自身も半分の死を体験し、節子の言葉の意味が少しわかってきました。
つまりは、周りの人に迷惑をかけるなということなのです。
まあすぐには無理ですが、少しずつ生き方を変えようと思います。
いや、こういう発想自体がすでに「やれるときにやる」ということに反していますね。

早速、動き出しましょう。
なにしろ「やるべきこと」で「やれること」は山ほどありますから。
これからは私も、先延ばしの人生ではない生き方に変えようと思います。
先もあまりないことでもありますし。

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2007/10/06

■生命を殺めた人が生きながらえる社会の生命観

万引き追跡のコンビニ店員が刺殺される事件が起こりました。
万引きされたのは、500ミリリットル入り缶ビール6本セットやアイスクリームだったそうですが、何だかやりきれない事件です。
先日も窃盗に入り、見つかったので再度戻って目撃者を殺害したという事件がありました。
最近報道される事件は、本当にやりきれない事件が多すぎます。
どうしてこうも生命が軽々しく扱われるのでしょうか。

死につながってしまった事件や事故のニュースを聞くと、なぜ生命を殺めることへの抑止力が働かなかったのか、と思います。
そうした抑止力が急速に失われています。
おそらくそれは私たちの生き方、ちょっと大げさに言えば、社会の文化の問題です。

殺人や傷害致死などの事件はなくさなければいけません。
それは単に被害者の死だけではなく、もっとたくさんの生命(生活)を破壊してしまうからです。
当然、加害者の周辺の人たちの生命(生活)も破壊します。

ちょっと飛躍はありますが、生命を殺めた人は少なくとも生命で償うべきです。
それこそが、生命をおろそかにしない出発点だと私は考えています。
残念ながら今の社会は、生命を殺めた人が生きながらえる社会です。
一見、生命を大切にしているようで、生命の尊厳を無視しているように思います。

みんなにとってかけがえのない生命を守る文化をもっと育てていけないものでしょうか。
改めて生命観についての議論をするべき時期です。
少なくともマスコミには、そうした意識を持ってほしいです。

生命を軽々しく扱うマスコミに、憤りを感じます。

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■節子への挽歌32:「一日の旅おもしろや萩の原」

節子の習い事のひとつに習字がありました。
近くの東さんという先生のところに、月に2回、通っていました。
そこに行くことが、節子の大きな楽しみでもありました。
集まる人たちとの会話がとても楽しかったようです。
節子は本当にたくさんの良い友だちにいつも囲まれていました。

展示会にも出展させてもらっていましたが、その一つがいま、節子の霊前に置かれています。
花に埋もれていましたが、ちょっと花が少なくなったので目立つようになりました。
改めてじっくりと見せてもらいました。
Sho2
ここをクリックすると大きくなります。

節子のものは、今では何でもよく見えるのですが、節子らしい雰囲気を漂わせています。
「一日の旅おもしろや萩の原」
正岡子規の俳句です。
この俳句もまた、節子らしいものを選んだと思いました。
ところが、その話を娘にしたら、
この句は先生から与えられた句らしいよということでした。
いやはや、どうもすべてを節子に贔屓目に考えている自分に気づきました。
しかしまあ、節子らしい句ではあります。

節子はいろいろなことに挑戦する人でした。
わが家の玄関に飾っている油絵も節子の作品です。
いろいろのところに節子の作品が残っています。
いろいろなことに挑戦したということは、なにか一つのことに熱中しなかったということでもあります。
私と同じく、けっこう飽きっぽい面もありました。
でも私と違うのは、それぞれにまじめに取り組んだことです。
ですから作品がいろいろとあるのです。
そうした作品を見るたびに、寂しさを感じます。

作品を残すのも良し悪しです。

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2007/10/05

■円天事件と現実の経済社会

「円天」が出資法違反でやっと捜査の対象になりました。
それにしても遅すぎます。
テレビなどでは以前から問題にされていましたし、
放置していたら被害は拡大する一方なのは明らかでした。
この種の事件に対して警察などの動きは、いつも遅れます。
偶然だとは思えません。

