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2007/10/22

■節子への挽歌48:節子のいない世界がまだ理解できません

節子の親友が、節子と一緒に旅行に行った時の写真のCDをもってきてくれていたのですが、見る気になれずにいました。
昨日、CDを開いてみました。
元気な節子の写真が出てきました。
「あの節子」でした。
葬儀に使った写真は、節子の生き生きした表情を伝えていませんでした。
それがずっと気になっていました。
しかし、節子のほかの写真は見る気にもなれませんでした。
写真を見るとどうしようもなくさびしくなるのです。

49日の前日、義姉が1年前に一緒に行った時の写真を送ってきてくれました。
真っ青な日本海を背景に、節子が灯台の柵の上に座って笑っている写真です。
1年前はこんなに元気だったのです。
その写真も凝視できないままでしたが、改めて見直しました。
「あの顔」が、そこにもありました。

とてもあったかで、とてもやさしくて、でもどこかに少しばかり哀しさもあって、その笑顔を見ているだけで、私は幸せになれました。元気ももらえました。
写真をプリントアウトして、手帳にはさみました。
パソコンの壁紙にも貼り付けました。
これで毎日何回も、節子の笑顔に対面できます。

でも、写真をいくら見つめていても、元気が出てきません。
出てくるのは涙だけです。
これまで以上に涙が出るようになってしまいました。
なにをやっても裏目に出ます。

私にとって一番必要ないま、その笑顔に出会えないのが不思議でなりません。
節子がいない世界に生きている自分が、まだ理解できずにいます。

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