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2007/10/06

■節子への挽歌32:「一日の旅おもしろや萩の原」

節子の習い事のひとつに習字がありました。
近くの東さんという先生のところに、月に2回、通っていました。
そこに行くことが、節子の大きな楽しみでもありました。
集まる人たちとの会話がとても楽しかったようです。
節子は本当にたくさんの良い友だちにいつも囲まれていました。

展示会にも出展させてもらっていましたが、その一つがいま、節子の霊前に置かれています。
花に埋もれていましたが、ちょっと花が少なくなったので目立つようになりました。
改めてじっくりと見せてもらいました。
Sho2
ここをクリックすると大きくなります。

節子のものは、今では何でもよく見えるのですが、節子らしい雰囲気を漂わせています。
「一日の旅おもしろや萩の原」
正岡子規の俳句です。
この俳句もまた、節子らしいものを選んだと思いました。
ところが、その話を娘にしたら、
この句は先生から与えられた句らしいよということでした。
いやはや、どうもすべてを節子に贔屓目に考えている自分に気づきました。
しかしまあ、節子らしい句ではあります。

節子はいろいろなことに挑戦する人でした。
わが家の玄関に飾っている油絵も節子の作品です。
いろいろのところに節子の作品が残っています。
いろいろなことに挑戦したということは、なにか一つのことに熱中しなかったということでもあります。
私と同じく、けっこう飽きっぽい面もありました。
でも私と違うのは、それぞれにまじめに取り組んだことです。
ですから作品がいろいろとあるのです。
そうした作品を見るたびに、寂しさを感じます。

作品を残すのも良し悪しです。

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