それにしても、少し考えただけでおかしいと思うはずなのに、なぜみんなだまされたのでしょうか。
かなり問題が明確になり、テレビなどで指摘され出してからも、
テレビに向かって円天生活を満喫していると答えた女性たちは、経済感覚のない有閑マダムたちだあったのでしょうか。
そうであれば、所得の再配分が行われただけですから、気にすることはないのですが、なかにはなけなしの貯金をはたいた人もいるようです。
しかも、紹介システムがありますから、友情を壊してしまった事例も少なくないでしょう。
お金はまあ仕方がないとしても、友情や信頼は一度失われたら回復は至難です。
そして、それが社会全体を壊していきます。

ちなみに、この事件では被害者が加害者になる構造にありますが、
舛添発言の時に書いた、仲間の問題は自らの問題ということの典型的な事例です。
ここまでは極端に顕在化しなくても、この構図はすべてに当てはまります。
弁護士にも自治体職員にも。
なぜなら制度を支えているのは、みんなの意識と行動なのですから。

ところで、円天に関して、今日の朝日新聞の天声人語にこう書いてありました

。(エル・アンド・ジーは)ネット上などに独自の市場を開き、そこで使える疑似通貨を、「使っても減らない金」と宣伝して会員を募っていた。
使い切っても、また全額補充してもらえる。その疑似通貨を「円天」と称していて、天から降るカネを思わせる。眉唾(まゆつば)のカネを客寄せにして、巨額のカネ(本物)を集めていた。年利36%の配当をうたって、全国の5万人から1000億円を集めたというから驚く。
この文章を読んでいて、もしかしたらここで「本物のカネ」とされている「円」あるいは「ドル」も、結局は円天と同じなのではないかという気がしてきました。
通貨と擬似通貨の違いは何なのでしょうか。
紙幣発行権を持つ政府当局や日銀、大銀行のトップの顔とエル・アンド・ジー会長の顔がダブって見えてきてしまいます。
あるいは、社会保険庁や自治体の職員にとって、「円」は「円天」のようなものだったのではないかと思いました。

現在の経済システムは、円天のシステムと大きくは違わないのではないか。
そんなもろい土台に上に、私たちの経済は成り立っているような不安をぬぐえません。
円天生活ならぬ、円生活を楽しんでいて、いいのでしょうか。

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■節子への挽歌31:愛は煩悩、愛は涅槃

私は節子を愛しています。
過去形ではなく、現在も、です。未来も間違いなく、愛し続けています。

仏教では、愛は煩悩であり、執着の象徴です。
愛がある故に人は悩み悲しみ迷います。
今の私がそうかもしれません。

節子が息を引き取った数日後、愛する人を失ったことがこんなにも苦しいことなのかと思いました。
人を愛することなどやめればよかったと思うほどでした。
うっかり、娘にその気持ちを話してしまいました。
そうしたら娘から、でも愛することができたことの幸せもあったのだから、と言われました。その通りです。
人は本当に勝手なものです。反省しました。

いまは、愛する人を失った、という感覚はありません。
私にとっては、節子はまだ「愛する人」のままなのです。
愛の煩悩は捨てがたいですが、その一方で、煩悩を解き放してくれる愛もまたあるのです。

仏教では、自分をなくした絶対の愛を慈悲といっています。
しかし、私には慈悲という言葉はピンと来ません。明らかに違和感があります。
節子への愛が、煩悩を超えた絶対の愛であれば、きっと私の心もまた平安になるでしょう。
その愛は、もしかしたら、個人としての節子への愛ではなく、節子を通して得た普遍的な愛かもしれません。
私の涅槃は節子のなかに見えていたのかもしれません。

真言宗でよく読誦されるお経に、般若理趣経というのがあります。
松長有慶さんの入門書をまた読み始めました。
以前読んだ時とは全く違った印象で、スーッと心に入ってきます。
煩悩としての愛ではなく、涅槃としての愛が見つかるかもしれません。

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2007/10/04

■節子への挽歌30:愛する人の死が受け入れられないということ

節子の死を理解できていないことが、うまく伝わっていないかもしれません。
そんな気がしてきました。

節子が息を引き取る前、私たち家族はずっと節子に呼びかけていました。
まだ早い、もどってきてよ、と。
しかし、節子は息を引き取りました。
そんなに生々しい臨終体験をしながらも、なぜか節子の死に現実感がないのです。
写真を見ていると、今日にでもまた、あの明るい節子が戻ってきそうな気がするのです。
それが実に現実感をもっているのです。

