■節子への挽歌43:節子は手紙を書くのが好きでした
節子は手紙を書くのが好きでした。
手紙をもらうのも好きでした。
私はかなり早い時期からワープロやパソコンで手紙を書くようになりましたが、節子は手書きでなければ手紙ではないといっていました。
年賀状のあて先も一枚ずつ手書きでないとだめでした。
今年は体調が悪かったので、不承不承、あて先だけはパソコンを使いましたが、毎年、丁寧に宛先を自筆していました。書きながら相手の顔を思い出すのだそうです。
節子の闘病中に、友人たちからたくさんの手紙をもらいました。
彼女の手紙仲間からのものです。
絵手紙もあれば、俳画もあれば、写真付もあります。
節子はそうした手紙にとても元気づけられていました。
寝室の壁には、そうした葉書や手紙がたくさん貼り出されていました。
その手紙や葉書を見ていると、節子の闘病のことが生き生きと思い出されます。
思い出す。
この「思い出すこと」は私にとってはとても複雑です。
思い出したい一方で、思い出したくないのです。
楽しかった思い出や良い思い出だけに浸ればいいとアドバイスしてくれた人もいますが、悲しい思い出だけが辛いわけではありません。
楽しい思い出こそ、実は涙がでるのです。
闘病中の節子と、いつかこの辛さも笑いながら話せるようになるよ、と何回も話していました。
私はそう信じていましたが、節子はきっとそう信じていると私に思わせていただけでしょう。
私に対して、自分のことはよくわかるの、ともいいました。
その時の節子の気持ちは、今は痛いほどわかります。
手紙好きな節子も、毎日会っている私には手紙を出す機会がありませんでした。
ただ一度だけ私に葉書が届きました。
一緒に旅行に行っていた時、その旅行先から私のオフィス宛にこっそりと出していてくれたのです。
一体、いつ書いたのでしょうか。
ほとんど一緒にいたはずなのですが、全く気づきませんでした。
受け取った時には、またやられたとすごく嬉しくなりました。
節子はこうしたちょっと「お茶目」なことで、サプライズを起こすことが大好きでした。
そういう節子が私は大好きでした。
私にとっては、節子は私の人生を豊かにし幸せにしてくれる魔法使いだったのです。
その時の葉書は今も残しています。
手紙好きな節子が、彼岸から私に手紙をくれるのではないかと密かに期待しています。
笑われるでしょうが、本当に期待しているのです。
節子ならきっとその方法を考えてくれるでしょう。
節子は私には何でもできる魔法使いでもあるのです。
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