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2007/10/25

■節子への挽歌51:懺悔

日数がたつほどに、節子がいなくなったことの辛さが高まってきます。
おそらく体験したことのある人たちからは、「時間がたつほど辛くなるからね」といわれていましたが、まさにその通りです。
きっと、このあたりで、後追いする人が出てくるのでしょうね。
それがよくわかります。

辛さが増してくると、自分を責めたくなります。
いろいろな見方はあるでしょうが、節子が死んでしまったという事実を考えれば、どんな言い訳も無意味です。
かけがえのない人を守れなかった責任は、すべて伴侶にあるでしょう。
だめな伴侶でした。
外部からは見えないことがたくさんあります。
それを懺悔したい気分です。
もっとも懺悔しても、誰にもわかってはもらえないかもしれません。
むしろ言葉にすると、真意が伝わらないような気もします。

いずれにしろ自己嫌悪に苛まれます。
涙を出せば、少し心が和みますが、これは自己満足かもしれません。
今頃涙を出すのであれば、なぜこうならないように尽力しなかったのか。
今から思えば、できることが山ほどありました。
それをやっていなかったのです。
節子に対して、誠実な対応をしていなかったことも山ほどあります。
節子は必ず治るという確信を持つことが、誠実さを失わせてしまっていた面もあります。
自分までもが、その言葉に振り回されて、現実をしっかりと見ようとしなかったのです。
自分のことしか考えていなかった自分が忌まわしく感じられます。

だめな夫だなと誰かに叱責されたい気持ちがある一方で、
もし実際に叱責されたら、やはり後を追いたくなるだろうなという不安もあります。
節子がいたら、止めてくれるでしょうが、残念ながらその節子がいないのです。
ですから、自分で自分を叱責するのが精一杯です。
この複雑な心境は、なかなかわかってもらえないでしょうが、きちんと残しておきたいと思って、書きました。

まわりに私のような立場の人がいたら、何もいわずに一緒に悲しんでやってください。
今、私がほしいのは、慈悲の慈ではなく、悲をシェアしてくれる人です。
ないものねだりなのはわかっているのですが。

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