節子にはもう会えないと頭は知っていますが、
節子にまた会えると心身が動いてしまうのです。
おかしな言い方になりますが、
会えるはずの節子になぜ会えないのかというのが寂しさの根底にあるのです。
もう会えない人であればあきらめられますし、時が寂しさを癒してくれるかもしれません。
しかし、節子はまだ私たちには存在しているのです。
だから毎日話しかけ、相談をもちこんでいるのです。
家族を亡くした人が、その人の居室をそのままにしておく気持ちと同じです。

よく、節子さんはいつもあなたと一緒にいますよ、といわれます。
私もそう思いたいし、事実、そういう気もしています。
しかし、それ以上に、節子はまだこの世に存在しているという感覚が強くあるのです。
そうした思い込みが、悲しさのショックを緩和してくれているのかもしれませんが、どうもそれだけではないような気がします。
つまり、そこにもっと大きな生命のメッセージがあるように思います。
おそらく愛する人を失ったことのある人にはわかってもらえるかもしれません。

私のこれまでの知識や論理体系は破綻しそうです。
生き方が変わるはずです。

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2007/10/03

■「小人の戯言」舛添発言の意味すること 仲間の問題は自分の問題です

舛添大臣の発言がまた問題になっています。
「市町村は信用できない」という発言に、倉吉市の市長が反発し、
それに対して舛添さんは「小人の戯言」という言葉を使いました。
今朝のテレビで、たとえば落合恵子さんは「使う言葉で人柄が出る」と批判し、
鳥越憲太郎さんは「すべての市町村」という言い方を批判しました。
また、ある人は「国に対して反論する勇気」をほめました。

数日前に、私も舛添さんの発言に違和感があると書きましたが、
私の違和感は「官と民」の対立構造で捉える発想への批判です。念のため。

私は今回の一連の舛添発言に共感しています。
舛添さんがいうように、すべての市町村の役場は信用できませんし、
倉吉市の市長の異議申し立ては小人の戯言以外の何物でもありません。
使う言葉で人柄が出るとは思いますが、使う言葉で真情も出ます。
真剣に生きている人は、思いも激しく出るものです。
無責任なコメンテーターとは全く違います。
大臣になる前の舛添さんは、コメンテーターのような理屈を述べていたので、私は好きになれなかったのです。

すべての市町村が信用できないのは、どうしてか。
仲間の犯罪や不祥事は、仲間全体にとっての犯罪であり不祥事だというのが、私の考えです。
どこかの市町村が問題を起こしているのを放置していては、
そこもまた同罪だと思われても仕方がないということです。
それが制度というものです。
そうでなければ、その制度には正当性や権威は与えられないはずです。

その考えは、これまでも何回か書いています。
たとえば弁護士に関しては、光市母子殺害事件に関して書きました
まともな弁護士ならば、恥ずかしく思って、行動を起こすべきですが、
日本の弁護士のほとんどは動きませんでした。
ですから私は日本のすべての弁護士を信頼しません。
恥ずかしい職業の輩と考えています。
どんな立派な活動をしていても、共感はもてませんし、協力もする気になれません。
友人は少なくありませんので、とても残念ですが。
自浄作用がない職業は社会的にはいつか問題を起こします。
安住は許されません。

鹿児島県県議選買収にまつわる冤罪事件では、
警察や検事の組織行動であることが明らかになってきていますが、
個人の問題は往々にして組織の問題でもあります。
多くの場合、いわゆる「とかげのシッポ切り」で事件は収束されがちですが、
それでは繰り返し犯罪や不祥事は起こります。
鹿児島の冤罪事件の最大の被害者は、全国の警察であり、検事のはずですが、
彼らは対岸の火事と考えて、動こうともしません。
要するに自分たちも同じだと言っているわけです。

社保庁の問題も、よくまじめな職員もいるので可哀想だという人がいますが、
すべての職員がまじめであるはずがありません。
まじめであれば、仲間の犯罪を見過ごしはしないでしょう。
なにか行動を起こすべきです。できることはたくさんあります。

