■節子への挽歌52:「いい出会い」
先週、会った人にまだ立ち直れないのだと話したら、その人が、「いい出会いだったのですね」と言ってくれました。
「いい出会い」。
別れがそんなに辛いのは、いい出会いの証拠だというのです。
彼は何回か、その言葉を繰り返しました。
もう1週間たちますが、その言葉がずっと頭から離れません。
「いい出会い」。
そうか、私と節子の出会いは「いい出会い」だったのだ。
そう思うととても幸せになります。
ここでの「出会い」とは最初の出会いの意味ではないでしょう。
最初も最後もなく、時間や空間を超えての「出会い」を意味しているような気がします。
そう言ってくれたのは、ハイデッガーの研究者ですから、それに間違いありません。
節子と私の出会いは、本当に偶然でした。
そして、最初に一緒に歩いたのが奈良でしたが、その日はお互いにまだ恋人でもなかったのに、不思議なくらい「あったかな思い出」に包まれているのです。
そして40数年。
少なくとも、私の人生がこんなにも楽しかったのは、間違いなく節子のおかげです。
奈良での、あの1日が、「いい出会い」を象徴していたのかもしれません。
そんなに「いい出会い」だったのですから、今回の別れも、きっと「いい出会い」に包摂されているのでしょう。
そう思うと少しだけ心が安らぎます。
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