■法も規律も破った人たちの責任の取り方
読者の方からこんなメールが来ました。
「日本の企業病理は慢性化している」と書かれていましたね。確かに、マスコミが伝える最近の報道を見ていると、そうとしか思えません。
企業だけではなく、社会の仕組みのいたるところが、ボロボロと崩れ始めているような気がして、しょうがありません。
地域社会や近隣社会が壊れてきているとよくいわれますが、壊れているのは社会全体というべきでしょう。近隣社会では、それが見えやすいだけの話です。
その一方で、新しい社会の芽が生まれ始めているような気もしますが、それにしても大きな規範性が失われてしまったのは恐ろしいことです。
「やりたい放題」という言葉が、守屋前次官には当てはまりますが、それは何も彼だけの話ではありません。
憲法違反行為を首相自身が簡単に行う国ですから、わが国はいまや「法治国家」とはいえないでしょう。ひどい状況になってしまったという気がします。
そうした与党政府に対して、野党側の攻撃はあまり効果的とはいえません。
守屋喚問を聞いていて、なんだこの茶番劇は、という気もしました。
もっとしっかりと追求すべきでしょうが、野党にも弱みがあるのでしょうか、甘い追及でした。年金問題よりも重大な問題なのですが。
それに喚問中に「補佐人」とかいう人が隣にいて、入れ知恵をしているのも気になりました。本気で喚問するのであれば、抗した制度はやめるべきでしょう。常に権力者は自らを守る仕組みを用意しておくものだと感心しました。補佐人には正義感や良識はないのでしょうか。
法も規律も破られました。
社会から名実両方の規範が失われだしたわけです。
規範を守る警察も法曹界も、自らが規範を否定し始めています。
「無法国家」というのはひどすぎますが、まあそうした方向に向けて動いていることは否定できません。
最初のうちは、みんな気づかないものです。
賞味期間など瑣末な問題になっていくでしょう。
吉兆もひどいですが、ひどさの質を見間違わないようにしなければいけません。
守屋前次官は自衛官には謝りましたが、国民には謝っていません。
罪の意識など微塵もないのでしょうが、そこに法治国家の本質を見る気がします。
彼らの責任の取り方に関心を持ち続けたいと思います。
いつもそれがうやむやになってしまいますので。
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