舛添さんは、市長の批判に対して、まずは自分たちの仲間の市町村にこそ目を向けろといっています。
全くそうです。
仲間が不祥事や犯罪を起こしているのに、それには目を向けず、
自分はやっていないからなどという神経が理解できません。
そうした人は公の仕事に取り組む資格がないと私は思います。
倉吉市の市長の目線は間違っています。

だんだん言葉が過激になってきました。
人柄が出てしまいますね。反省。

学校のいじめ問題、企業の不祥事、相撲業界の事件、
すべてまずは仲間が一番真剣に取り組まなければいけません。
ニーメラーの教訓は、戦争にだけ当てはまるわけではありません。
家族の問題も近隣社会の問題も、すべては仲間のちょっとした行動で抑えることもできるのです。
平和の出発点は、そうした意味での仲間意識を持つことです。

きりがありません。
ところで、みなさんの仲間は大丈夫ですか。

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■節子への挽歌29:伴侶の死は自らの半分の死

伴侶の死によって、私にとっては、2人でつくってきた私たちの世界の半分が失われました。
私が生きている世界の最も重要な要素は、私と節子でした。
その2人の心身の中に蓄積された記憶や体験が世界をつくっていました。
ですから、節子の死は、その半分が失われたことを意味します。
私の半分の死でもあるわけです。
もちろん節子の心身にあった記憶や情報は私の心身もシェアしています。
しかし、ホログラムがそうであるように、
情報源の一部が失われると世界の全体像はそのままであっても全体に希薄になるのです。

これはとても不思議な感覚です。
一見、何も変わっていないように見えるのに、実際にはどことなくエネルギーやオーラが違うのです。
ですから普通に行動していても、ある瞬間に突然に力が抜けるというか、違和感が出てくるのです。
まわりがぼんやりしてきます。

伴侶の死は自分の半分の死、ということは、いいかえれば伴侶の半分の生を意味します。
こう考えると、死とか生への考え方も変わってきます。
さらにいえば、そうした相関関係は、伴侶だけではなく、家族、仲間、社会へと広がっていきます。

華厳経にインドラの網という話が出てきます。
同じ題の宮沢賢治の小品もありますが、
インドラの網とは「場所的にも時間的にも遍在する、互いに照応しあう網の目」のことです。
生命はそうしたインドラの網目だと私は思っていますが、
個々の網目と網全体とはまさに一即多・多即一の関係にあり、
網目に変化があれば網全体が変わり、そのためにまた網目も変わるというホロニックな構造にあるように思います。
この文章を読んでいる読者の変化が、回りまわって私にも影響を与えてくるというわけです。
その変化は、網目の距離によって増減するでしょうが、
夫婦はほとんど同じように変化する不二の関係にあるのかもしれません。
少なくとも私たち夫婦はそうでした。

自らが死んでも、伴侶の中に半分は生きている、と節子は気づいていたでしょうか。
いや、私自身が本当に確信できているのかどうか。
正直に言えば、まだ完全には確信できていないのかもしれません。
でも節子が私の中に生きていることは間違いありません。

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2007/10/02

■相撲文化の終焉

時太山の死亡に端を発した相撲業界の不祥事は、犯罪事件になってきました。
昨今のスポーツ業界には大きな違和感を持っている私も、まさかそこまでとは思っていませんでした。
相撲の世界の常識は、いまや社会の常識とは大きくずれてしまっています。
北の湖理事長の記者会見も、時津風親方や高砂親方の話も、社会の常識から考えると大きな違和感を持ちます。
その常識のずれを彼らはおそらく全く理解できずにいるのでしょう。
国技である相撲の世界が、なぜこうなってしまったのでしょうか。

ある特定の集団とそれを含む大きな社会との常識(ルール)のずれは、どうして生じるのでしょうか。
それはほとんどの場合、社会の変化に特定の組織や集団が追いついていないからです。
多様な要素から成り立つ社会は開かれていますから、常に変化しています。
しかし、組織や集団は、閉じられているために、変化に対する抵抗力や現状維持の慣性が働きます。
したがって、組織や集団が、時代のなかで、生き生きと息吹いているためには、自らを外に向けて開きながら、常に主体的に変化していかねばなりません。

