■節子への挽歌55:友人の死
節子の死をこんなに悲しんでいますが、私は人の死を初めて体験したわけではありません。
両親の死も体験していますし、友の死も体験しています。
しかし、同居していた父母の死ですら、これほど引きずったことはありません。
親の死と妻の死は全く違います。
親しい友人の死も体験しました。
私のホームページには私よりも若い2人の死のことを書いたことがあります。
加瀬さんと三浦さんです。
2人とも私は大好きでしたが、引きずりはしませんでした。
友の死は信じなければ信じないでも済まされるのです。
とりわけ三浦さんの死は今でも信じていないのです。
不思議といつまでも忘れられずに思い出す友人が一人だけいます。
東レ時代の友人の重久篤さんです。私の2年先輩です。
信頼しあっていた人ですが、もう10年ほど前に亡くなりました。
なぜだかわからないのですが、その重久さんのことをよく思い出します。
無性に会いたくなることがありました。
重久さんは節子とも顔見知りでした。
節子が娘たち2人と一緒に香港に旅行に行ったことがあります。
その計画を知った重久さんは、節子たちに親切にお薦めガイドを紙に書いてきてくれました。
お薦めのレストランも書いてありました。
それでわが家族の中では重久さんは、とても親切でよい人の評価を確立したのです。
節子が亡くなった後にも、重久さんのことをなぜか思い出します。
彼岸で、2人は会っているでしょうか。
もしそうとわかっていたら、重久さんに伝言を頼めばよかったです。
最後に会いにいけずに残念だったと。
見舞いに行こうと電話しようと思っていた、まさにその日に、重久さんの訃報が届いたのです。
それがずっと気になっているのかもしれません。
重久さんの笑顔が忘れられません。
一緒に仕事をしたかった人でした。
節子ともいろいろとこれから一緒に活動をしたかったのですが、2人とももういません。
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