■オリンピックと運動会
シドニーオリンピックのメダリスト、ジョーンズの禁止薬物使用の告白は日本の相撲界の最近の動きと同じように、スポーツというものを改めて考え直させられる事件です。
スポーツというものの定義を変えないといけないような気がします。
「産業化」されてしまったスポーツは、20年前のスポーツとは似て非なるものになってしまいました。
なぜ薬物を使用してまで勝利を得たいのか、なぜ身体を傷つけてまで強くなりたいのか、その動機付けの底にあるものはなんでしょうか。
時津風問題とジョーンズ問題は、これもまたコインの裏表のような気がします。
そして、社会そのものの病理が見事に象徴されているような気がしてなりません。
所詮は運動会でしかなかったオリンピックを、ここまでのショービジネスにしたのは誰なのでしょうか。いや、誰というよりも何なのかという問い方が適切かもしれません。
ヒトラーナチスがオリンピックを政治的に見事に利用したことは有名ですが、昨今の多くのイベントは、国際会議も含めてほとんどがショービジネス化しています。歴史の繰り返しを感じます。
きっと何かとても大切なことが見失われているのだろうと思います。
運動会の季節です。
子どもたちの無邪気な笑顔とがんばり。
運動会の効用はとても大きなものがあります。
ショービジネスとしてのスポーツの世界も、改めてこの原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。
経済は生活のためにあるのであって、生活は経済のためにあるのではないのですから。
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