相撲の世界はまさに閉じられた世界です。
しかし、社会の中で存続していくためには、ただ現状を維持すれば良い訳ではありません。
社会が変わる以上、現状を維持することは、社会との関係においては「変化」することなのです。
実体としての「維持」は関係における「変化」であり、関係における「維持」は実体における「変化」を要求するからです。
実体を維持することは「運営」であり、関係を維持することが「経営」です。
それに失敗した企業や老舗は倒産します。
制度や文化の場合は崩壊します。

今回、明確になった相撲の世界のずれは、2つの理由が考えられます。
ひとつは、時代の変化に抗し過ぎて、古い体質を改めることを怠ったため。
もうひとつは、時代の変化に惑わされて、自らの本質を失ってしまったため。
いずれというべきでしょうか。
私は後者だろうと思います。
相撲業界は旧体質の故ではなく、新体質への転換を間違ったのだろうと思います。
間違いを誘導したのは、たぶん金銭経済主義です。
そして同じような間違いを、日本の伝統ある世界の多くがおかしているように思います。
伝統もまた金銭には無力のようです。

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■節子への挽歌28:受け入れたくない現実を心身が拒否しているようです

告別式の挨拶でお話したように、1か月前の今日は、私にとっては人生で一番うれしい日と悲しい日を味わった日でした。
その日と同じように6時に目が覚めました。
節子がこの日はゆっくりとねむれて、みんなで喜び合ったことを思い出しました。
そして、突然に、私がまだ節子の死を全く理解できているような気がしてきました。
節子が死んだ、ということが私にはまだわかっていないのではないか。
そんな気がしてきました。

この1か月、私は立ち上がれずに、節子の霊前で無為に過ごしています。
いろいろな人が弔問に来てくださいましたが、その時は少し元気が出るものの、
少したつとまた無性にさびしくなり、みっともないほど立ち上がれずにいるのです。
私には節子の存在が大きすぎたようです。

あまりに存在が大きいがために、理解不能になっているのかもしれません。
理解してしまったら、私の生活が成り立たなくなる不安から、
私の心身が節子の不在を受け入れずに、拒否しているのです。
節子がいないなどと言うことは、私にはありえないことであり、理解できないことなのです。
会えなくて話せなくて抱くこともできない寂しさは実感できます。
しかし節子がこの世にいないことが、本当に理解できていないのです。
これはとても不思議な感覚です。
娘もまた同じ状況にあるようです。

しかし、節子はいつもいません。
話しかけても返事もしません。
夜、寝返りをうっても、そこにいないのです。
「いないはずがない節子がいない」。
その矛盾をどう受け止めていいのか、わからないのです。
だから頭がすごく疲れます。
そして、そんなことを考えていると、恐ろしいほどの悲しみが全身を襲います。
もしかしたら、節子はもういないのかもしれない。
そう確信する一歩前で、いつも私は思考停止してしまいます。
そうしたことを続けながら、もう一つの解釈にたどりつきました。
それは、節子の死ではなく、私たち2人の死です。

長くなるので、この続きは明日書きます。
その考えだと最近の異様な疲労感の理由が納得できるのです。

いま節子の霊前で書いていますが、パソコンなどしないで、もっとここに座っていてよと、いっているような気がしますので。
1か月前も、もっと節子にずっと付き添っていればよかったです。
安心し過ぎてしまったことがとても悔いになっています。

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2007/10/01

■オウムを存在させる宗教界ー「懲りない社会」

昨日、TBSの報道特集で、オウム(現アーレフ)の最近の動きが報道されていました。
唖然とする内容です。
いつオウム事件が再発してもおかしくないような気がしました。
日本は本当に「懲りない社会」です。
犯罪も事件も、汚職も不祥事も、同じようなことが繰り返し起こります。
その根底には、被害者よりも加害者の人権が重視される文化があるように思います。

