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2007/10/27

■浜岡原発判決の裁判官の責任の取り方

中部電力浜岡原発の運転差し止め訴訟の判決は、「原発の安全性を認め、ことごとく原告の訴えを退けた」(毎日新聞)内容になりました。
おそらく多くの人たちの予想とは違うものではなかったかと思いますが、そもそもこのテーマそのものが裁判にはなじまないような気もします。
現在の日本の裁判の基本パラダイムは要素還元主義による論理整合性に立脚しています。
ホリスティックな発想が入る余地は極めて少なく、入るとしても中途半端な「情状酌量」論しかないように思います。
さらに時間軸においても固定的で、関心は未来にではなく過去にあります。
刑事事件でも被告の更生はかかげますが、原告の未来軸には関心を持ちません。
まあ、そんな小難しい議論は別にしても、今回の判決は生活者の視点から考えればとても大きな違和感をもたざるをえません。

判決は、「指針見直しは旧指針の妥当性を否定するものではない。旧指針に適合していれば、耐震安全性は一応確保されたとみるのが相当」と判断したそうですが、この一文だけを見ると、裁判の立脚している論理にも疑問を感じます。
旧指針の妥当性が肯定されるのであれば、指針見直しは不要です。
それに、旧指針に適合していれば安全性は確保されるなどという馬鹿げた論理が世の中にあるとは思えません。
もしそうであれば、昨今の環境規制などは成立しません。
この裁判官には生きている時間というものがないのでしょうか。

まあ、あまり憤りだけ述べても意味がありませんが、いつも思うのは、なぜこうした事件が裁判ではなく、解決に向けて公開の場でもっと真剣に語られないのかです。
それが実現しないのはなぜでしょうか。
原発反対の運動者にも問題はあると思いますが、責任の過半は電力会社もしくは国家にあると思います。
エネルギー問題や環境問題(それらはいずれも生活に直結する問題です)を踏まえて、関係者が真剣に事実を徹底的に出し合って選択肢を模索するべき問題です。
すべての事業や商品に「絶対安全」などあろうはずもありませんから、問題は安全を高めるためにどういうシナリオがあるのかを考えればいいだけの話なのです。
対立する時間があれば、共創すればいいだけの話です。
原発は企業と社会の関係における象徴的なテーマだと思いますが、残念ながら現状ではまだコミュニケーション基盤さえできていません。
電力会社や行政は、莫大な資金をかけて「コミュニケーションまがい」の活動をしていますが、ほとんどすべては「天下り先の確保」や「企業を儲けさせる事業」に消えています。
原発広報のパンフレットの無駄遣いが話題になったことがありますが、その費用は半端ではありません。
ある電力会社の広報関係者から私たちはこれだけのことをやっているのにと、広報資料を送ってきてくれたことがありますが、そのほとんどは印刷業者の利益を生むだけのものでした。
そうした費用を社会との真剣なコミュニケーション活動に振り向けたら事態は一変するでしょう。お金などそうかからないでブレークスルーできるはずです。

それにしても、今回の判決を出した裁判官の責任は問われないのでしょうか。
裁判官という職業は誰からも裁かれない神のようなものなのでしょうか。
冤罪事件の裁判官がその辛さを告白した事件が最近起こりましたが、裁判官もまた間違いを犯すことはあるはずです。
それは犯罪ではなく、間違いだから罪には問えないということかもしれませんが、そうした常識を見直してみるべきではないかと思います。
間違ってもとがめられないような社会行為はあってはなりません。
それにどんな判決を出してもとがめられないような、緊張感のない仕事は腐敗する恐れがあります。
プロフェッションの誇りは、その緊張感の中から生まれるはずです。
守屋前事務次官は、そうした緊張感のない立場ゆえに犯罪者になってしまいました。
裁判官もそうならないとは限りません。
ニュールンベルグ裁判を思い出します。

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