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2007/10/17

■あなたは待つのが好きですか、苦痛ですか

妻が亡くなったため、これまで妻に任せていたことを自分で少しずつやりだしました。
そこで気づいたのですが、「待つこと」が多い社会になっているような気がします。
昔からそうだったのでしょうか。
私は長らくビジネスの世界に生きていたため、まちづくりやNPO関係の世界に入った時には、スピード感の違いにかなり戸惑ったものです。
しかし、それとは別の意味で、「待つ時間」の多さを最近、体験しています。

たとえば昨日、カードを作ってもらうために銀行に行きました。
私の住んでいる我孫子にはその銀行の店舗がないので隣の柏駅まで電車で行きました。
そこで1時間近く待たされてしまったのです。混んでいる時間帯だったようです。
私は待つことにおいては、30分が限度です。
そこで帰ろうと思ったのですが、同行してくれていた娘に諭されました。
銀行で30分待つのは珍しいことではない、それに今まで待った30分が無駄になるというのです。
なるほど、そういえば途中でやめて無駄にした時間は私にはかなりあります。
実は今回、銀行に来たのは3回目だったのです。
結局、1時間近く待って順番が回ってきました。
ところが、ある理由でカードは作れませんでした。
どうも銀行の手続きは難しくなってしまいました。

私が会社を辞めた20年近く前には、銀行窓口でいかに待たさないようにするかが大きな課題でした。
ある雑誌に依頼されて、そうした小論を書いた記憶もあります。
ところがその数年後に、ATMの機械の前に行列ができるようになりました。
たぶん文化が変わったのです。
そういえば、郵便局でもけっこう待たされることが多いのに驚きました。
社会保険事務所も職業安定所も待たされるのが苦痛で、途中で帰りました。
そのため、失業保険をもらい損ねてしまいました。
今から思えば、何と馬鹿なことをしたことかと後悔しています。
女房には怒られました。

今日は百貨店に商品の配送を頼みに行きました。
混んでいたこともあって、少し待たされました。
我慢できないほどではなかったのですが、その時に、これが主婦の時間感覚なのだということに気づきました。
主婦のみなさん、言い換えれば「生活者」の、です。

「生活者」と「生産者」はきっと時間感覚が違うのです。
私は長らく生産者の世界に軸足を置いてきたために、「待たされる」という感覚を持ってしまいますが、「生活者」はそう感じていないのかもしれません。

いつか宅急便に関して、すべてが翌日に届く必要などないのではないかと批判的に書きましたが、私自身の中にも、翌日到着願望があるようです。身勝手なことです。

待たされるといえば、ディズニーランドでは待つのが当然の文化が出来上がっています。
パソコンなどのトラブル問い合わせも電話で待つのが当然です。
見渡していくと、いまや「待つ」のは常識の世の中なのですね。

女房がいなくなったおかげで、社会の実態が実感できる毎日です。
待つことは疲れますが、待っていればいつかは解決します。
しかし、いくら待っても妻はもう戻ってきません。

あれ、いつの間にか「妻への挽歌」になってしまいました。
困ったものです。
待ったら私の悲しさは解決するのでしょうか。

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