確かに加害者の人権も大切ですし、加害事件を起こす社会状況への配慮も大切です。
しかし、犯罪への対処は生活の立場で再構築すべき時期に来ています。
たとえば、現在の刑法は、罪の上限が決められています。
権力による横暴を防止するためのものですが、素直に考えれば、これは権力者による専制が行われている社会の発想です。
どう考えても今の社会にはあいません。
むしろ下限を決めるべき時代に来ているように思います。
もし裁判が本当に民主化され透明性が保証されていれば、それによる問題はそうは起こらないでしょう。
今の罪の法体系は生活者の感覚には全くあいません。

犯罪者の多くは、実は権力者と通低しています。
経済事件はその典型ですが、暴力を伴う犯罪も、多くの場合権力構造につながっていると私は思います。
子どもたちのいじめ事件も、その例外ではないでしょう。
このことも、上限を決める法体系が継続されているのかもしれません。

私の発想はいささか非常識かもしれませんが、飲酒運転を厳罰にしないことで得をしているのは誰かを考えれば、そう非常識ではないと思ってもらえるでしょう。
飲酒運転による不幸な事件を激減させることは、そう難しいことではありません。
飲酒運転によって事故を起こしたら免許を永久に剥奪すればいいだけの話です。
そんな無理なと思うことはありません。
なにか不都合があるでしょうか。
もし不都合があると思う人がいたら、その人は飲酒運転があることにメリットを得ているはずです。得ていない人がいたら教えてほしいものです。
飲酒運転に限りません。
こうした例はいくらでも上げられるでしょう。
時効制度も、そうした視点で考えれば、根本から見直されるべきでしょう。

少し極端に言っていますが、現在の刑法の体系は国民を支配する手段でしかありません。
国民が安心して快適な生活をできるための刑法であれば、いまとはかなり違ったものになるでしょう。

話がまたどんどん広がってしまいました。
すみません。
今日の問題はオウムでした。
こうした犯罪集団が相変わらず宗教組織として存続を許される責任の多くは、宗教界にあると思います。

なぜ宗教界はもっと行動を起こさないのでしょうか。
自分たちの仲間の不祥事ではないのでしょうか。
少し意味合いは違いますが、ミャンマーの事件にも日本の宗教界はまだ沈黙しています。
大相撲の世界と同じく、日本の宗教界はもう死んでしまっているのでしょうか。
立派な講話をされる高僧たちは、いったい何を考えているのでしょうか。
いま立ち上がらなくて、いつ立ち上がるのか。

最近少し気がたっているせいか、言葉がきつくなりました。
節子がいたら、書き直しを求められるでしょうが、今回は思いのままに書いて読み直さずに掲載します。

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■節子への挽歌27:節子の皮肉や元気が出るユーモアが聞けません

節子はまじめな堅物で、自分が面白さに欠けた人間であることを自覚していました。
その点では私も同じでした。
2人の価値観はほとんど重なっていました。
しかし、節子は私と違って、死にそうな時でさえ周りを元気にするユーモアセンスももっていました。
その点では、私よりもおしゃれでした。
呼吸が困難で、見ていても苦しそうな闘病生活の最後の頃、あまりの苦しさに「コンスタン」という精神安定剤を飲んでいたのですが、あまり効き目がありませんでした。
医師と看護師が深刻に処置している時に、節子は「コンスタンを飲んでいるのにコンスタントに呼吸できない」とつぶやきました。
医師と看護師は、その言葉がすぐには理解できませんでした。
そばにいた娘が、「ここは笑うところですよ」と笑いを促して、やっと気づいてもらいました。
そんなやり取りが時々ありました。
深刻な場が、それで和らぐことが少なくありませんでした。
そのために、私は節子の深刻な状況を少し楽観視し過ぎたのかもしれません。
節子は、私たちを「看護」してくれていたのです。

私はそうした節子のユーモアがいつも好きでした。
私が落ち込んでいる時に、節子はいつも私を元気にする「魔法の一言」をかけてくれました。
彼女の語彙は決して多くはありませんでしたが、的確な表現で人を元気にしてくれました。どんなに辛い時にも、です。
節子との会話は、夫婦喧嘩の時でさえ私には快いものでした。
できればもう一度、節子と夫婦喧嘩をしたいものです。
平和好きの彼女は喧嘩は好きではありませんでしたが。
来世に行くまで、もう節子のおしゃれな皮肉や心和むユーモアが聞けないことが残念でなりません。

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