■節子への挽歌27:節子の皮肉や元気が出るユーモアが聞けません
節子はまじめな堅物で、自分が面白さに欠けた人間であることを自覚していました。
その点では私も同じでした。
2人の価値観はほとんど重なっていました。
しかし、節子は私と違って、死にそうな時でさえ周りを元気にするユーモアセンスももっていました。
その点では、私よりもおしゃれでした。
呼吸が困難で、見ていても苦しそうな闘病生活の最後の頃、あまりの苦しさに「コンスタン」という精神安定剤を飲んでいたのですが、あまり効き目がありませんでした。
医師と看護師が深刻に処置している時に、節子は「コンスタンを飲んでいるのにコンスタントに呼吸できない」とつぶやきました。
医師と看護師は、その言葉がすぐには理解できませんでした。
そばにいた娘が、「ここは笑うところですよ」と笑いを促して、やっと気づいてもらいました。
そんなやり取りが時々ありました。
深刻な場が、それで和らぐことが少なくありませんでした。
そのために、私は節子の深刻な状況を少し楽観視し過ぎたのかもしれません。
節子は、私たちを「看護」してくれていたのです。
私はそうした節子のユーモアがいつも好きでした。
私が落ち込んでいる時に、節子はいつも私を元気にする「魔法の一言」をかけてくれました。
彼女の語彙は決して多くはありませんでしたが、的確な表現で人を元気にしてくれました。どんなに辛い時にも、です。
節子との会話は、夫婦喧嘩の時でさえ私には快いものでした。
できればもう一度、節子と夫婦喧嘩をしたいものです。
平和好きの彼女は喧嘩は好きではありませんでしたが。
来世に行くまで、もう節子のおしゃれな皮肉や心和むユーモアが聞けないことが残念でなりません。
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