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2007/10/18

■マスコミは何をベースに記事を書くべきか

今日の朝日新聞の天声人語を読んで、やはり赤福事件も一言書いておこうと思い直しました。
但し、赤福に対してではありません。マスコミに対してです。

天声人語の記事はこうです。
しばらくするとネットでは読めなくなるので、一部を引用させてもらいます。

「ここだけは安泰」と信じた旧来の和菓子ファンは、帰る所を失った心地ではないか。伊勢名物、赤福の偽装である▼包装ずみの商品を冷凍保存し、包み直して売っていた。品切れを防ぐため、70年代から続くやり方だという。解凍し、再包装した日を製造日と偽った品は、過去3年の出荷量の2割近くになる▼小欄にとって、赤福の後味はほろ苦い。8月、北海道銘菓「白い恋人」の賞味期限偽装を取り上げた。経営者が赤福の伝統を目標にしていたことを紹介し、こう書いた。「今年創業300年の赤福の餅は、ごまかせない『製造日限りの販売』だ。伝統にはそれぞれ、理由がある」▼読者の皆様から「赤福にはもちろん、天声人語にも裏切られた」というおしかりや、「天声人語も犠牲者だ」とのご意見をいただいた。いずれにしても老舗(しにせ)の看板に目が曇り、公式サイトの言い分をうのみにした不明は恥じるほかない。
最後の「老舗(しにせ)の看板に目が曇り、公式サイトの言い分をうのみにした不明」。
まさにこの点にこそ、最近のマスコミの最大の問題があると思います。

最近のマスコミ報道は、多くの場合、二次情報をベースにしていることが多いです。
そこに大きな落とし穴があります。
昔、「非情報化革命論」を書いたことがありますが、二次情報どころか三次、四次と現場からどんどん離れた情報が大手を振って闊歩しているのが現代です。
そこでは情報ではなく、バーチャルな現実が作られているといっていいかもしれません。
そのためリアルな現実が見えなくなってしまいがちです。
現実を報道すべきマスコミが、現実を見えなくしているわけです。

そうしたことを回避するにはどうしたらいいか。
それは第一次情報にしっかりとアクセスすればいいだけの話です。
真実は現場にしかありません。
そうしたことが昨今のジャーナリズムでは軽視されがちです。
長井さんのような存在は、国内でも必要です。
会社の現場をしっかりと見れば、事実はかなり見えてきます。
経営者に会えば、その企業の実体は見えてきます。
赤福の経営者が悪いと行っているのではありません。
しかし落とし穴は見えるものです。

赤福の事件を、ぜひともマスコミは自らの問題として考えるべきだと思います。
亀田事件も赤福事件も同根です。
氷見市の冤罪事件も郵政民営化もみんな同じかもしれません。
マスコミは影響力が大きいですから、自分の目で現場を見て、書いてほしいものです。

ちなみに、赤福は私も女房も好きでした。
先代の社長から「作った日にしか食べてほしくない」と言われて以来、私は赤福ファンになりました。
名古屋に行ったら、必ず買ってきました。
赤福は私も女房も好きでした。
冷凍であろうと、とても美味しかったです。

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