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2007/10/16

■節子への挽歌42:世界における立ち位置も変わっていました

昨日、立ち位置のことを書きましたが、そのつづきです。
昨夜、娘たちと買い物に行きました。
娘たちが買い物をしている間、私は売り場の外のいすに座って待っていました。

いすで待っていると、しばらくして節子が姿を現してくれました。
しかし、もうその場面はないのです。
そんなことを考えながら、周辺を見渡しているうちに、見ている場所や印象が今までとは何か違っているような気がしてきました。
どこがどう違うのか説明できないのですが、奇妙に違うのです。
まわりの風景にリアリティを感じられず、自分がどこか違う世界にいるような気がするのです。
もしかしたら、節子の目で風景を見ているのかなと思いました。

私たちをおいて、世界は何もないように過ぎている。
私たちのさびしさなどは、きっと誰も気づいていない。
すぐ近くにこれほどの悲しさがあるのに、みんなとても幸せそうなのはなぜだろう。
宮沢賢治の、あの言葉「みんなが幸せにならないと自分も幸せになれない」を思い出したりしていました。
そして、気づきました。
私はこれまで、誰かの悲しさやさびしさを本当にわかっていたのだろうか、と。
いや、これまでではなく、今もわかっていないのではないか。

そう思い出したら、まわりの風景が一変してしまいました。
それぞれに、私と同じような「さびしさ」や「悲しさ」を背負っているのだろうなという気が、奇妙にリアリティをもって、わきおこってきたのです。
わかっていなかったのは、他の人たちではなく、自分だったのです。
すべての人たちがいとおしく思え、話しかけたくなる気持ちを感じました。

奇妙な言い方ですが、そこを歩いている人たちの向こう側が感じられるのです。
自分の居場所が少し落ち着いたような気がします。
節子の死によって、空間的な立ち位置ではなく、
もっと大きな位置変化、それこそ位相的な変化が起こっているようです。

しかし、身体はまだその変化についていけていないような気がします。
息苦しいほどの疲労感があります。
誰かと話していると、その疲労感は不思議に感じなくなるのですが。

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