■節子への挽歌56:結婚前は毎日詩を贈っていました
毎日、節子への思いを書いていますが、私たちの始まりも同じだったのです。
節子と結婚することになってから、私は毎日、節子に1篇の詩を書いて贈っていました。
毎日、恋人から詩がとどく。
普通なら喜ぶはずですが、節子はそれほど喜びませんでした。
節子に会った頃、私が一番好きだったのは、三好達治の「甃のうえ」でした。
あわれ花びらながれ夢のような風景です。
おみなごに花びらながれ
おみなごしめやかに語らいあゆみ
うららかの跫(あし)音 空にながれ
おりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるおい
廂々に
風鐸のすがたしずかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうえ
私が当時憧れていた風景の一つです。
こういう詩であれば、節子も喜んだかもしれません。
しかし、私が創る詩は、これとは全く違ったものでした。
たとえば、「金魚が泣いたら地球が揺れた」というような、いささかシュールな詩でしたので、それをもらった節子はわけがわからなかったのかもしれません。
なかにはわかりやすいコミカルなものもありましたが、いつも、「わけがわからない」とあんまり喜んでくれませんでした。
それで1か月くらいで止めたような気がします。
その詩集は今もどこかにあるはずですが、節子も私も読み直すことはありませんでした。
今にして思うと残念です。
節子の友人が、このブログを節子さんにも読ませたい、といいました。
いやいや、節子が読んだら、また言うでしょう。
読むのが大変だから、もっと短くしてよ。
そして、このブログも1か月で終わったでしょう。
終わらずに続いているのは、節子が読んでいないからなのです。
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