■節子への挽歌33:やれるときにやっておきなさい
「何でもやれる時に早目にやる」が節子の生き方でした。
何事も先延ばし、ぎりぎりにならないと動かない私の怠惰さが、節子は好きではありませんでした。
いつでもできることであればこそ、早くやるべきだというのが節子でした。
いつでもできるのであれば、急ぐことはないというのが私でした。
やるべきことから着手するのが節子でしたが、やらなくてもいいことから着手するのが私でした。
その2人が、よくもまあ40年以上も波長を合わせられたものです。
この頃、「やれるときにやっておきなさい」という節子の言葉がよく聞こえます。
私がこの1か月、何もせずに呆けているのが節子には気に入らないのかもしれません。
節子がいなくなってから、私の部屋も2人の部屋もそのままです。
必要な手続きは娘がしてくれましたが、私は何も手をつける気になれません。
もし娘たちがいなかったら、霊前で餓死していたかもしれません。
私には、それも一つの理想ですが、節子には迷惑な話でしょう。
できるだけ先に延ばそうというのは時間がある時の発想かもしれません。
節子の死で、私自身も半分の死を体験し、節子の言葉の意味が少しわかってきました。
つまりは、周りの人に迷惑をかけるなということなのです。
まあすぐには無理ですが、少しずつ生き方を変えようと思います。
いや、こういう発想自体がすでに「やれるときにやる」ということに反していますね。
早速、動き出しましょう。
なにしろ「やるべきこと」で「やれること」は山ほどありますから。
これからは私も、先延ばしの人生ではない生き方に変えようと思います。
先もあまりないことでもありますし。
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