■節子への挽歌28:受け入れたくない現実を心身が拒否しているようです
告別式の挨拶でお話したように、1か月前の今日は、私にとっては人生で一番うれしい日と悲しい日を味わった日でした。
その日と同じように6時に目が覚めました。
節子がこの日はゆっくりとねむれて、みんなで喜び合ったことを思い出しました。
そして、突然に、私がまだ節子の死を全く理解できているような気がしてきました。
節子が死んだ、ということが私にはまだわかっていないのではないか。
そんな気がしてきました。
この1か月、私は立ち上がれずに、節子の霊前で無為に過ごしています。
いろいろな人が弔問に来てくださいましたが、その時は少し元気が出るものの、
少したつとまた無性にさびしくなり、みっともないほど立ち上がれずにいるのです。
私には節子の存在が大きすぎたようです。
あまりに存在が大きいがために、理解不能になっているのかもしれません。
理解してしまったら、私の生活が成り立たなくなる不安から、
私の心身が節子の不在を受け入れずに、拒否しているのです。
節子がいないなどと言うことは、私にはありえないことであり、理解できないことなのです。
会えなくて話せなくて抱くこともできない寂しさは実感できます。
しかし節子がこの世にいないことが、本当に理解できていないのです。
これはとても不思議な感覚です。
娘もまた同じ状況にあるようです。
しかし、節子はいつもいません。
話しかけても返事もしません。
夜、寝返りをうっても、そこにいないのです。
「いないはずがない節子がいない」。
その矛盾をどう受け止めていいのか、わからないのです。
だから頭がすごく疲れます。
そして、そんなことを考えていると、恐ろしいほどの悲しみが全身を襲います。
もしかしたら、節子はもういないのかもしれない。
そう確信する一歩前で、いつも私は思考停止してしまいます。
そうしたことを続けながら、もう一つの解釈にたどりつきました。
それは、節子の死ではなく、私たち2人の死です。
長くなるので、この続きは明日書きます。
その考えだと最近の異様な疲労感の理由が納得できるのです。
いま節子の霊前で書いていますが、パソコンなどしないで、もっとここに座っていてよと、いっているような気がしますので。
1か月前も、もっと節子にずっと付き添っていればよかったです。
安心し過ぎてしまったことがとても悔いになっています。
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