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2007/10/09

■節子への挽歌35:所有と無所有はコインの表裏

節子が残していったものがたくさんあります。
まだ1回も着たこともない衣類や日用品も少なくありません。
そうしたものをどうしたらいいでしょうか。
衣服に関しては、娘にリサイクルショップに持っていくようにとお店まで教えていたそうです。節子らしいです。
しかし、残されたものを整理することはかなりの気力が必要です。
まだその気にはなれず、整理は手つかずです。
遺産のために親族の骨肉の争いが起こることもありますが、
遺産のみならず、何事も残すものは最小限にしておいたほうがいいのかもしれません。

これは節子の問題に限りません。
私自身も身の回りの整理をしなければと思い出しました。
とりわけ仕事関係の資料や書籍は残しすぎですし、生活用品も過剰に所有していることは明らかです。
これまでも何回か整理しようと試みたことはありますが、廃棄できませんでした。
しかし、今なら思い切って整理できそうです。

韓国の法頂師の「無所有」という本があります。
そこにこんな文章が出てきます。
何かを持つということは、一方では何かに囚われるということになる。
そのことに気づいた法頂は、こう心に決めたそうです。
その時から、私は1日に一つずつ自分をしばりつけている物を捨てていかなければならないと心に誓った。
物を所有するということは、物に所有されるというわけです。
主客の転倒、このことへの気づきが、私が会社を離脱した大きな理由でした。

19年前に、私は勤めていた会社を辞めました。
その時に、少しだけこうした思いを持っていました。
いろいろと捨てたつもりですが、いまなお物欲の世界に安住しています。

法頂は、さらにこうも書いています。
何も持たない時、初めてこの世のすべてを持つようになる。
これはとてもよくわかります。
私が理想と考えていることでもあります。
所有とは無所有であり、無所有とは所有である、というわけです。

節子と一緒であれば、無所有の世界に入りやすかったと思います。
すべてを捨てても、節子さえいれば大丈夫だったからです。
節子とそうした話を始めたのは4年半前です。
その直後に、節子の胃がんが発見されたのです。
そして節子がいなくなった。
私の人生設計は大きく狂ってしまったわけです。

しかし、今であれば、むしろすべてを捨てられそうです。
節子がいないのであれば、それ以外の何に未練があるでしょうか。
法頂さんを見習って、私も一つずつ捨てていこうと思います。
最後に残るのは何でしょうか。

ちなみに、この「無所有」という本はとても読みやすく、示唆に富んでいます。
みなさんにもお勧めします。
わがコモンズ書店を通して、アマゾンから購入できます。
ぜひどうぞ。

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コメント

「無所有」、拝読しました。坂谷は、すでに購入済みなので、コモンズ書店から、購入できませんが、確かにお勧めの一冊ですね。私が持っている「無所有」の本は、2001年初版ではなく、つい最近の2007年9月の2刷です。近年、また、注目を浴びているのでしょう。
ところで、本書の後書きで、文芸評論家の金 炳翼氏の法頂論の中に、法頂和尚のこんな言葉の紹介がありました。
「みんなが一緒に生きているこの社会が、今どこへどのように動いていようとおかまいなしに超越しようとする宗教人がいたらとしたら、彼が属している宗教は現場の外で涸れて死んでしまうであろう」
宗教人を「市民」、宗教を「生き方」と置き換えても、意味が通じるかもしれませんね。
法頂和尚の優しい、穏やかな文章の裏に厳しい現実認識があることを、感じます。

投稿: 坂谷 信雄 | 2007/10/09 18:29

坂谷さん
ありがとうございます。

同感ですね。

五木寛之さんの「日本・アメリカ編」も面白かったです。
来週、ホームページで紹介する予定です。

投稿: 佐藤修 | 2007/10/09 20:06

紹介します
http://www.kensanscience.org/sb02/sb.cgi?cid=33

投稿: 河野 | 2008/10/06 13:24

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