■節子への挽歌50:生きる意味
ある人から、供養のために、33回忌まであなたは生きなくてはいけませんよといわれました。
その人は娘さんを亡くしていますが、その33回忌が107歳なのだそうです。
ですから大変だといっていましたが、「佐藤さんはまだ99歳だから大丈夫だ」といわれました。
残念ながら私は33回忌まで生きる勇気がありません。
33年も節子を一人にさせておくわけにはいきません。
亡くなった人の分まで生きなければといわれます。
もしかしたら、私も同じようなことをこれまで言っていたような気がします。
しかし、いま当事者になって初めてわかったのですが、そんな気にはまったくなれません。
さらにいえば、殉死の風習もまんざら悪いものではないというようなことも考えます。
風習にはそれぞれ意味があることを改めて思い知らされます。
私は殉死はもちろん、命をおろそかにすることはありませんが、あえて長生きもしたくありません。
しかし、節子がそうであったように、もし生きる意味があれば、つまり関係を絶つことを避けるべきであれば、凄絶な闘病も厭わないつもりです。
残念ながら、私はまだ、自分がこれから生きていく意味が見つかりません。
私にとっては、節子こそが「生きる意味」だったのです。
その節子がいなくなってしまった日から、私は何のために生きているかわからなくなってしまいました。
あえていえば、娘たちがまだ結婚していないので、彼女たちの家族の一員として生きていなければいけないということが当面の意味です。
彼女たちが、それぞれに独立していけば、私はまた「生きる意味」を失います。
「生きる意味」がなくなれば、人は自然に生きることを止められるようです。
イヌイットに関する文化人類学者の本で、そんなことを読んだ記憶があります。
もしかしたら、「節子の供養」がこれからの私の「生きる意味」かもしれません。
しかし、死者の供養のために生きるというのはどこかに矛盾がありそうです。
供養するくらいなら、早く自分も彼岸に行けばいい。
それが一番の供養ではないか。みなさん、そう思いませんか。
まあ、この問題はもう少し考えてみたいと思います。
この歳になって、まさか「生きる意味」を模索することになろうとは思ってもいませんでした。
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