■節子への挽歌37:今のわが家も節子のおかげで実現しました
現在、わが家は手賀沼が見える高台に建っています。
場所はとても恵まれています。
節子はとても気に入っていました。
この場所をさがし、ここにわが家を建てたのも節子のおかげです。
その経緯は、いかにも節子らしいのです。
数年前に、転居を決めました。
同居していた父母を見送った後、いろいろとあって、環境を変えたいと家族みんなが思い出したのです。
そんな時、節子が開発中のいまの場所を見つけたのです。
まだ開発途中で、売りにも出ていませんでした。
しかし、その場所が気にいった節子は、すぐに看板に書いてあった開発会社に電話したのです。
見上げた行動力です。
ところが、その土地は建売住宅用に開発しているということでした。
そこで諦めないのが、節子なのです。
節子は建売ではなく土地だけほしいと頼んだのです。
めちゃくちゃな話ですが、驚くことに、節子の熱意が先方に通じたのです。
開発会社の人が自宅にやってきました。
そして、後日、全区画を土地売りにすると連絡がありました。
問題は価格です。
残念ながらわが家には十分なお金がありませんでした。
価格もわからずに働きかけていたわけです。
まあ予算などあまり考えずに動くのもわが夫婦の共通点です。
手持ち資金を超えていたので、一時は諦めかけましたが、節子が気に入った土地です。
諦めるわけにはいきません。
後先考えずに購入を決意しました。
しかし、不思議なもので、結果的にはどうにかなってしまったのです。
経済的に考えて、なぜうまくいったのか、今もってわかりません。
娘たちからも全財産を提供してもらいましたが、それだけでは足りないはずだったのですが。
念のために言えば、節子は山内一豊の妻のような賢妻ではありませんでした。
節約家でしたが、金銭感覚はかなりいい加減でした。私よりもだめでした。
1円節約して、1000円無駄するタイプの、典型的な主婦でした。
家計簿などつけたことはなく、使ったものを記録しても意味がないという現実主義者?でもありました。
いや、怠惰だっただけかもしれませんが。
さて、自宅建設の話です。
節子も不思議がっていましたが、おかしなところから無理に借りることもなく、ともかく帳尻があったのです。
いずれにしろ、節子のおかげで私たちはいま、場所だけはとても良い所に住んでいます。
もっとも、住宅の設計は家族みんなで議論しすぎて疲れてしまった時に(わが家は完全に一人1票の家なのです)、私が勝手に構造を変えてしまったために、不満だらけの家になりました。
入居した日からリフォーム論議が出たほどですが、幸いにお金が払底していたので、さすがのわが家も動けませんでした。
また余計な事をかいてしまいました。
節子がいたら、検閲を受けて、ほとんどカットになりますね。
でも、節子はこのできの悪い家が大好きでした。
リフォーム計画ももっていましたが、それも含めて気に入っていたのです。
しかし、その家を十分に楽しむ間もなく、節子は逝ってしまいました。
節子には、もっとこの家を楽しんでほしかったです。
それが無念でなりません。
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