■ユンゲの懺悔
今月号の「軍縮問題資料」(2007年11月号)はぜひ多くの人たちに読んでほしい記事が満載です。
以前も何回か書きましたが、この雑誌の講読をお薦めします。
共感した記事の一つは、折原利男さんという高校の先生が書いた「教育はどうあるべきか」です。
そこに、2004年に制作されたドイツ映画「ヒトラー 最後の12日間」の話が出てきます。
たまたまこの映画は、一昨日、BSで放映されていたので、ご覧になった方もいるかもしれません。ヒトラーの秘書だったユンゲの回想録に基づいて制作された映画です。
その映画に言及して、折原さんはこう書いています。
この映画でくつきりと心に刻まれるヒトラーの言葉がある。破壊されていく首都ベルリンと、無残に殺されていく無数の市民について、彼は「(国民が)自ら選んだ運命だ。自業自得だ」と語るのだ。つまり、自分たちに国を委ねたのは国民であり、その国民自らが招いた報いだと言うのだ。そこにはヒトラーの冷酷さと責任逃れがあるというだけでは片づけられない、国民の責任というものが凝縮されて提示されている。「ヒトラーなるもの」を生み出したのは、紛れもなくドイツ国民自身なのだった。映画の中では訪ねてきたシュペアーに向けて話された言葉になっています。シュペアーについては、以前、2回ほど書いたことがありますが、ヒトラーに信頼されていた人物です。
ユンゲ(本人が映画の最初と最後に登場します)は、ある時まではナチスのユダヤ人虐殺は自分とは無縁のことだったと思っていたそうですが、ある時にそうではなかったことに気づきます。
それは同じ歳のユダヤ人女性が、ユンゲが秘書になった、まさにその年に処刑されていたことを知ったからです。
その気になれば、ナチスのやっていたことはわかったはずだったと気づくのです。
そして、こう語ります。
「怪物の正体を知らなかった自分を今も許せない」
「若さは無知の言い訳にはならない」
ユンゲの懺悔は、彼女の人生をどれほど重いものにしてしまったことでしょう。
この話を紹介した後、折原さんは続けてこう書いています。
憲法改正をはじめとして、すべてはわれわれ国民の判断と選択にかかっていて、結局は国民の責任なのだということを再確認する必要があるだろう。ヒトラーの言葉のように、われわれ市民の自業自得としてはならないのだ。また、最悪の結果を招いてから、若者にユンゲのような懺悔をさせてはならないと思う。そのような意味でも、教育の責任は大きいと言えるだろう。その教育が、国家によって壊され続けています。
新教育基本法の制定は、安倍政権の成果という人たちにはぜひこの映画を観てほしいと思います。
戦後レジームからの脱却とは、ナチスが目指した道につながることだと思いますが、どれだけのユンゲがこれから生まれてくるのか心配です。
学校教育はますます壊されていく気がします。
日本はもう角を曲がってしまったのかもしれません。
まあすべては自業自得なのですが。
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